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『蟹座の溺れかけた町』

ある春の終わり、3年と少しの時間を一緒に過ごした彼と別れを決めた僕は、勤めていた映画館で知り合い、長い年月付き合いを続けることになった女友達の引っ越した、京都へ遊びに行った。その帰りのバスの中で、ぼんやりと外の景色を眺めながら、彼のことを考えていた。
そのおよそ一年前、半ば突発的にある人の死で背負うことになった悲しみに折り合いをどうつけて良いのかわからず、少しずつ変わってしまったふたりの空気。自分以上に彼の方がつらさは大きかったはずなのに、繋いでいたはずの手を手放したのは僕から、そんな別れだった。

時間が流れて笑うことができるようになっても、そこに空いた大きな空洞を埋める何かによって、痛みと向き合えるようになっても、それでも、過ぎ去った時間は、一緒に過ごしていた事実は、戻らないこともわかっていた。

今頃どうしているのかな、なんて思うその瞬間、LINEで何気なくやりとりを投げかけてみれば返ってくる間柄ではあるのだけど、時々、彼を手放した自分自身の、諦め、という行動にいてもたってもいられなくなることがある。
それが自分の本質を表していて、最後の最後まで、何かを、決めたことを、やり遂げることを拒否している、嫌になってしまう、そしてそれを正当化しないといけなくなる・・・生きていると、そんなことの繰り返しだ。

果たして、それをどう転換すれば、前向きな思考へ持っていけるのか?
こんな自分で良かったのか?もっと違うやり方があるのではないか?
そんな思いを巡らして、今も堂々巡りを続けている。

***

要らないものを選びながら
捨てられなくってまたしまいこんでいる
この町で 君といた部屋で

いつもの店で飲むコーヒー
君は決まって 冷たいほうだったね
いつだってミルクは多めで

注文しても食べきれない
君が結局残してしまう料理は
僕が代わりに平らげていたね

誰にも見つからないように
手をつないで歩いた帰り道
あの日のふたりは どこにも
もういないってわかってるのに

思い出ばかりのこの町 この部屋でひとり
僕は今もまだ 君の帰りを待っているみたい
いつものようにさ「ただいま」って

ずっと一緒にいられたのなら
この先どんな未来が待っていたんだろう
家族にも紹介したのかな

手放したのは僕だから
今更何も言えないよ
中途半端な優しさで
誰かを守ろうだなんて

臆病な僕は 不安も 君の涙も
見ないふりして 笑おうとして 気づかなかったけど
守られていたのは 僕のほうだったんだ

君以上の誰かを 僕には 見つけられるかな
いつかまた君に会えたら 笑っていたいな

誰にも見つからないように
手をつないで歩いた帰り道
あの日のふたりは どこにも
もういないってわかってるんだよ

忘れられないけど 前へと進んで行かなきゃ
君の思い出を 思い切り 引きずってでも
これが平気だと 思える時まで

要らないものを選びながら
捨てられないものばかりの僕だけれど
もう少し ここにいたくて

***

あのバスの中で
その苦しみと悲しみの始まりに、
いつか自分がしたことを、忘れてしまわないように、
忘れても思い出せるように、
そしてどこかで、君がそれを乗り越えて笑っていることを願った。

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