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「また連絡するね」を期待する呪縛を解きたい

人から言われる「また連絡するね」にどうしても期待してしまう。社交辞令的な意味合いで使われることも使うこともあると分かっているのに。

特に大好きな友達から言われた時にはずっとそわそわしている。またっていつ頃だろう?といつか分からない ” また ” をずっと待ってしまっている自分がいるのだ。

そして「また連絡するね」と言われたらこちらからは連絡はしない方がいいんだろうなと思ってしまうからただ待つばかりでもやもやしてしまう。

そして待っても連絡が来ない時、悲しみが怒りに変わってしまうこともある。連絡するって言ったのに!してくれないじゃない!ってなんだかとっても裏切られた気分に陥ってしまていた。

友達との温度差があることに寂しさを感じてしまう。

人から「必要とされたい」と思ってしまっている。
人から「愛されたい」と思ってしまっている。

その裏には自分は必要のない人間なんじゃないか、つまらない人間だと見放されたんじゃないかという見捨てられ感があることに気付いた。相手はそんなこと思ってないかもしれないのに。

こうやって卑屈になっていると、そんな態度はきっとまた相手と連絡が取り合えた時に出てしまうであろう。相手は何も悪くないのに、自分の思い込みと自己肯定感の低さで本当に必要のない人間になって見放されてしまう。

これって全然魅力的じゃないし、私が相手側だったらただ面倒な人間だなって思ってしまう(こう思うのも自分を好きになれてないんだなと思うけど)

私はもっと自分が自分を見てあげないといけないんじゃないかと常々思う。人からの評価とか愛とかそんなものを求めてばかりいる気がする。

魅力的な自分になるために、もっともっと内面を磨いて、いつか待っている " また " が訪れた時に、大好きな友達を楽しませて笑わせてあげられる自分でいたい。そのためには悲観的になっている暇なんてないのかもしれない。

そして今まで仲良くしてくれたことに対して感謝していきたい。人生のちょっとした時間、自分と関わってくれて楽しませてくれたことへの感謝。

人はモノではないのだから、こちらの思い通りにならないこともある。執着しないという気持ちでいた方が楽である。

まずは自分の自己肯定感をあげること。自分が自分を愛してあげること。なんでも褒める、受け止めてあげる。そして楽しいことや心がワクワクすることをスポンジのように吸収する。毎日をご機嫌で過ごす。

そんな人になれたら、友達からの " また " を待つ必要がなくなるかもしれないね。

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