Uターン者の馬力とIターン者の客観性

実家がなくなった続きで最近感じていることが、タイトルにあるUターン者とIターン者の違いです。

地元への愛着が色んな思いは生まれ育った場所にしかなくて、それが馬力となるUターン者。逆に変な感情に引っ張られずに地域を見れる客観性を自然と持てるのがIターン者。

僕は仕事がら、Uターン者とIターン者が混じった環境で仕事をすることが多いです。僕自身が京丹後で移住者なので、そもそも所属しているコミュニティにはIターン者が多く、その中にUターン者もいる、といった感じ。

仕事は、特定の地域に入って将来ビジョンを作ったり、イベントを企画したり、事務局機能の手伝いをしたりと様々で、割とディープな人付き合いや地域の闇みたいな領域に入り込むことも多々あります。過去の人間関係とか、いわゆる昭和の重たい慣習が若者を追い込んでるとか地域って色々ありますよね。

なので、仕事と私生活とが混在されてる状態も多いです。普段から遊びに行っている場所や、温泉へ通っているような地域が仕事先だったりするので、休日にその場所を訪れて関係者に会う事もザラにあります。都会と比べると人も都市機能も限られてるのでそりゃそうだ。

そんな働き方なので時間帯を区切って仕事をしたり、ある程度の割り切りをした上で地域とは関わっています。多少めんどくさい事が起こりそうな時は早めに察知して本来の目的から見直して収束の方向へ持っていったり、不必要な事業は終わらせる、という判断をする事も。

一方でUターン者、色んな時間を削りながらも仕事を推進しているし、骨の折れることも対話を重ねながら進めている人が多い。そこまで徹底しているの凄いなと感じながらも、これがUIターンの違いなのかなと感じています。

Iターン者からすると、他に帰る場所があったり、別の地を選択肢として持つこともできてしまう。一方でUターン者からすると、自分たちの地元はこの地だし、この地でやることに価値がある、だからここぞという時の馬力が違う。

その馬力の根源を少し考えてみると、育ててもらった恩、若かりし頃の淡い思い出、変わりゆく故郷への戸惑い、衰退への危機感、人によってそれぞれ感情は異なるけど、個人的には深層にこんな気持ちがるから出せる馬力があるんじゃないかと思っています。

推進した事業が地元に根付く、自分の母校の生徒と関わる、昔からの知り合いが喜んでくれる、跳ね返っくる成果の種類もUターン者とIターン者とでは少し変わってくる。

逆にIターン者には、変な感情や人間関係がくっついてこないので動きやすかったり、客観的な評価をした上で人や事業をみることができたりします。純粋な気持ちで地域を良くしたいとか、この人と一緒にやりたいという気持ちが沸々と湧いてきたりも。

地元が長いと、過去の記憶と照らし合わせて「アイツは昔からこんな奴だ」みたいなバイアスを無意識のうちに持って接してしまいがちで、僕も地元に帰ればそうだと思う。

どちらかの良し悪しではなく、Uターン・Iターンとして明確に違いがあって、それに応じた役割も地域に存在している。

この点も1つ、僕が地元に後ろ髪を引かれている要因なんじゃないかなーと思うワケです。丹後でも頑張ってるけど、地元だと頑張り方変わりそうだなー、どんな動きするのかなー、とか考えたりします。

丹後を離れる離れないとかではなく、その場所、その地域によって、発揮される自分の力が変わってくるはずだから、色んな土地で仕事をして、人としての面白さや深みをより広げていきたい。


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