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子どもに物乞いされた時にお金をあげることにした理由

■今日のコラム

今日は朝から考えてた。この前、僕が住んでるカンボジア🇰🇭の首都の郊外で出会った子どもたちにお金をくれって言われた時に僕はお金をあげても何の解決にもならないってことを子どもたちに伝えてお金をあげなかった。でも果たして本当にそれでよかったのか?と、気づいたら考えてた。というも、僕がお金をあげないと言ってからなんだか子どもたちのテンションがガタ落ちというか決して明るい感じではなかったし子どもたちはどんどん去って行くからなんか悲しかったんだよね。

僕がなんでお金をあげるという結論に至ったのかというと頻繁に会いに行くわけではなくたまにしか会わないからだ。僕が毎日会う子どもは近所の仲良しの子どもだけでいい。2週間とか1ヶ月に1回とかたまに会いに行って日本円で1人20〜50円くらいあげたら全然子どもたちは喜ぶ。それで普通に腹一杯飯が食えるから。確かにその場凌ぎかもしれないしお金あげても意味がないという意見もあるだろう。

けど僕が来るのが楽しみになれば子どもたちの人生に1つ楽しみができることになる。これが重要なんだ。なぜなら、そもそも「この先も生きていこう」と思えてる人間に共通してることは「人生に楽しみを持ってる」だから。生きていくうえで子どもたちにプラスになるし前向きに生きれると思うんだ。僕が行ってサッカーボールで遊んでお金もらったら「明日も頑張ろう」と子どもたちは思えるかもしれない。明日に希望を持つことができるかもしれないということだ。

なんだかんだ朝から満員電車に乗って安い給料で朝から夕方までやりたくないことをやって生活してる多くの日本人が自殺せずに生きていけるのは少なからず楽しみがあるからじゃない?

帰宅したら家族に会える、
休日は家族や友人と遊びに行ける、
大型連休に旅行に行ける、
仕事終わってから飲み会行ける。

もしこれらが全部なくて年中嫌なことだけをやってる人生だとしたら生きる意味や希望を持てなくなって追い詰められて楽しみを求めて覚醒剤に手をつけたり最悪自殺する人がめちゃ増えるだろう。海外の途上国にいるストリートチルドレンがまさにこんな感じ。僕がカンボジア🇰🇭で出会った朝から晩までゴミ拾いをしてるだけの人生を送ってる子供もそうだ。そう考えると「KJさんと出会ったことがきっかけで人生に楽しみが増えた」って思われるようなこと、言われるようなことをするのはめちゃ重要な社会貢献だよね。

生きることに意味を見出せない子どもや満足できる食事ができてない子どもにたまにお金をあげたりご飯を分けてあげたり教育したりして人生に楽しみを持ってもらうことはすごく重要だ。僕が出会った子どもたちは経済的に貧しいことは間違いない。しかも今はコロナの影響で親は経済的にダメージを受けてるし。そもそも子どもは働けないし。そう考えるとなんか申し訳ないことしたなーってめちゃ思うんだよね。

ただし、ここで注意したいのがもし僕が毎日行ってお金をあげるとそれが当たり前になるからダメになる。「たまに」子どもが欲しくても買えないサッカーボールを持って行って一緒に遊んでお金もらえて好きなことに使えれば
めちゃいいことなんじゃないかなと今は思う。

サッカーボールも毎日あれば絶対に飽きる。たまにあるから面白いと思えるよね。とにかく今はたくさん勉強してカンボジア🇰🇭のいろんな場所に行っていろんな子どもたちに会ってトライアンドエラーをする時期だ。このようなロジックを今は持ってるので今日からお金をあげてみてどうかを見ようと思う。この話はYouTubeにもアップしようと思うのでぜひ動画見てね。でわまた明日。

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