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デジタルとフィルムのはざまで:ナチュラクラシカとの思い出を振り返る

たったひとつ、フィルムカメラのオススメを聞かれたら間違いなく富士フイルムの「ナチュラクラシカ」を推すだろう。

カメラが好きな人でも、カメラをあまり触ったことがない人でも、おすすめするカメラは変わらないと思う。

2年前に購入し、1年足らずで壊れてしまった時は大いに落ち込んだ。その後、似たような大きさのコンパクトデジタルカメラRICOHのGRⅢを購入した。

どちらのカメラも共通しているのは、誰でも簡単に良い写真が撮れることだ。iPhoneのようにいつも携帯するスマートフォンで綺麗な写真を撮れるようになったのは言うまでもないことだし、それで十分だという考えもある。しかし、この2つのカメラはどちらもiPhoneでは出来ない撮影体験を提供してくれる。


ナチュラクラシカとの出会い

フィルムカメラにハマり、これまでCanonのAutoboyやNikonのFM10、 PENTAX67Ⅱ (通称バケペン)、オリンパスのPEN-FTなどのフィルムカメラを使用した。

その上で、ナチュラクラシカを購入したのは、「シャッターさえ押せば撮れる」ことと「コンパクトで常に持ち運べる」ことを満たすフィルムカメラを求めていたからだ。

当時、他の候補として悩んでいたのはCONTAX T2やT3。しかし、「チタン製のボディ、カールツァイスのレンズ」というロマンよりも「実用性のあるフィルムカメラ」を重視した時に、価格と発売年でナチュラクラシカを選んだ。(T2やT3も人生で一度持ってみたいカメラではあるが…!)

自身が富士フイルムのデジタルカメラを愛用していたこともあり、ナチュラクラシカの作例を見た時に心地良く感じたことも後押ししたかもしれない。

実際に購入したナチュラクラシカは持ち歩かなかった日は1日もなかったと言っていいほどに愛用した。

ナチュラクラシカを気に入っていた理由は3つある。

1つ目は、カメラのコンパクトさ。折り畳みの財布やiPhoneと比較しても変わらない。だからポケットに入れて持ち運ぶこともできる。撮りたい瞬間に撮るためには、常に取り出せるようにしておく必要がある。CanonのAutoboyはその点が課題だ。Autoboyは写りも価格も気に入ってるカメラだが、やや大きく、よほど大きなポケットがあるコートでないと入れるのは難しい。

2つ目は、フィルム写真の質感だ。ナチュラクラシカ独自の魅力というより、フィルムカメラに共通した魅力だが、フィルムカメラを購入する人の多くはこの魅力にそそられているからではないか。iPhoneやデジタルカメラと比較したときに唯一無二の特長だと思う。

3つ目は、自動で適正な露出で撮ってくれることだ。フィルムカメラの中には「写ルンです」やKodak「EKTAR H35」のようにコンパクトなカメラも存在するが、露出の調整がフラッシュする/しないの二択だ。使いこなせればそれでも十分だが、明るい/暗い、フラッシュを焚ける/焚けないなど、写真を撮りたい時の環境は自分で選べないことが多い。そんな時にどんな環境でもカメラ側で調整して露出を可能な限り合わせてくれることは本当にありがたい。

短命だった愛用カメラ

ナチュラクラシカとの思い出写真

1年足らずでの故障

そんな愛用していたナチュラクラシカだが、1年足らずで壊れてしまった。

毎日持ち歩いていたし、リュックの中で揺られ、物理的な破損だったかもしれない。私の場合はフィルムを巻き上げる部分のパーツが破損してしまったようで、36枚撮りきったところでフィルムの巻き上げができない状態になった。

ナチュラクラシカのような機械的なフィルムカメラは修理できるところがほとんどないらしい。ナチュラクラシカが壊れた時に、いくつものカメラ屋さん、富士フイルムのサービスセンターに電話したが、どこも修理するのは難しいとのことだった。(部品の取り扱いがないらしい)

後継機としてのRICOH GRⅢ

1年間で壊れてしまったナチュラクラシカの後継機として、GRⅢを購入した。

GRⅢはRICOHのコンパクトデジタルカメラである。GRⅢはある種、実験的な購入だった。ナチュラクラシカの魅力であるコンパクトさを継承しつつ、デジタルカメラで撮影した写真をフィルム風に現像することで、代替できると考えた。

