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可能性の搾取

zoe(ゾーエー)がギリシャ語で「生命体として生きる」。動物園zooの語源だというお話、したよね?

対して、bios(ビオス)は「人間として生きる喜びを持っているさま」。

どうせ生きるなら、biosに生きようよ、という。

ただね。

これには落とし穴があって、そして、意外に現代の「真面目な人たち」が陥ってしまっているんじゃないかなと思ってる。

それは、与えられた課題に次々取り組んでいって、自分の可能性をどんどん開拓していくような生き方。

本人はやりがいも感じるし、成長している気がする。

でも、これって、見方を変えると

可能性が次々搾取されていってしまっている

とは言えないかな。

「搾取」が少しキツい感じなら、「浪費」と言ってもいい。

bios的な生き方は、ストーリーのある生き方であり、ストーリーとは、観客を前提としている。

SNSで「いいね!」とかnoteで「スキ」をつい求めてしまう(オレもそうだw)。

モーツアルトは5歳のとき、既に作曲してた。

5歳上のおねーちゃんが

「パパ、大変。パパの楽譜に落書きしてる!」

見に行くと、なんと、落書きではなく、ちゃんと曲になってた。作曲してる!

さあ、大変。

「こいつ、天才や! みんなに自慢せな、あかん!」

パパは集まった大勢の貴族たちに、まずおねーちゃんを紹介する。

「うちの10歳の娘のピアノ、聴いてやっていただけますか?」

おねーちゃんが弾く。

みんな、驚く。

「すげー!!」

「天才少女あらわる!」

パパは、おもむろに、

まだ5歳のアマデウスをピアノに座らせる。

「ありがとうございます。

息子のも聴いてやってください。

弾いてご覧」

ウソでしょー? まだそんなに小さいのに・・・(ざわざわ)

観客は上から目線で

「おー、ヨチヨチ」

と見守る。

アマデウス、弾く。

一同、声が出せないほどびっくりする。

おねーちゃんは前座で、5歳のアマデウスがメインのスターだったのだ。

以降、彼はずっとヨーロッパを「巡業」して回る。

かくてモーツアルトは5歳から、「観客」を前提とした人生になった。

これって、天才ならではの生き方とも言えるし、おかげで人類はモーツアルトの偉大な音楽を手にできた。

でもね。

36歳で亡くなってる。

長生きが良いとは思ってないけど、

可能性の搾取、あるいは浪費の結果ではなかったのかとも思うんだよね。

じゃ、どうすれば?

スローに、のんびり、やりましょう。

ということで、今日これから、鹿児島へ遊びに行きます。

台風来てるけど、まあ、それもまた旅の思い出になる。

では、行ってきまーす!

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