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辛い気持ちがこの世からなくなるとしたら

こんちは、かわこうです。
今日はkugshun先生のvoicyからお題をお借りして。

みなさん、究極の選択として、

2度と苦しい感情を抱かずにすむ代わり、愛する力や思いやる力を失い、誰のこともなんのことも大切に思えなくなります。
愛することや思いやることはでき絆も作れます。代わりに心配や自己嫌悪、妬みなどの苦しい感情が生じます。

どちらを選びますか?

今の僕であれば、②を選びます。
10代~20代の頃の僕も②を選ぶかもしれませんが、行動が①に向かっていってたんだなあと振り返ると思うところがあります。

去年の臨床心理士の先生のカウンセリングで、
「妻や子どものためを純粋に思いやった行動があまりできない」
という悩みを話したことがあります。
いわゆる「利他的な利他」が難しく、行動がどうしても「利己的な利他」になってしまうということです。

先生との話の中でのこの原因の1つは、子どもの頃にそういうものを自分が家族から受けてこなかったのかもしれないね、ということ。

そしてもう1つが今回の話。
思春期以降、僕もそれなりに苦しむ経験をしてきました。
学校のクラスで馴染めない、部活で馴染めない、失恋、大学受験での失敗などなど。

高校生の時、学校のクラスで馴染めないなあと感じると、「自分には部活の仲間がいるから」と逃避的になり、学校のクラスで馴染めないことに向き合おうとしない時期がありました。
逆に、部活の人間関係が嫌になると、これまた逃避的に「学校のクラスがあるから」と部活の人間関係と向き合わない時期もありました。

失恋が最も象徴的です。
何度か失恋をしてきました。
大学生以降、失恋をすると、あまりにも苦しいので、その逃げ道としてお酒に溺れたり、他の女性で埋め合わせようとしたり、とにかくその苦しい思いを麻痺させるような行為ばかりに走っていました。

だんだんと、どうせいつかは失恋してしまうから、その時に備えて自分の苦しみが少なくなるよう、代わりになる人やモノをあらかじめ頭の中で用意していた時期もあったと思います。

こうやって、自分の苦しみ・悲しみと向き合おうとせずに、すぐに逃避行動に走ることによって、心が育たずに、今家族との関係で問題が生じているのかもね、という先生のお話でした。

まさに今回のkugshun先生のお話で言う、①のような結果をもたらすような行動をとっていたんだなあと今となっては思います。

逃避グセはすぐには改善しないかもしれませんが、少しずつでも、改善していければなあと思います。

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