見出し画像

写真を撮る感動を、知りたいなあと。

今日は写真の話。
青と白だけで染まった道、広く透き通った空の下、Pixel 5a のレンズを道端の雪だるまに向けながら考えたこと。

写真が好き、というみなさん、ぜひ教えて欲しいことがあります。
みなさんは被写体を撮るとき、何を感じながらシャッターを押すのでしょうか。


ぼくは人生の大半を「写真は撮らない」というポジションを取って生きてきました。それは写真を撮る、ということが、現実の体験価値をカケさせると思っていたからです。

雑で極端な例を出すとすれば、一時期 Instagram の映え文化をディスるどっかの界隈で聞いた気がする「パレードを必死になって写真撮ってる人、目の前のパレードを見ずにちっちゃい画面に執着して何がしたいの」ってやつのこと。

写真を撮る、ということは撮りたい被写体があるということ。そしてきっとその被写体がその人にとって魅力的である、ということです。

そして写真を撮ろうとすると、どうしたって「写真を撮る」という行為に集中することになります。ぼくは写真に詳しくないけれど、少なくとも現実の被写体に 100% 集中しながら写真を撮るということは難しいのではないかと想像しています。行為と被写体と、集中は必ず 2 分される。

ぼくにはそれがとても勿体無いことのように感じてしまうのです。対象に期限があるときなんかは特にそう。その一瞬を見たり、聞いたり、触れたりして、自分のうちに湧き上がる感情や考えを捉えるために全力を傾けたくなる。
そうなると、写真に割ける集中なんて全然ないのです。

だから基本的にぼくは、写真は撮らないようにしてきました。
料理は写真を撮る間も無く食べたいし、撮影可の展示会でも写真は撮らない。後から見返すより、今の体験を 100% にしたい。ライブなんかはその最たるもの。
今この瞬間に、集中せよ。

そんなぼくだったのですが、最近、ひょんなことから写真を撮るようになってしまいました。

きっかけは、週 1 回行われる会社のチーム定例。
なぜ?って感じですよね。なかなか謎な響きです。

この定例、毎回おわりかけに「雑談」タイムが設けられていまして。※

週末こんなことやってきたよ、という話を各々好きに話すのですが、箇条書きでやったこと書くのもつまらないので、写真を貼って共有するんですね。

しかもチームメンバーがアクティブな人ばっかりで、山行ったりキャンプ行ったりうまい飯食ったりしてるもんだから、つられて自分もと、外に行き、写真を撮るように。

いつの間にかそれが当たり前になり、色も味もないスクショの束だった Google フォトは、緑と青と白とオレンジ、色とりどりの自然が彩るなんだかきらきらしたアルバムのようになっていきました。

それなりに決意を持って写真を撮らない選択をしていたつもりが、共有する場ができてしまった途端に変わっちゃうなんて、我ながらちょろいもんです。

まあそれは良いのです。

そのおかげで行けた場所や見れたもの、体験できたものがたくさんあったから、こういう機会ができたことにはとても感謝しています。でなければアクティブにいろんな場所に出かけていくようなこと、多分は自分はしていなかったでしょう。

そう、アクティブに外に出かけるのはいい。とても楽しい。
ただそこで写真を撮るようになったことで最近、やっぱりまた体験価値のカケを、感じるようになってきたのです。


今朝は雪の積もったつくばを撮ってやろうと Pixel 5a をカメラモードにしながら外を歩き回っていました。

つくばに来て初めての雪。真っ白に化粧したいつもの道は、ふかふかと優しかったり突然つるりとそっぽを向いたり。引っ張り出してきたハイカットのあったかいブーツが、しっかり地面を掴んでくれて頼もしかったわけなんですが。

カメラを片手に持っているとずっと、被写体を探そうとしている自分がどこかにいました。「写真に収められる何か」を、探している気がしてしまうのです。

きれいなものを見て、素直にきれいだなと感じたい。
けれどカメラを持っていると「どう映したらきれいかな」と考えてしまう。それはそれ自体としてきれいなはずなのに。

カメラを持つだけで、プリミティブな感動とはやっぱりどこか違うものが生まれてしまう。雪にはねる光の暖かさや、透き通る青の心地よさが隠れてゆく。その歯痒さが、拭いきれないのです。


写真が好きなみなさんは、被写体に向かうとき、どういう気持ちでいるのでしょうか。

写真を撮ろうともプリミティブな感動を失わない術を持っているのか、
それとも写真を撮るということが、それ自体とし換えのきかない感動なのか。

良い悪いでも善悪でも勝ち負けでもなくて、ただ知りたいなと、そう思ったのでした。


ちなみに、こんなことを考えてなんだかモヤモヤとしてきてしまったぼくは、その後、誰にも踏み込まれることなく奇跡のように丸く柔らかく積もった路傍の雪を見つけ、全力で開いた左手を思いっきり突っ込んでやりました、ええ。

一瞬で痺れる切れ味抜群の冷たさと、ひとつだけ出来た手形の気持ちよさたるや。


※以前 note の Podcast に出演した際に定例の雑談タイムについてもお話ししてます。興味があれば、聞いてみてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?