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ニートになった親友part1

僕の親友は、生粋のニートです。

正確に言うと、自称ミュージシャンのニートです。(20代男性)

彼は、周りと会話を合わせることが致命的に出来ません。
女性と目を見て話す事が出来ませんし、お金にも汚く、お釣りや精算金額をちょろまかしたりします。
真面目にやってても、コンビニのバイトをクビになったり、引っ越し屋のバイトでは、「誰だこんな奴つれてきたのー!」と周りが説教される位の社会不適合者です。

学歴は、fラン大卒で、一回しか面接がないような企業に就職したものの、2ヶ月でミュージシャンを目指す事を口実に辞めてしまいました。

それ以降は数年間年金暮らしの親のもと実家で暮らしています。
毎日昼過ぎに起きて、飯を食べ、ゲームをし、野球を見て、音楽を聞き、「ミュージシャンになる!」と言いながら売れている曲へ悪態をつきつつも、全く努力せず寝るという生活をここ数年間続けています。

僕は、彼を小学校からずっと見てきました。
サッカー部に入ったものの、練習がしんどくて3ヶ月で辞め、元々走るのが速いことを口実に陸上部に入ったものの、高校1年時に周りに抜かれて陸上部も辞め、元々好きだった音楽からバンドを始めたものの、ミュージシャンを諦め就職。
その後、ミュージシャンになると言って仕事を辞めたものの、一切努力せずニートを続けている彼は、いわば生粋の逃走者です。
何も頑張れないし、人と会話も出来ない。

ただ、僕は彼を心の底から尊敬しています。
むしろ、羨ましいと思っている節があります。

それは、何故なのかは正直分かりません。

もしかしたら、僕も本当はニートになりたいのかもしれません。

ニートになったら恥ずかしい

いわば、そんな体裁を気にしてニートの領域に踏み込めない自分と違い、開き直ってニートをしている彼に羨ましさを感じているのかもしれません。

「男は働くのが当然」
「大学を卒業したら、就職するのが基本」
「仕事してない人は駄目な人」

これらはある意味「社会」というメディア等により形成された抽象的な概念により長年形成された洗脳なんじゃないだろうか。

彼を見ているとそう感じるのです。

人間、自分の好きなように、楽なように生きたって良いんじゃないか。

無理に精神をすり減らしてまで、その仕事や場所にいなくてはいけないのか。

「逃げたい時は、逃げたって良いんじゃないか。」

そんな風に考えさせてくれるニートの友人が、この前、別の友人のお金で童貞を卒業しました。

「気持ち良かった」そうです。

なんか、羨ましい生き方なんだよなあ。







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