見出し画像

スクフェス大阪2023 四国トラックの感想とまとめ

スクフェス大阪で四国トラックやりました!

先週の土曜に、スクフェス大阪で四国トラックを主催し、そこで『不快ヲ抱擁セヨ』を話してきました。同時に四国トラックの主催もAgile459で行ったので、その感想も合わせて書きます。

不快ヲ抱擁セヨとは?

このセッションは、先にタイトルが浮かんで、それをどう伝えていくかをまとめました。アジャイル(XP)時代から、僕たち第一世代が刷り込まれた「変化ヲ抱擁セヨ」は、本質的には「不快ヲ抱擁セヨ」であったのでは?というのが私の発見および仮説です。

そこに、ここ数年取り組んでいる、内的世界の自己分離からの統合プロセス、NVCをベースに、そしてこの1年くらい本格的に学んでいるPCM(プロセスコミュニケーションモデル)や人格適応論に基づいた、一人ひとりの個別性とそこから生まれる感情の違いとその扱い方、そしてネガティブ・ケイパビリティなどを踏まえてまとめました。

昨年のXP祭りでも伝えた「フォース」と「パワー」の違いは、不快を味わった上で願う方向に進むために選んだ行動なのか、単に不快を回避しようとする行動なのかの違いとも言えます。そういう意味で、今回のセッションは昨年のXP祭りから地続きになっています。

アジャイルの文脈では、ふりかえり(レトロスペクティブ)で改善していきますが、改善が単なる不快の回避行動に陥っているケースがあるともったいないです。また、個人の日常の中で、どれだけ不快の回避にあてているかも無自覚なのが普通です。

「不快ヲ抱擁セヨ」とは、まず自分が自分自身の不快に向き合い(自己共感して)、単なる回避行動に終始するのでなく、ニーズを自覚して満たす行動へと変わるということです。そして他者の言動に反応するのでなく、他者の不快に共感して、互いのニーズを満たし合うように行動を変えていくことを目指します。

仕事の様々な場面にある不快を「あってはならない」とせずに、どれだけ受容し、不快の伝えるメッセージを読み取れるかを日々練習してみてください。仕事の成果は、その後に自ずとついてきます。

四国トラックの設計について

今回の四国トラックでは、私が不快についての概念的な話を中心に伝えた後で、後のセッションでその具体例をそれぞれの登壇者が話していくというトラック構成にできればいいなと、ぼんやり考えてセッションを選択させてもらいました。

当日は、四国トラックをずっと聞かせてもらいましたが、最初の狙い通りで改めて感動しました。スクフェス大阪の動画視聴ができる方は、ぜひ四国トラックを順に聞いてもらう、あるいは、一番最後に『不快ヲ抱擁セヨ』を視聴してもらうと、そのつながりが見えてくるかもしれません。

以降で、各セッションの私の感想と、どう繋がるかをメモしていきます。

PTMFを使って自分の物語を考えてみる

OgasawaraさんのPTMFの話は、自分の痛みの体験を振り返るのによいフレームワークだと思いました。

個人的には「メンタルモデルワークブック」を使って、不快の反応を自己分析することをよくやりますが、時系列で自分の人生体験を整理することも行います。PTMFは、この時系列の体験と意味の整理のフレームワークと捉えました。

不快の反応行動を見ていくやり方は、現在起きている事象の内的構造を見ていきます。一方、PTMFは、その元となる過去の体験のインパクトを時系列で追っていきます。現在の事象の不快や内的構造と、過去の体験は殆どがリンクしており、ここが繋がるとなぜ今の自分が同じパターンを繰り返すかを自覚することができます。

心理的苦悩は誰しもありますが、自分で感じて癒やすことが大事だと思います。私自身もこれまで何度も過去の痛みの体験と、自身の現在の行動のリンクを発見し、自覚し、それを癒やすことを繰り返しています。そうやって、自分に共感し癒やすことで、人は徐々に変容していくのです。

