小説のよさ
小説のよさは一方通行なところにある。
たとえば、小説の中に何か意味深な一文があるとする。
読み手はその一文に、作者の様々な意図を感じ取る。
作者は一つの意図でその一文を書いたのだとしても、読み手は勝手に深読みし、その一文を様々な形に変えてくれる。
なぜ勝手に深読みしてくれるか。答えが提示されてないからだ。
ツイッターなんかのSNS上では、呟いた文章に対して答えを求めるリプライを送ることができる。
質疑応答によって答えが絞られるため、分かりやすくて一義的な文章になってしまう。
その点、小説の一文に対しては意味を問うことができない。
それゆえにミステリアスで、ある種の深い文章というものが完成していく。それが深いか深くないかに関わらず。
少し話が逸れるが、「深い」という言葉には、「黒い」という意味を当てはめることができると思っている。
「深緑」や「深い青」など、色に於いて使われる場合は、そのまま黒さを足した色と考えることができるが、暗くてはっきりと見えないものに対しても「深い」は使われる。
ある言葉に対しての「深い」。
ある作品に対しての「深い」。
これらは全て、自分の理解が及ばないことや、はっきりと本質が見えていないための諦めの言葉、また、抽象的で当てはめる言葉が見つからない場合に、仕方なく「深い」と表現する。
「深い」は「黒い」のだ。深いよね。
話が逸れてしまったが、小説はいい。
なぜいいか。深いからだ。
小説は夢を見せてくれる。夢は瞼の裏の黒い世界で見るものだ。
分かりやすい物語では夢から覚めてしまう。
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