メタフィクションのふたり

 ある診察室にて。
 「どうぞ」
 医師の合図のあとに一人の男が入室する。
 「失礼します」

 医師、男が座るやいなや言葉を投げかける。
 「灰色の猫」
 男は何のことだか分からずキョトンとする。
 数秒の沈黙が続いた。医師はなぜか心が放り出されたような、虚しい表情を浮かべていた。
 医師は気を取り直して男に訊く。
 「本日どうされました?」
 「えーっと、ずっと誰かから見られているような気がするんです…。今この瞬間も…」
 妄想を訴える男の回答に対して医師は淡々と言葉を返す。
 「ええ。本当に見られているんですよ」
 「え? 本当に…?」
 男はとっさに聞き返した。
 「より高次の世界から我々を見ている『読者』がいるんです。
 そう言われた男はキョロキョロと周りを見回す。しかし男の視界には皆さんはいなかった。

 「他には何か気になることは?」
 医師の質問に、一瞬考えるも男はすぐに口を開いた。
 「…そういえば、記憶が全然無いんです。昨日以前の記憶が全然…」
 「やっぱりそうなんですか…」
 医師は非常に落ち込んだ様子を見せた。
 「やっぱり…?」
 「いえ…。昨日の記憶がないのは当然ですよ」
 「…?」
 男はポカンとしたまま医師の話を聞き続ける。
 「昨日なんて最初から無いんです。この世界が出現したのは、たったの514文字前ですから」
 「…」
 「この世界には、精神科医の私と主人公の貴方しかいません。このページの外にはおそらく何も無いんです」
 医師の言葉に動揺した男は急に立ち上がる。
 「僕、ちょっと誰かいないか探してきます…!」
 そう先走る男を静止するように毅然とした態度で医師は告げる。
 「無意味ですよ。脚本にない行動は取れません」

 だが医師の注意は男には届かず、ますます興奮して捲し立てる。
 「あれ? そういえば先生のビジュアルってどんなビジュアルですか? 他にも『医師』がいたら見分けがつかない…。僕だって『男』だけだし…。そうだ、もう一回先生と再会した時のために合言葉を決めましょう!」
 黙って聞いている医師の心の中はこのとき密かにざわつき始めていた。
 男が続ける。
 「えーっと…。じゃぁ、片方が『灰色の猫』って言ったら…。なんでもいいや。もう片方は『エッフェル塔』って言う。覚えといてくださいね!」
 医師はその言葉に僅かに安心したような表情を見せた。
 「ええ、分かりました。しかし外に行く時間はもうありませんよ。残り619文字しかありません」
 「え? な、なんですか…?」
 「この世界が終わるまでの残りの文字数ですよ」
 医師の言葉に男は金槌で打たれたような気分になった。

 医師は悟っているような冷静さで男へ教えを説く。
 「でもどうにかする術はあります。貴方には『アレ』ができる。主人公にしかできないアレが…」
 「アレ…ですか?」
 藁にも縋りたい気持ちで小さく震えながら訊く男。
 「ええ。主人公になら一度だけ使える、時間を引き伸ばすアレです!」

 何かを悟った男。
 「そうか…アレか…。アレなのか…。いいでしょう。やってやりましょう」
 劇伴が盛り上がってゆく。メゾピアノからフォルティッシモへと盛り上がってゆくのだ。しかし読者には何も聴こえない。
 「やってやる!僕にしか使えないあの技を…!」
 男は力を込めた両拳を勢いよく合わせた。
 …
 …
 …
「ハァ!」



 三年後



 あれから僕達は三年もの時を過ごした。
 本当にこの世界には僕達しか存在していなかった。地の文のヤツもいつの間にか居なくなっていた。
 僕達はまるで兄弟のように、残りの人生の時間を儚く生きてきたんだ。でも結局はまやかしの時間に過ぎなかったのかもしれない。
 どう取り繕うとしても、いつかはどんなものにだって終わりが必ず来るんだ。

 人生は往々にして選択の繰り返しだ。
 自分の意思で選択できるは本当に尊い存在なんだ。

 「ねえ、先生。いつかまたこの世界は蘇るのかな」
 「うん。みんながもう一度読み直したいと思ってくれたらね」

 「灰色の猫」

 「エッフェル塔」

おわり

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