Discordでチームでやってみたい、という話もありましたが、こういう自分の痛い体験を共有するというのは、絆が深まるのでやってみるといいですね。

悩み方の考え方 〜悩みのモンスター化を防ぐために〜

さささんのこの発表は、私の発表と密接に繋がっていて、とてもよかったです。さささんが言うところの、悩みのモンスター化とは、不快の反応・回避行動の積み重ねとも言えます。不快をただ回避するのでなく、自分の不快に寄り添った上での行動の事例だと解釈しました。ご自身で見出した知見という観点も素晴らしかったです。

自分の特定の場面の行動パターンを自覚することが、不快を抱擁する上での第一歩となるので、ぜひ参考にしてもらいたいです。

スクラムアンチパターンを踏みまくったときの話をしようか

Ashiharaさんの、スクラムアンチパターンを踏んでしまった時の体験談でした。割り込み作業、掛け持ち、スプリントレビュースキップ、デイリースクラムスキップ、などなど、どれも生々しく、聞いてる人たちも「それはつらい」という反応が多々ありました。

エンジニアリングマネージャとスクラムマスターの兼務なども参加者から質問がでていました。Ashiharaさんの「想定されるリスクを提示して、それでもやめるという選択した現場を尊重する」振る舞いもよかったです。

この話を聞いて、私はアンチパターンについて、2つの感想が浮かびました。

まず1つ目は、アンチパターンに陥るという話を聞いたときに、そもそもアンチパターンにハマってしまうという時点で、そのソリューションは未完成なのではないか?という印象を持ちました。

僕らはアンチパターンに陥ったという話を聴くと「あー、やっちゃったか」と感じます。しかし、そもそもアンチパターンに陥りやすいという時点で、その落とし穴をどう塞ぐかという観点が足りていないのかもしれません。

今回でいうと、イベントのスキップや、兼務の話は、状況によっては容易に想定される(人が易きに流れる)内容です。なぜなら、状況がそのような方向に向かわせるフォース(制約条件)があるからです。それを「アンチパターンだからやってはダメだよ」とか「決まったことををしっかりやる」というアプローチだけでは片手落ちではないでしょうか?

現場の状況を確認したときに、アンチパターンに陥りやすい状況が事前に察知できていたら、他にやりようがあるはずです。このあたりの「どう始めていくか」「そのままでは、うまくいかなそうであれば、どうすればいいか」の知見がまだ足りていないのかもしれません。

もしかすると、スクラムやアジャイルソフトウェア開発自体のReadyの定義を明確にしておく必要があるのかもしれません。スクラムは決して銀の弾丸ではないし、どこでも、どんな状況でも当てはまるものではないのですから。その前提条件を満たしていなければ、当然うまくいくはずがないのです。しかし、その前提条件にどれだけの人が自覚的でしょうか?

2つ目は、アンチパターンは「一度ハマってみることで、本来やりたいことの必要性を知る、という意味で重要ではないか」ということです。本や話だけ聞いて「スクラムは全部やらなけれならないと書いてあるからやる」と始めたり、あるいは「研修などの理想的な環境でやった成功体験があるからやる」でもなく「これをやらないと、こうなっちゃうから、必要なんだ」という意義・必要性を、頭ではなく身体で学ぶ体験は、前者の状態と比べて大きなアドバンテージになります。

私は以前から「守破離」よりも「破守破離」というプロセスの方が真の意味で学びがあるのではないかという仮説を提唱しています。

なぜなら「守」からはじめると「なぜやるか」が容易に抜け落ちるし、それほど考える必要もありません。せいぜい「頭でわかったつもり」に留まるからです。経験主義的にも、早期に失敗して学ぶことが本質的には重要なはずです。

「破守破離」においてアンチパターンは「破」にあたります。一度アンチパターンにハマってしまえば、そのプラクティスの本当の意味に気づくことができ、身体と心の底から必要性がわかります。知識としてではなく体験としてわかるのです(=身体知)。必要性もわかった上で守に移行できるのです。

