プレゼンテーション1

教師の在り方が表れる一言

大野睦仁さんが,私の学級の参観をした翌日の講座で,
「子どもが授業の振り返りを書く場面,皆さんは何と言葉をかけますか?」
と,参加者の皆さんに問うた。
(僕なら何て言うかなぁ?)と考えていたら,大野さんが
「なおさんは,なんて言ったと思います?『みんなの考えたことを,教えてください。』と言ったんです。」
とおっしゃった。
驚きが2つ。
1 ぼくは,この言葉を無意識に使えるようになっていた。
2 大野さんは,そこを見るのか!
だった。

いっこう子どもから学ぶことができていなかった

大野さんは,この話『教師の在り方』の一つの具体例として取り上げた。
そう。僕は,これまで
(子どもから学ぶ教師になりたい。)
(子どもと共に成長できる教師になりたい。)
と思っていた。
でも,現実は難しかった。
「教えなさい」「力をつけさせなさい」というお達しのもと,
それを乗り越えたり受け流したりできない自分の弱さから,
僕は,いっこう子どもから学ぶことができていなかった。
それでも,10年間足掻いてきたことは無駄ではなかったのだ。
僕は,自分自身の教師としての在り方を,この言葉から考える。
やっと今。僕は,子どもにいろいろなことを教えてもらっているのだ。
特に,大野さんに参観いただいた道徳の授業では,本当にたくさんのことを教えてもらっている。
今日は,道徳の授業への記述を通して,教師の在り方を考えたい。

横槍を入れることを,『ゆさぶり』なんていって勘違いしていた


僕達が行う授業では,みんなが語る。
導入で語り,展開で教材について考える。
最後は,一人一人がテーマに合わせたシンボルマークをつくり,それをもとにもう一度語る。

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話し合うではなく,『語っている』とぼくの目には見える。
「より良く生きるってどういうこと?」
「正義って,何?」
「自分の可能性を広げるためにできることは?」
テーマは多岐にわたる。
もともとは,5・6年生の複式学級の授業をなんとか実現するための対応法でしかなかった。
異なる二つの教材を同時に使って授業しなければならないという特異な状況で,
「主題で授業を貫かないと話し合いが成立しない。」
という必要に迫られてはじめた授業スタイルだったのだ。
でも,実際に取り組んでみて,驚いた。
子ども達は,道徳について,考える力を持っている。
発言しない子なんて,1人もいない。
ぼくが入らなくても,質問の作法さえわかれば,ずっと話し合いは続く。
子ども達は,「命を大切にしていきるために」というテーマにも,向き合い考える力を持っている。
そして,それを表現できる力も。
でも,行動するのは難しい。それでも,本当はしたい。
その葛藤が授業の中で,たくさん垣間見れる。
その誠実さや真剣さは,私以上だ。
思えば僕は,その当たり前の葛藤に,
「本当にできるの?」
「じゃあどっちなの?」
と横槍を入れることを,『ゆさぶり』なんていって勘違いしていた。
あぁ,恥ずかしい。
それで,(子どもと一緒に成長する)なんてよくぞ言ったものだと思う。
今は全体に目を配りながら,ぼくも話し手や聞き手の一人として,子ども達の議論に入ることが多くなった。

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ぼくに手伝えることは何だろうか

話を戻す。
この授業の魅力は,授業後の振り返りにもある。
これまでは,授業の流れに沿った,同質性の高いの振り返りが多かった。
でも,この授業では,一人一人が多様な振り返りを書いてくる。
全然似ていない。
そして,その多くは自分の「これまで」を見つめ,「これから」を考えている。
そして,それを読むのがぼくの楽しみだし,学びになる。
ぼく自身の物語に照らして,
(そうかぁ。なるほど。分かるなぁ。)と。
その子の物語に照らして,
(この子は,今この考えを大切にしているんだ。だから,あそこであの行動をとったんだな。)
(この子は,今これに挑もうとしているのか。ぼくに手伝えることは何だろうか。)と。
たった45分で,貴重な出会いにたくさん遭遇する。
そして,その出会いに感謝しながら,短い言葉でフィードバックを返す。
思うに,ぼくが「教えてください」という言葉を子どもに投げかけるのは,
こういう経験の積み重ねから生まれたんだと思う。
(子どもと一緒に成長したい)という曖昧な思いを,具現化するための試行錯誤を通して,出てきた言葉なのだと思う。
今は,「この言葉を使うといい。」「こうすると子どもが変わる。」という情報が溢れかえっている。
これは日常生活でも同じだ。
(情報の渦に飲み込まれず,自分の足元から)ありきたりな表現だが,本当にそれが今の僕を作ってくれている。
一言を真似しても,言葉が上滑りして,子どもには伝わらない。
きっと大野さんは,ぼくの言葉から,ぼくの足元を見ることができるのだろう。
だから,ぼくの『在り方』をこの一言に凝縮させたのかもしれない。
そんなことを実感した,「大野さんの問い」だった。

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