共犯者になってくれよ。


自分が本当に好きなことって、何かあるのかなって思ったりします。


好きだと思っていたあれこれも、最後、夢中になんかなれない、熱中なんかできないんだと、思えてしまう。
気づいているのに思い込もうとするのはつまり、心に嘘をつこうとしたみたいで、自分自身がいよいよ信じられなくなっていく。


ラジオ。最近聞いていない。

本。読むより買うのが楽しい。

着る服で気分は変わるけど、まあ、隠すとこさえ隠していたら案外なんだっていいかも。

喫茶店巡り。しない。

コーヒーもきっと、好きとは違う。
好きになろうとしているんだと思う。
お酒もおなじ。
私の世界になくても平気。

お付き合いしていた人の、バイクのうしろに乗せてもらった。
それは特別なことだった。
あの時確かに好きだった。その人のこと他の何より大切だった。
こんな気持ちはずっと変わらず守っていられるような思いもしたのに。数年経ったら別れてしまった。

好きがわからないというのは、自分の現在位置も目指すところもはっきりしないようで、落ち着かないもんだ。
(だからたぶん、恋愛してると生きるのが楽だった。)



── 喫茶店の仕事が好き。
── 接客の仕事が好き。


繰り返し言うことで、書くことで、不都合な可能性を見ないように誤魔化している。脳を侵している。
それさえないと、認めちゃったら私、なんにもなくなっちゃう。虚しいと思う。


バツの悪そうに残ってあるのは、さみしいとか、構われていたいとか。

自分のことだけが最後まで、好きなんだろうね。
なんだかんだね。


自分大好きをもうすこし覚悟して突き詰めようか。

そうしたら今より周りの人のこと、大事に行動できる?
苦手、とか嫌い、みたいな感情に一個一個つまづいて、つらくならずにいられるかな。

どうかな。

やっぱちょっと、違うような気がする。

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