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発想ぷくぷくぽたりんこ

「オンマ、ヨギ?」(엄마, 여기?)

小さい男の子が「ママ、このホームでいいの?」
と聞いてる。

すっかり観光地化した大阪。地下鉄には韓国からのファミリー。

今日はこれから

トークライブ「その話、長い?」

第一弾のテーマは「発想法」

題して

発想ぷくぷくぽたりんこ

しっかり準備し、カバン2個分資料持って会場のカフェ入りした。

一所懸命話した。

でもね。

JOYWOWの仲間たち、人の話、聞かないんですよ(笑)

「まあ、(阪本の)顔見たし、ええかと」
「ケーキ美味しいし」

さて、その話の中で一つ、皆さんにおすそ分けします。

発想に大事なのは

好奇心

言い換えると、スケベ心です(笑)

今回準備中、雪舟に出会った。

「雪舟(せっしゅう)」という人の名前は知っていたが、実はよく知らなかった。

ここで好奇心がむくむく。

1420年に生まれ、長生きし1506年、86歳ご逝去。

令和の現代ならいざ知らず、室町時代の人としては異例のご長寿である。

しかも有名な「天橋立図」(国宝)を書いたのが80歳になってからという。

雪舟「天橋立図」(国宝)

なぜ年齢を特定できるかというと、左中程にあるこれ、智恩寺の多宝塔(図A)建立が1501年だから。無い建物は描けないので、1501年以降の絵とわかる。

1501-1420(雪舟生年)=81 よって81歳以降の筆と明らかになった。

図A

さらに。矢印の箇所、なぜか赤くなってる。
これ、塗ったというより、汚れ。

図B

天橋立図は20枚の紙を貼り合わせたもの。タテ90センチ、ヨコ170センチある。
おそらく、多宝塔に朱を入れたあと、乾ききっていないのに、折りたたんだ。
それで図Aの朱が図Bについてしまった。

「なんだ・・・繊細な水墨画描くわりに、雑じゃん。MAIDOメンバーみたいじゃん」

と思った。思いながら、さらに雪舟の生涯を調べると、どうやらただの「素朴な水墨画を描く風流人」ではないことに気づいた。

雪舟は周防の国、現在の山口の守護大名大内氏に庇護されていた。

「庇護」って具体的にどういうことかというと、「ギャラ払うから仕事せい」

つまり、会社員ですな。

ではどんな仕事していたかというと、ただ水墨画を描いて、「いいですなあ。雅ですなあ」なわけがない。

秘密は、天橋立図にある。

この絵、よく見ると、視点がドローンだ。

天橋立周囲に、この視点が得られる高所(山など)は存在しない。

地上900メートル上空からの視点なのだ。

なぜ雪舟がこのドローン視点で描いたか。

なぜ神社仏閣など、当時そこに現存した建物を明確・正確に描いているか。他の絵では抽象化、デフォルメした描き方する場合もあるのに。

軍事目的だ。

都に近いこの地、「攻めるなら」という前提で、地理をしっかり把握しておきたい。

大内氏としては、そういう思いがあった。

「雪舟くん、というわけだから、ヨロシク」

81歳のご高齢にもかかわらず、山口から天橋立までやってきて描いた。
また、天橋立から山口のアトリエまで帰ってきた。

(まだデッサン段階なのだが)広げ、上司の大内さんにプレゼンテーションした。

「こちら、ここが新しく建立された多宝塔にございます」

雪舟は朱をつけた。

ドヤドヤドヤドヤ・・・
騒々しい足音。

「殿、との、一大事にございます。敵の間諜らしき者が」

大内「雪舟、伏せい!!」
雪舟「は」

あわてて折りたたんだ。

そのときついた朱。

なんてね。

想像するのがスケベ心、好奇心でござる。

発想ぷくぷくぽたりんこ

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