もちろん、一度不快な状況に陥る必要がありますが、それでも、アンチパターンにハマったということは「スクラムの必要性を身体で学んだ」という身体知を得ることにも繋がります。

「いやいや、そんなことしなくても、守ってればアンチパターンなんてハマる必要がないじゃん」という意見もあるでしょう。しかし、それこそが、今回のトラックテーマで私が言うところの「不快の単なる回避」であり、合理的、最短距離で物事に向かいたい、という思考がゆきつく結論なのです。どちらが良いという話ではなく、どちらの道もあるという話です。

アンチパターンにハマって、不快な状況を体験し、そこから本当にプラクティスの必要性に気づいたというプロセスは、まさに「不快ヲ抱擁セヨ」だと思います。アンチパターン上等!の意気で、皆さんどんどんハマって、真の必要性に目覚めてほしいと思います。その体験には必ず意味があります。

ちなみに、私は巷の「守破離」(特に海外の人が語るShuHaRi)の解釈にはだいぶ懐疑的です。元々の守破離の意味を以前色々調べましたので、気になる人はチェックしてみてください。

形式スクラムの功罪

Hiranoさんの「形式スクラムの功罪」は、私がそもそも「形式スクラム」とはなにかがよくわからないまま話を聞いていました。途中からどうもコンテキストはWFライク(!)な現場でスクラムを始めようとして、形式的なイベントを実施する取り組みをしたという話のようでした。

制約の中でできることを始め、壁にぶつかり、そこで悩み試し、ふりかえり、改善を続けたレポートです。

この話を聞いて、私は2004〜2010年くらいに日本語の多くの現場でやっていたプロジェクトファシリテーション(PF)を想起しました。

PFは、アジャイルがそのまま受け入れられない環境下で、できることを現場で取り入れていくアプローチでしたが(昨年のXP祭りでも話した)、そのような現場の制約と、実現したいビジョン、できる工夫や小さなステップで進めてる感じに懐かしさを覚えました。

「現場でスクラムをはじめる」とは、私達が考える以上に大きな変化ですが、2020年代においてもそうなのだと再確認しました。

個人的には、最初からフルスクラムにこだわらずに、スモールステップで現場に必要なことを着実に進めていくプロセスも必要なのでは、という気づきがありました。これはあくまでもスタートを小さく始めることであり、以前書いた「小さくアジリティを向上させていく」様子を解説した記事でも紹介しています。登りたい山頂は同じでも、道は違って良いのです。

君たちのスクラムが炎上するのはリスクコントロールができてないからだよ!!!

Nitoさんの発表は、また一風変わった面白さがありました。スクラムの炎上案件をどう乗り切ったか、というお話でしたが、具体的には「ストーリーの優先順位が決まっていない」「ストーリーを全部やるつもりだったPO」という状態のチームにジョインして、少しづつリスクコントロールを行っていったという内容でした。

Nitoさんがやられてきたことは、炎上案件でどう混沌に落とし所をつけるかなのですが、言い換えると「普通にアジャイルにできるようにしました」という話なんですよね。

これのどこが面白いかというと、このチームは最初の時点で「スクラムをやっているつもり」なのに全然理解もしてないし、できてもいなかった、という点です。

そもそもスクラム自体が、WFの炎上案件のカオスな状況を、どうやってコントロール可能にするか、という現場の知恵が元になっています。(実際にWF案件で炎上した経験のある方なら、スクラムを知らなくても過去に似たようなことを現場で体験している人も多いのではないでしょうか)。

たとえば、にっちもさっちも行かない炎上案件は、毎日チーム全員で進捗や課題を全員で共有し、その日の仕事をどう終わらせるかを話し合う(デイリースクラム)、計画どおりに全然いかない時は、毎週全員で計画を見直し、やることを最新の状況に合わせて更新していく(スプリントプランニング)、計画が破綻してしまった状態では、やらないといけないことをすべて洗い出し、優先順序付けして、本当に必要なことを上から順に片付けていく(PBL

