「生活」の見方を変えよう

 どこから話をしたものか。

 有名な話ではあると思うが、人間は「農業」を発達させたことで、定住するようになった。狩猟や採取を主としていた生活では、長居すれば植物や動物たちを枯らしてしまうので、住居の定期的な移動が必要となった。しかし、農業が現れてからは、そこに定住し、長い時間を通して食物を育てていくことで、食糧の確保が可能となり、住居を移動させる必要がなくなった。それまでの生活では必要のあるものを最低限しか持つことができなかった。それは住居の移動の際に荷物となるからだ。定住できるようになってからは、その制約もなく様々なものを所有することができるようになった。

 そうして、現代では定住が当たり前であり、移動式の住居といえば貧困層の行うことというイメージがある。そして私には移動式の生活に憧れを持っていた。なので、大学生活の夏に自転車旅というものを行った。

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 この写真では自転車の後ろにに、服、調理器具、テント、マットとその他の生活では必要な小物たちを詰め込んでいる。要するに自転車に「生活」を乗っけてるに等しい。荷造りは自転車生活を想定して、その中でカバンの容量と相談しながら行う。荷物のほとんどは先ほど挙げた、衣類、テント、寝袋、テント内で敷くマットだ。実は、これだけあれば最低限ではあるが「生活」を送れるのだ。

 まさにミニマリストのような生活に近い。余分なものは持っていない。しかしここで言いたいのは、「無駄なものは持つのはやめよう」ということではない。

 余分な物がない生活を送って気づいたことは、「生活」の本質だ。布団は何のためにあるのか、それは長時間寝そべった状態で血流が悪くならないように、寝返りを無意識にできるように、柔らかく厚みがあり、かつ地面の温度を遮断するためにある。この条件を満たせば、人はそれなりに快適に寝れる。枕は何のためにあるのか。それは首を体にとって自然な位置に置くためにある。それができれば何でもいい。枕じゃなくったって、服や上着を丸め、明日使うタオルで巻けば枕の条件を満たしたものができる。これはある意味イノベーションだ。既存のものを掛け合わせることで、既存のものに新たな価値を与えている。

 自転車旅という移住生活を送ることで、定住する日常生活では発見し得なかったであろう「生活」の本質が見えて来た。確かに本質が見えなくても、十二分に生活することはできる。しかし、本質を知るということは、生活の範囲を超えて、いざという時に本質があなたのするべきことを導いてくれるはずだ。

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