見出し画像

ニーズは来るのを待つのではなく、働きかけて発見するもの

はじめに

西日本豪雨(平成30年7月豪雨)で、自分の住む愛媛県も各所で被害があり、特に南部エリア(南予と呼ばれる)は今でも災害からの復旧に日々追われている。

今回の場合、河川の洪水・氾濫などによる家屋への浸水、山の崩落による土砂崩れが発生し、運が悪ければ家ごと洪水や土砂に流されて全壊し、運良く床上浸水で収まったとしても、家屋には大量の土砂が流れ込む状況になっている。

これらの土砂は大量の湿気を帯び様々な雑菌を運んでくるため、早期にかき出さないと、家はカビて、腐ってしまい放棄することになってしまう。

こうならないために、早期に入り込んだ土砂を家屋からかき出さないといけない。

そういえば、先月末こんな記事もあがっていた。

ニーズの収束=事態の収束?

災害ボランティアセンターは「ニーズが減って来ている」という発表を8月前半に一度していたのだが、現場から「収束という言葉は使わないでほしい」という意見があり、そういった言葉は使わないようになっていた。しかし9月に入り、全ての愛媛県の災害ボランティアセンターが、原則土日開設をメインにすることを発表した。これはボランティアニーズが平日募集するほど集まってないことに起因する。

では、これをもって「愛媛県は収束傾向に入った」と考えてしまいがちだが実際はそうではない。民間のボランティアグループでは、平日も活動を継続的に続けており、人手を必要としているからだ。ではこういう現象が何故起きているのか?

ニーズが出ないからちらしを配る、では解決しない

災害VCでは、ボランティアニーズを集めるためにパンフレットを作成し、人海戦術で配布や、ニーズの収集に明け暮れている。しかし思うようにいかないらしい。それはなぜかを少し考えてみたい。

諦めている「もうだめだ。。。。」

人は絶望的な状況に遭遇すると、運命を天にまかせて投げ出したくなります。何十センチもの土砂に埋もれた自宅をみたら、誰でも「もうダメだ」と諦めてもおかしくない。

自分が8月にお手伝いに行った吉田町の方も最初は『もうダメだ」と諦めていたそうだ。しかし、ボランティアに説得され、泥出しの専門ボランティアを中心に80人がかりで床下の泥出しを実際にやってもらい、徐々に家が元に戻っていく状況を見ていく中で、諦めていた心が「なんとかなりそう」に変わっていったそうだ。

絶望的に折れた心を戻すのは、本人だけでなく、周りの行動・そして少しづつ状況が変わって行くというプロセスを体感することが重要なのだと感じた。

遠慮している「ボランティアさんに悪いから。。。」

次にとりあげたいのは、外部の人に対する配慮だ。「大変だけどこの暑いさなか人様にご迷惑をおかけできない」という配慮が、ニーズを挙げることを妨げている。特にお年寄りにこのような傾向があるという話を聞いた。

自分でやろうとしている「これくらいは自分でできる。。。。」

上記の「遠慮」と組み合わさるのが「自分でやる」だ。人に頼むのも迷惑掛ける、あまり自宅に知らない人に来てほしくない、自分で時間をかければなんとかできそう、いろいろな理由があるが、「自分でなんとかする」と決めてコツコツやる人もいるそうだ。

しかし、今年は猛暑でタダでさえ体力を消耗するし、たとえ1人で時間をかけてできるとしても、1人で実施するのと、大勢で行うのでは、生活再建までの時間が圧倒的に変わる。特に床下の泥出しなどはカビとの戦いなので、ゆっくり時間をかけて事を行なってしまっては、逆に取り返しのつかないこともある。

お手伝いに行った家では、すべての襖に泥がついていて、その泥を雑巾で拭いてあげる作業をしたことがある。作業自体は誰でもできるし、ご自身でも時間をかければいつか終わる。しかし、そこに至る時間をもっと削減することができれば、もっと他の作業ができ、再建への時間が短縮できる。

我慢している「もっとひどい場所があるから。。。」

先の「自分でやる」の更に奥底には、我慢しているというのもあるそうだ。にわかに信じられないが、田舎の奥ゆかしい人柄は、自分の困ったことに手を挙げることすら憚ってしまう、そんな裏返しもあるのだろうか?

「もっとひどいところがある。自分はまだマシだ。我慢して自分でやろう」と口を閉ざしてしまうのかもしれない。

来てほしくない「知らない人に来られるのが嫌だ。。。」

これは複数の方に聞いた話だが、実際に「知らない人には来てほしくない」と考える方がいるそうだ。そういう地域ではコミュニティが結束し、外部から人を募る前に自分たち、あるいは親戚一同が集まり対応してしまうケースが多い。ただ、そういう気持ちはあっても、高齢者メインの集落では、なかなか復旧も難しいので、外部に募らないが、復旧も進まない、というケースも有る。

気づいていない「うちは大丈夫。。。」

最後に、そもそも「気づいていない」というパターンもあるのだと、先日の愛媛県の県域支援者共有会議で知った。家屋はなんとか無事で、床を剥がしてない状況の場合には、床を剥がしてみて初めて泥の堆積に気づくことがあるそうだ。

床下に泥が堆積したままだと、どんどん家が傷んでいく。こういった「遅れて来たニーズ」がこれから表出化される可能性が高いそうだ。

誰もいない「人が住んでないから。。。。」

そして、そもそも避難してしまって周辺にもはや生活していない場合は、当然だがそこからニーズは挙がらない。上記「諦めている」とも重なってニーズは挙がらないのは自明だ。

ニーズはただ聞いても出てこない

上記に挙げたものは、どれかひとつではなく、複数重なり、複雑に絡み合って、本当に自分が求める事を表出することを妨げているのではないだろうか。

これらを踏まえると、災害時のボランティアニーズというものは、人の心の外側にある様々な感情・思いに覆われていて、この外側の覆いをひとつひとつ剥がしていくことが必要なのかもしれない。

そして、その人の感情をうけとめ、その人の心を露呈してくれるための関係性を作ってから初めて、本質的に求めるニーズ(=必要としていること)を発見し、それを表に出すことを妨げているものを取り除き、ニーズを満たすためのリクエスト(=具体的に求めていること)が必要なのかを見出すことができるのだろう。

その人自身が自分の気持ちに気づき、整理されるまでは、本当に何が必要なのかがわからず、言葉にもできない。そういった状態では、ニーズはきっと挙がらない。ボランティアニーズは、そういったステップを踏まないと出てこないものだとしたら、チラシ配りでは到底足りないと感じる。

心のケア、気持ちの整理といった、その人の内側に丁寧に寄り添っていくプロセス、言い換えると「おせっかい」も同時に必要なのだろう。

現在、宇和島市では災害VC、災害NGO結オープンジャパンの皆さん、その他各ボランティアグループが、一軒一軒回り丁寧にニーズの収集をされていると聞く。その成果が現れ少しでも皆さんの生活再建が早まることを願うばかりだ。



皆様のサポートによって、より新たな知識を得て、知識と知識を結びつけ、実践した結果をアウトプットして還元させて頂きます。