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ブックレビュー「企業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男」

本書の著者は日本経済新聞社を2016年に退社した大西康之氏。大西氏と言えば日経ビジネス編集委員として、歯に衣着せぬ数々の記事が記憶に新しい。特に2016年に不正会計問題で揺れる東芝の株主総会への突撃取材はジャーナリストとしての面目躍如で、彼は後に「東芝解体 電機メーカーが消える日」、「東芝 原子力敗戦」といった東芝本として上梓している。

さて、その大西氏が執筆した最新作がリクルート社の江副浩正氏に関するこの本である。

私が大学を卒業して社会に出たのが1985年。自分自身の就職活動での企業選びには何ら哲学も無く、バブル経済が膨らもうとする浮かれた昭和の時代の中、判官びいきの性分からか、また単に好奇心や勇気、そして自分への自信が無かったからなのか、巷で名前の売れている企業に靡くのを良しとせず、マスメディアでの露出が大きいリクルート社に就職活動することは一切無かった。しかし、ちょうど私の前後の年代辺りからリクルート社を就職の選択肢としたり、入社する人が増えていたのを覚えている。

当時リクルート社に入社した先輩や後輩に同社の様子を聞くと、「まるでアルバイト集団」、「クラブ活動のよう」、「凄い人がゴロゴロいる」、「仕事は大変で遅くまで皆働くんだけど、皆が楽しそうにしている」といったコメントが多かったと思う。私は結局財閥系の中でも地味で、石橋を叩いて渡らない上に、出る杭は打たれて、組織の中での上下関係がはっきりした伝統的な日本的経営企業に勤めていたので、彼らが語るリクルート社の文化とのギャップが大きすぎて、正直ほとんど理解不能だった。

本書で記されている当時のリクルート社の文化は私の先輩や後輩が口にしていたものとほとんど相違無い。「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という社是、「君はどうしたいの?」と聞かれ「じゃあそれ、君がやってよ」と言われる「言い出しっぺ」のカルチャーは、東大で心理学を学んだ江副氏が日立の人事からリクルートに転じた大沢武志が著した名著「心理学的経営 個をあるがままに生かす」にあるモーチベーション理論をベースとして、「圧倒的な当事者意識」または「社員皆経営者主義」として築いていったものだ。

そして、それは「日本型経営」と全く相反するもので、本書にある通り「日本型経営」に辟易した優秀な人材がどんどん惹きつけられていった。

しかし今思い出してみると私の周りの関係者から江副氏に関するコメントがあったような記憶が無い。当時既に既存の事業に興味を失っていた江副氏は新入社員にとって身近な創業者では無かったのかもしれない。

2021年の今、所謂「リクルート事件」も風化し、当時の記憶が曖昧になっているが、改めてこの本で「リクルート事件」を復習してみて解かったのは、「リクルート事件」は1985年前後から昭和が平成に代わる時期での江副氏の急進的な変化が招いた事件だったのだ、ということだ。そしてその直接的な原因は不動産と政治への深い関与であり、間接的な原因は「虚業」と言われたリクルート社の事業を当時の多くの一流企業が従事する製造業と同様に「実業」として社会に認められたいという強い願望と怒りだったのだろう。

本書では江副氏の生い立ちにも迫っている。実母と二人の継母を含む三人の母親という家庭環境、小学校時代の飢餓と貧しさ、成績優秀であったことから富裕層の子弟が多かった甲南中学・高校への進学、そして学生運動盛んな中マルクス主義のイデオロギーには奇跡的に染まらず、合理主義の江副氏は日本の高度成長の波に乗り、近代経営のマネジメントを説くピーター・ドラッカー、そして新自由主義に傾倒していく。

ビジネスの革新面で江副氏時代のリクルート社が成し遂げた功績は大きい。それまで効果が定かでは無い不特定多数への広告が主流だった新聞広告に対してターゲットを絞った広告を打つという考え方、クラウドコンピューティングやハードウエア・ソフトウエアの又貸し・切り売り、オンデマンドで情報を検索できるサービス提供等多くの部分で、グーグルやアマゾンなどの現代企業が実現するコンセプトと類似していることを著者の大西氏は指摘する。

しかし米国の起業家たちにあって江副氏に無かったものがある。それは「親身になって大所高所からアドバイスし、ときに倫理に悖るふるまいを諫めてくれる年長者」、「エンジェル」と呼ばれるベンチャー投資家がいなかったことだ。そして残念ながら今もベンチャー企業に対してそういった役割を果たせる人達は日本にはいない。まさにガバナンス不足である。

本書では、江副氏が「法に触れさえしなければどんどんなんでもやってみろ」という祖父からの教えを受け、リクルート社が成長する中、父親仕込みの株取引へ没頭し、仕手戦で兜町「最後の相場師」といわれた是川銀蔵が「買い方」に立つ中、売り方の江副に軍配が上がったという伝説まであったことも描かれている。

銀座のG8を建てた時には、社長室の奥にディーリングルームまで作っていた。そしてリクルートが得た求人情報から得た経営情報をフル活用し「売り」「買い」を繰り返し運用益を上げていた。また不動産情報で得た一流ディベロッパーの開発情報を競業子会社のリクルートコスモスに流していた。これらは当時は法整備すらされていなかったインサイダー取引そのものだ。

政財界の大物20人を有罪に追い込んだ戦後最大の疑獄である「リクルート事件」による江副氏の逮捕、不動産バブルにより経営不振に陥るファーストファイナンスとコスモスを救済するために江副氏が持ち株を92年にダイエーに売却する決断。その激動のリクルート社を救ったのは「若い会社はいかがわしいもの」としてダイエーが破綻するまでの8年間リクルートの「いかがわしさ」を残した中内功だった。

リクルート社は江副氏が退任してから三人の社長が引継ぎ、ついに再建計画が始まって15年後の2006年に一兆8,000億円の借金を返済。その間、江副氏が愛した安比リゾート事業はタダ同然で売却され、昭和のリクルートの象徴だったカモメのロゴも使われなくなった。

江副氏は2013年、その安比でのスキーからの帰りの新幹線のホームで倒れ急逝している。希代の起業家が残した税引き後の遺産はわずか74億円だった。リクルートのホームページ上の社史には、リクルート事件のことも、創業者である江副氏の名前も無い。

2014年にリクルート社は東証一部に株式上場、2020年の株式時価総額は7兆8,506億円で国内10位。2019年3月期の連結売上高2兆3000億円の内1兆円を海外で稼ぐ企業になっている。

もはやリクルート社には中内氏が評価した「いかがわしさ」は無いのか。あるいはDNAとして脈々と受け継がれているのか。はっきりしているのは再建を遂げるまでの15年の間にリクルートは江副氏時代のリクルートから強く逞しく進化していったことだ。

次の挑戦は海外売上高が急伸する中、日本発のリクルート文化をグローバルに働く社員にまで広げていけるかどうかだ。それはこれまで以上にワクワクする挑戦かもしれないし、新たな激動の時代の始まりになるのかもしれない。





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