こんばんは、黒い過去です。
店長との話を終えた後、
ちょうど朝礼を始める皆に頭だけ下げて、
私は一言も発する事も出来ず背を向けた。。
何も言葉が出てこなかった、、
精神的な部分で疑似開放された私は、
今の状況を親に連絡する事にした。
本当は、そのまま九州へ帰ろうかと思ったが、
ここで帰ったら私は何をしに東京へ来たのか、
あとは今リタイアした所で知り合いに合わせる顔がなかった。
親は、「辛かったら帰ってきなさい。」
上京前からそんな言葉をずっとかけてくれていた。
その言葉の重みを今知る事となった。
休み中、最初の2日は特に何をするわけでもなく
家にいる事がほとんどだった。
同期3人からは「体調大丈夫か?」「調子はどう?」
などと、逐一メールをくれて気にかけてくれていた。
そんな皆にただただ嬉しさより申し訳ない気持ちの方が
何倍も何十倍も強かった。
3日目を向かえた時、母親から電話がくる。
「今東京についたよ」
前振りもなく母が一人で慣れない東京まで来ていた。
私はあっけにとられていたが、
特に母親というのは電話の声一つでもどんな状態なのか
分かる様だ。
私は駅まで迎えに行き家まで案内した。
母は、お菓子やご飯などこれでもかと言わんばかりの
食料を持ってきてくれていた。
実家暮らしだった私にはこのありがたみが今は
骨の髄までしみるくらい実感できていた。
母は何も言わず、父のことや自分の近況を
私に話してくれた。そう、私の仕事のことは
何も聞くことは無かった。
従兄が東京にいる事から、母と従兄と私と3人で東京見物に
出かける事となった。
久しぶりに何もかも忘れてただただ休む時間を作っていた。
東京に着てからまだ渋谷にしかいっていなかった私は、
この時初めて「表参道」「六本木ヒルズ」「浅草」などの
東京名所に行く事が出来た。
4日目、5日目とこんな状況の中、気を休める時間を過ごした。
6日目、母は仕事の都合で九州へ帰る事となった。
家をでる1時間くらい前に、母が私にまじめな表情で話を持ちかけた。
「もう辛いなら一緒に九州に帰る?」
その言葉を聞いた瞬間、、、
私は母親の前で生まれて初めて大泣きした。
その言葉を言って欲しくなくて、でもその言葉を言って欲しくて
私は涙が止まらなかった。もうここで「辞めたい」
その言葉が声に出る寸前の所まで来ていた。
しかし、たった1%の理性がその言葉を詰まらせていた。
「このままでは終われないよ」
言葉にできない思いが私を冷静にさせた。
「まだ何もやり遂げてないじゃないか」
母親は、「辛くなったら帰ってきなさい」
昔と一語一句変わらない言葉を私に投げかけてくれた。
私はそれで吹っ切れた。
「大丈夫だよ。まだ頑張れるから」
根拠のない強がりを母親にぶつけた。
母は安堵した表情を見せて家を出て行った。
私はその後、また泣いた。。
もう泣くのはこれで最後にしよう、
そう決めて泣き切った。。
「もう一度だけ頑張るんだ」
そう覚悟を決めた、復帰前日だった。。
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