などなど。

元々このように炎上案件のカオスをコントロールするためにスクラムの各プラクティスは生まれました。それなのに、スクラムでそれらをやらずに炎上案件になってしまうという逆説的な状況が本当に興味深かったです。

Nitoさんは、そのように破綻しているスクラムチームにおいて愚直に基本を実践していったのです。

この件も「破守破離」的みたら全然OKで、それぞれのプラクティスの必要性を身体で学ぶことができてよかったですね!となります。

次世代に火を灯せ

最後に、竹田さんの発表は、前向きな話がとても多かった印象でした。3年目で後輩のことを考えるという視点にも驚かされました。

発表の中で「知識の塔にはなりたくない」という表現がありました。これは、聞いたらなんでも答えてくれる先輩がいたのですが、その方の立場になって「自分が聞ける」人がいない状態だと、本当はもっと良いアイデアがあるはずなのに自分のアイデアに落ち着いてしまったり、自分のアイデアが十分検討されないまま採用されてしまうプレッシャーがあったりするのでは?ということを危惧されていました。この話を聞いて、私は「チームが特定の人への依存度が強すぎる」ことへ課題感を想起しました。

古き良きアジャイルの時代は、このような状況を「トラックナンバーが1」と呼んでいました。トラックナンバーとは、チームのメンバーが、ある日突然、交通事故でトラックに跳ねられて入院したり亡くなってしまうと、プロジェクトが立ち行かなくなる人数という意味です。(同じ意味でハネムーンナンバーというのもあります。こちらはブラックじゃないので好んで使う人もいます)

竹田さんは、チーム全員が手持ちのカードを晒した上で、その場にないカードを常に探しに行く、というメタファでチーム内の共有について説明されていました。アジャイルチームは「トラックナンバーをどう増やしていくか」を常に考えますが、このような取り組みを続けていけば、トラックナンバーは増えていくのだと思います。

不快という観点で四国トラックをまとめる

四国トラックは「不快ヲ抱擁セヨ」というテーマで各セッションを選ばせてもらいましたが、予想どおり、それぞれの現場の悩み(=不快)があり、それをどう乗り越えてきたかという話が多かったように思います。

現場で不快な状況に陥って悩むことも多いと思います。しかし不快を単に回避しようとするのでなく、その不快に向き合いじっくり味わうことで、本当の智慧に繋がることができます。そこで行ったことが、既存のプラクティスなのか、それとも新しいことなのかは問題ではありません。その場で、工夫して実現し、自分たちでたどり着いたこと自体が素晴らしいのです。

特に今回、アンチパターンの話を聞いて、アンチパターンに出会ったことをむしろ喜ぶべきではないか?という気づきが降りてきたのは自分でも驚きました。更に私が提唱していた「破守破離」と繋がりました。

そして、「アンチパターンをそのまま放置しているという状態も実はカイゼンの余地があるのではないか」あるいは「スクラムという段階の手前から、より小さなプロセスを刻んでスクラムに向かうアプローチがもっと知られてもいいのでないか」という気づきも降りてきました。

アジャイル・スクラムは、失敗を回避すべきものと恐れるのでなく、未知を既知に変えた学びと捉え、勇気をもって不確実な世界を歩む考え方です。そのアジャイル・スクラムへの取り組み自体も、失敗を恐れるのでなく、不快を抱擁しながら、どんどん挑戦していってほしいです。

「あれをしてはダメ」「これは効率的ではないからいけない」といった禁止令や制約に縛られるのでなく、自由に皆さんの状況で試したいことをドンドン試してください。恐れに縛られていては、真のアジリティは掴めません。

これらの気づきは、現場の生々しい話を聞けたからこその発見だと思います。登壇して頂いた皆さんありがとうございました。そして参加して来てくれた皆さん、ありがとうございました!

そして最後に、四国トラックをしっかり支えてくれた@tafujitaさん本当にありがとう!!あなたがいなければ、今回の四国トラックは存在できませんでした。深く感謝します。。。

皆様のサポートによって、より新たな知識を得て、知識と知識を結びつけ、実践した結果をアウトプットして還元させて頂きます。