良かったことは、ナチュラクラシカの時と同様、ほぼ毎日持ち歩いていることだ。コンパクトなカメラの利点は引き継いでいる。当然フィルムカメラより高性能である。暗かろうが、自動でISOやシャッタースピード、絞りを調整してくれるし、撮影のイメージもモニターでその場でわかる。その上、フィルムとは違い枚数を気にすることなく撮れる。

色味もプリセットを活用したり、自身で調整したりすることで、過度な労力をかけずにフィルムライクな写真を現像することができている。

約1年間GRⅢを使ってみて、「日々の思い出を残すカメラ」という点でコストパフォーマンスや利便性、持ち運びやすさを考えた時の1つの最適解だと思っている。

ナチュラクラシカの魅力の再発見

頭ではGRⅢが最適解だと思っていても、フィルムカメラの魅力に吸い寄せられる理由がいくつかある。

現像をプロに任せられる

まずは現像をプロに任せられることである。フィルムカメラは通常、撮りきったあとにカメラのキタムラや街のカメラ屋さんなどに現像をお願いすることで、データ化してくれる。

GRⅢでフィルムライクな写真を再現しようと思うと自身でLightroomを使い、1枚1枚現像する必要がある。カメラを得意とする方々に怒られてしまいそうだが、なかなかに億劫なのだ。手軽に残したいと思って大量に撮った数百枚、数千枚の写真を現像することはなかなかに大変で、現像を溜めてしまうことがよくある。

写真一枚一枚への思い入れ

次に、36枚撮り(あるいは24枚撮り)フィルムという制限があるからこそ、1枚1枚に思い入れが強くなることもフィルムの良さだ。撮れる枚数が少ない分、残したい瞬間と向き合うことが多くなる。写真整理も楽だ。

余談だが、ナチュラクラシカやAutoboyは写真の右下に撮った日付を入れることができる。日付とともに思い出を振り返ることができるのもフィルムの魅力だと思っている。

「フィルム風」の限界

最後に、デジタル写真をフィルムライクにする意味だ。「フィルムの色味が好き」という理由以上にないのだが、わざわざ高解像度の写真を低解像度風にする意味はなんだろうと自問自答する瞬間が訪れる。

私が思うフィルムの魅力として、解像度が低いこと、つまり、抽象的な表現で想像の余白があることだ。高解像度の写真に比べて、情報量が少なく、1つの写真からインスピレーションを受けてその当時を回顧する心地よさがある。

しかし、デジタルの高解像度の写真を無理矢理抽象的にすることに興醒めしてしまう自分もいる。デジタルはデジタルの良さを活かし、フィルムでしか楽しめない楽しみ方を楽しむのが良いのではないか、なんてことを定期的に考える。

ナチュラクラシカとの再会の可能性

フィルムカメラの引力と難点

デジタルの写真の便利さに慣れた今でもナチュラクラシカとの再会を考える。その理由はやはりフィルム写真の持つ独特の魅力に他ならない。まるで自身の記憶の一部のように、曖昧に表現された写真。一枚一枚撮った大切な瞬間。それらが自分にとって特別だからだ。

ただ、フィルムカメラの難点はかかるお金が高いことである…泣

ナチュラクラシカは発売当時20,000円〜30,000円の価格だったそうだが、現在は中古しか出回っていない上、価格も当時を大きく上回る。希少価値が高くなっているからだ。

フィルムも同様だ。36枚撮りフィルムが1本1,000円を超える。現像には約1,000〜1,500円。1枚あたり約65円の写真は、iPhoneで簡単に撮れるような現代においては高級な趣味と言わざるを得ない。

それぞれのカメラの魅力と向き合いたい

ナチュラクラシカの代替品としてGRⅢを使い始めたが、最近はGRⅢの良さに触れて、GRⅢだから残せる写真をちゃんと残していきたいと思うようになった。

それと同時にフィルムの魅力を再発見したように感じる。フィルムは高級な趣味になりつつあるが、それでも惹かれる魅惑がある。

ナチュラクラシカをもう一度手にしたいと思うし、CONTAXのT2やT3も人生で一度撮ってみたいと思う。

お金……💸💸💸

おまけ:ナチュラクラシカで撮影した写真

初めて、ナチュラクラシカを使った日
家の近くに毎年立派な桜が咲いていて、お気に入りの散歩コースだった
とある日の帰り道
東京駅。夕日で水面がキラキラしてて撮った
みんなとの思い出でよき
こうやって振り返るとフィルムっていいなぁ・・・泣


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