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ある男の話4

「麗奈ちゃんとの結婚は考えてないのかよ?」横田がカルボナーラをフォークでくるくると巻きながら言った。横田は数少ない同期入社の一人だ。

「考えてなくもないよ。このままいけばそうせざるを得ないというか。でも、なんだろう。麗奈には悪いけど、ほかに選択肢があるんじゃないかという気がして」僕は答えた。

 僕と横田は社内の別の部署で働いているが、お昼休みになると(どちらかが会議や出張の予定が入っていない限り)、こうして社員食堂で一緒にランチを食べる。食堂内は木目調のテーブルやイスで統一されていて、観葉植物もいたる所にあって、食器なんかも一つ一つがおしゃれで、社員にはおおむね好評なようだ。
 でも個人的には、こんなところに金をかけるくらいなら、もっと給料を上げてくれよ、という気がしないでもなかった。しかし横田の、いやいや、これも大事な広報戦略や採用戦略の一環なのだ、という説明を聞いて、なんだか妙に納得した。

「ほかに好きなやつでもいんのか?広報にいる同期の橋本とか?」
 口に入れた醤油ラーメン(ちぢれ麺)が思わず鼻から出そうになった。が、いやいや、と僕は反論した。橋本は同期でも一番、下手したら社内でもいちばんモテる女性社員だ。
 まるでマネキンに魂が宿ったみたいな女の子で、すらっとしたモデル体型をしていて、顔もモデル並みに整っている。
 見た目はほとんど北欧系とかの外国人かハーフにしか見えないのだが、彼女曰く、どうも沖縄の出身で顔が濃いだけで、両親ともに純粋な日本人らしい。

「いっそ、子供でも先にできちゃったら話は早いのになあ」
「授かり婚、てやつですね」横田にあいづちを打つように、僕の隣にすわっている後輩の西田くんが言った。
 僕たちの会社は、だいたい入社3~5年目くらいの社員が、メンターとして新卒社員に色々なことを教えるのが伝統になっている。僕は、同じ部署に配属されたということで、西田くんの面倒を見ることになった。見た目も中身もまじめで、素直でとても良い子だと思っているが、ゾンビ映画が大好きで大学院時代は昆虫の解剖に明け暮れていた、という猟奇性をはらんでいる。

 僕は、今の会社に新卒で入って3年目になる。IT関連企業なので、まわりの社員の年齢も若く(専門卒だと十九歳の子もいる)、何だか大学の延長みたいに感じている。
 毎年少しずつ昇給はしているし、いまのところ沙彩の学費も順調に払えているので、大きな不満はない。でも、自分が四十歳や五十歳になって今の会社で働いているかというと、何だか想像がつかなかった。

「西田くんはどう?順調?」横田が言った。
「いや、まだまだ勉強が足りないですね」西田くんが謙遜して言った。
「メンターがこいつだと大変でしょう」横田が僕にフォークを向けて言った。
「お前のほうこそ、館山ちゃん大変だろ。ほったらかしで」僕は言った。 
 横田は、館山ちゃんというとてもおとなしい新卒の女の子のメンターについている。噂によると彼女は京大卒らしい。社長が面白がって両者の化学反応を期待して『タテヨココンビ』と命名し、アホキャラの横田と秀才の館山ちゃんをくっつけたらしい。
「そんなことないよ。彼女、超優秀だから。変に俺がいじるとフォームが崩れちゃう」横田が言った。
「なんだよフォームって」僕は笑った。西田くんもつられて笑っている。

 社員食堂はオフィスエリアよりも窓が多く開放的で、うちの会社自体も高層ビルのかなり上の階にあるので、とても見晴らしがよい。
 ビルの隙間をぬうように、窓から太陽の光が差し込んでいる。その光に照らされて、かすかにほこりがキラキラとゆらめいているのが見える。
 食べ終わった人たちがトレーを運ぶ。カチャカチャとした食器のこすれる音。社員たちの話し声や笑い声。首からかけた社員証の、ほんのわずかな重み。エレベーターが目的の階に到着する音。
 その一つ一つを五感で感じるたび、僕は今、『社会人として働いている』という実感が湧いてくる。

 月曜日の朝はいつも少し憂鬱だが、なんとか午後の仕事を切り上げて、家に帰った。また金曜日までの一週間が走り出した、と僕は思った。
 いったい何度、この一週間を繰り返せば、ゴールにたどり着くんだろう。てからそもそもゴールって何?って思う。定年を迎えること?それとも貯金をためて早期退職して、悠々自適に暮らすことだろうか?
 一瞬、年金で食いつないでいる母の顔がよぎった。いやいや。あれはゴールではない。というかあいつはスタートすらしてない、と思い直した。
 一つのゴールといえば、やはり、麗奈との結婚、だろうか。年齢もアラサーになったので、真剣に考えないといけないのかな。

 帰りに駅ナカの大型の本屋に立ち寄り、雑誌コーナーへと行き、ゼクシィを手に取って眺めてみた。付録に婚姻届けが付いている。とたんに、なんだか目に見えないものが重くのしかかってきた気がして、そっと棚に戻した。

 結局、いつもと変わらず、後退も前進もしない日常のまま、閉まりかけのスーパーで、値引きされた総菜とビールを買って家に帰った。


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