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旅の終わりは次の旅立ち

街中の喫茶店にコーヒーを飲みに行くと、誰も彼もがraptopのキーボードをカタカタ言わせながら作業をしている。
それをなんとなく眺めながら、そう言えば自分も持ち出せるサイズのMacBook Airを使っていることを思い出して、同じように外出先で作業をしているのを想像してみる。
Appleを使っている人の多くは、なぜだかその本体剥き出しのアルミニウム感満載の状態で使っている方ばかりで、スマホと同様にクリアカバーを裏にも表にも被せている自分のそれとは違う。

背面にあしらわれたリンゴのマークが光る。
この仕様のMacBookは自分の使っている型式が出た頃を最後にもう販売終了してしまったという。
別にリンゴが光ろうが構いやしないのだが、これで余計に電力消費しているのか?と思うと少しだけ残念な気持ちにはなったりする。
多分この光るリンゴを羨ましく思う人も中にはいるのだろうけど、今の僕にはどっちでもいい。時折電気も点けずに暗闇の部屋の中で使っているとぼんやりと光っているのを見て、Appleだ、と思うくらい。元々はこれに惹かれて買ったような気がするし、忘れているだけで、またこの光るリンゴが愛おしくなる日が来るのかもしれない。

僕はPCを初めて使ったのがMacintoshのデスクトップ、父親のお下がりのもので、当時中学3年生だった。その頃から電子機器に手を伸ばしがちな父親の影響で、普及し始めたばかりの携帯電話も持たせてもらったし、使わなくなったAppleのMacBookもいつしか使わせてもらった。
思えばずっと僕の生活にはインターネットを始めパソコンが身近にあって、何かを調べるのにも、誰かと交流するのにも、生活する上でなくてはならないものだった。初めはデスクトップの据え置きの、ブラウン管のテレビ並に大きなモニターのついたもので、まさかその後の未来でこうして外へ持ち出して使えるようなツールになるとは思いも寄らなかった頃だった。いち早くそういうものを実現させ、世界中に流行らせたAppleは、なんだかんだすごいんだろうなと、思う。別に電子機器のブランドやメーカーに特別こだわりのあるわけでもない僕にでさえ、昔から使っているし、とかそういう理由で選ばせてしまうくらいなんだもの。

さて、そんなリンゴのマークが光るMacBookを持ち出して初めてこうして街中の喫茶店で(あくまでもカフェとは言わず)こうして久々にnoteの記事を打ってみています。ここ最近まったく更新していなかったのでね、自分の中に溜まったものを吐き出せていなかった気がします。
新しく始めたお仕事ですが、実は今月で離職します。いろいろ考え、本当は11月に退職を、と相談していたのですが相談役に色々と引き止められたり、ブラックな体質で存続していた会社に延命させられたりしたもので。
だがしかし。半年と少しの間ですが、思う事たくさん、そして様々な方々を訪問したり、移動支援したりで、旅人かのごとく都内を巡り巡る経験のできたお仕事でした。
今まで名前だけでしか知らなかった土地名の場所の位置関係なんかも把握できて、バスや地下鉄も飛び乗れるようになりました。なんだが不思議ですが、本当に旅人でした。

今一度このお仕事につけたこと、支えて下さったスタッフや利用者の方々に、ささやかにお礼を込めてこの記事を残しておきたいと思います。
ありがとうございました。

なわけで、また転職活動しまーす。リンゴ光らせながらね。

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