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「外と内」、そして生まれる残酷

ChatGPT-4を使ってJOYWOW秘書日記を書いて喜んでるんだけど、AIが日常の当たり前になった社会では何が起きるかというと「外と内」がこれまで以上にはっきりして、そこに残酷が生まれる気がする。

映画『チャッピー』はAI搭載ロボットが感情を持ち始めた話。
ここで「内」は人間、「外」はAI搭載ロボット。

『チャッピー』が面白かったので、同じ監督の『第9地区」観始めた。
「内」は人類(南アフリカ人)、「外」はエイリアン。

この映画、吐き気がするほどの嫌悪感。でもこれこそがアートであり、見据えなければならない、と休みやすみ観ているのだが、もう限界だ。最後まで観るの、あきらめた。

『チャッピー』にせよ『第9地区』にせよ、「外」の存在に対する人間の冷酷さ、狂気、非情を嫌というほど思い知らされる。

でも、いま日本のテレビドラマも、「外」についての物語がずらっと揃ってる。

朝ドラ『らんまん』。「内」は代々続く酒蔵、「外」は植物にうつつを抜かす若旦那。

『王様に捧ぐ薬指』(TBS)。「内」と「外」を分けるのは「持っているか・持っていないか」。

巨額の財産を持っているか、いないか。
家族愛を持っているか、いないか。

『ペンディングトレイン―8時23分、明日 君と』は電車丸ごと「外」へ行ってしまう話。
「内」はいつでもケータイがつながり、水も食料もあふれかえっている日常。
「外」は同じ日本のはずなのに、時代も、土地も、さっぱり予想がつかない、そして何より水も食料もない。

『合理的にあり得ない~探偵・上水流涼子の解明~』(フジテレビ)

「内」は法曹界。そこから「外」へ追放された主人公が奮闘する。彼女が頼りにするのは「論理」。

『ラストマン--全盲の捜査官--』(TBS日曜劇場)。

「内」は、日本の警察。「外」はアメリカからやってきた全盲のFBI捜査官。全盲だが、「ラストマン」と異名を取るほど難事件を解決する腕利き。デジタル機器を使いこなし、全盲をカバーする。全盲であるからこそ発達した嗅覚も武器だ。かつ、身体能力も抜群。

小泉政権(2001年4月26日から2002年9月30日)が残した考え方に「自己責任」がある。

「持ってないのは、あなたの努力が足りないからです。自己責任です」

残酷だよねー。

ChatGPTを始めとするAIが広まっていくにつれ、かつて言われたデジタルデバイド(情報通信技術 --- IT、特にインターネット --- の恩恵を受けることのできる人とできない人の間に生じる経済格差を指す)とは比べ物にならないほどの格差が生まれる。格差はそのまま経済格差につながる。

シングルマザーの就労支援を目指すNPO法人JW-UPをやっていることもあり、「AIが当たり前になった時代の働き方」を考えるに、そして実際にシングルマザーたちの話に耳を傾けるに、「デジタル格差」は、深刻だ。

スマホしか触ったことがない、パソコン持ってない。

そんな彼女たちは当然ChatGPTの存在も知らない。でも、一番仕事で波を受けているのは彼女たちなのだ。この3年で次々人間と入れ替わったコンビニやスーパーのレジ、ファミレスのフロア(オーダーを受ける、料理を運ぶ、会計する)、企業の相談電話窓口・・・これらは「人間の職」を「無かったこと」にした。

AI実装社会の「外」になりつつある人たち。そんな人たちにじっくり向き合い、世界のJOY+WOW+LOVE and FUNの総量を増やすこと。これこそ、JW-UPだけではなく、JOYWOWのやらなきゃいけないことだと、あらためて思っています。

まずは、何の先入観ももたず、話に向き合うことから、始めます。心強いのは「ラストマン」。全盲をハンディキャップとせず、強みに変えた彼の姿勢に勇気をもらっています。

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