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【感想】ロボコン・スプリンパン・サバイバル

先日、一部の層で話題沸騰している映画『人体のサバイバル!/がんばれいわ!!ロボコン』を観ました。

題名の通り『人体のサバイバル!』『がんばれいわ!!ロボコン ウララ~!恋する汁なしタンタンメン!!の巻』が同時上映され、更にそこに短編アニメーションの『スプリンパン まえへすすもう!』が追加されているというもので、僕は事前にTwitterでオタクの人の評判を多数目にしていたことから、「ま~オタクが好きそうな、いわゆる悪ノリ・胡乱・狂気って感じの作品でしょ~~ハイハイ、とりあえずいっちょ観てやるか~」的なノリで『ロボコン』目当てに観に行ったクチです。

実際のところ、ロボコンは当初の予想よりも異常なテンションで異常な映像がどんどん流れてくる作品で、斜に構えて観に行った自分すらも圧倒してくるレベルの映像体験となったわけですが、今回この感想文を書こうと思った一番のきっかけは、実は完全にノーマークだった『スプリンパン まえへすすもう!』です。

当日の上映順は本記事タイトルにもあるように『ロボコン・スプリンパン・サバイバル』の順番だったのですが、万が一スプリンパンがラストだった場合その日一日が台無しになっていた可能性すらあったと僕は思っています。そのくらい強烈な作品でした。

各作品の思い出を語る上で、どうしてもネタバレ全開になってしまうのでそこは注意していただきたいですが、もし面倒だったりネタバレが嫌だったりする場合は、一番最後の見出しでスプリンパンについて語っている部分だけでも読んでほしいです。あの作品はネタバレがどうとか、そういう次元に無い

『人体のサバイバル!』

まず最初に言っておきたいのですが、『人体のサバイバル』は普通にめちゃくちゃ面白かったです。古くはミクロの決死圏やドラえもんのエピソードなどでも知られる人体内部探検モノですが、本作も傑作といっていい作品の一つでしょう。

消化器系・循環器系・神経系といった人体の構造描写は非常に教育的である一方、各臓器の特徴をギミックに落とし込んだスリリングな展開なども多数あるため、観ていて全くダレることがありません。
多少のガバ設定はありながらも、フィクション的な未来の技術だけでなく、現実の医療現場で用いられている技術が活躍するシーンもあり、キャラ立ちした登場人物達が力を合わせて問題を解決する展開はかなりアツいものでした。僕は原作コミックは未読ですが、この作品として単体でも十二分に楽しめる、とてもバランスの良い作品でした。

でも小さくなって女の子に飲み込まれて、臓器の中を探検し、身体から出るためには排泄される必要が!?みたいな展開、正直めちゃくちゃフェチいよね。

『がんばれいわ!!ロボコン ウララ〜!恋する汁なしタンタンメン!!の巻』

2020年は世界的に様々な混沌が訪れた年ですが、この作品もそうした流れの中で生まれた問題作といって間違いないでしょう。

突然流れるヘヴィーメタルのBGM各シーン担当者が一切すり合わせをしていないような印象を受ける唐突な展開の連続、そういう系のバンドのPVにありそうな”中華料理の群れ”が行進するシーン、全編を通してスクリーン中を所狭しと駆け回り、エンディング中にもサブリミナル的に挿入される本作のキーアイテム汁なし担々麺チンゲンサイ授乳など語り尽くせない異常な見どころポイントが語り尽くせないくらいあります。

精神の加速劣化試験めいたこれらの場面の中でも一番キツかったものは、ヒロインのロビンちゃん関連の展開でした。

本作ヒロインのロビンちゃんは、ご覧の通り普段は大変可愛らしい娘でキュートな笑顔を振りまいてくれるのですが、途中から急に悪堕ちして小憎らしい顔をスクリーンいっぱいにドーンとお出ししてきます。この表情が本ッ当に汚い!!!しかも顔面がズームされるとかじゃなくて物理的に頭部が巨大化して画面を占領する!!!!やめろ!!!!

「腕がデカくなる描写はさっきやったよね?だったら顔がデカくなっても良いだろ」と言わんばかりに巨大化した顔面が口から火を噴いたり目から怪光線を乱射したりする様は完全に悪ノリしたオタクのクソコラです。CGの切り抜きもなんか雑コラめいた質感だったような気がする。中学生くらいのころおもしろFlash倉庫の作品をみてゲヘゲヘ笑っていた過去を、なんとなく思い出してしまいました。

この映画は友人と(ソーシャルディスタンスを保ちながら)観に行ったのですが、鑑賞後の反省会はそれはそれは辛いもので、お互い苦しみながら各シーンを思い返す羽目になりました。「あの汁なし担々麺の行動は結局ロジックが通ってなくないか?」という日本語は、多分今後の僕の人生において二度と発声しないものの一つだと思います。友人もまた重度の影響を受けたらしく、「何分の映画だったのかすらよくわからない」と頭を抱えていました。

ちなみに、タイトルに”がんばれいわ!!”とありますが、一応このセリフは作中ラストでロボコンが突然「がんばれいわ~!!」と叫ぶという形で取ってつけたように回収されます。誰が何をどう頑張ればいいのでしょう
ロボコンが頑張る、という意味なのであれば命令形の体をとっているのはおかしいし、視聴者の我々が(例えばコロナ禍に負けずに)頑張れという意味なのであれば、そもそもお出しされてきたのがこんな作品である時点で、すでにかなり負けているように思えます。

とはいえ、自粛ムード全開で暗いニュースばかりのこの時代においては、ある種貴重な脳ミソ強制リセット装置として役立ってくれること間違いなしです。この映画でたくさん笑って、いつかこの映画の思い出をみんなで分かち合える日が来るように祈りましょう。

『スプリンパン まえへすすもう!』

この同時上映トリロジー、いやさトリニティにおける完全なダークホース。ロボコンを観終えてガードが下がったところに、突然横から知らない人が鋭いフックを打ち込んできてそのまま去っていった、と形容するのが一番正しい気がします。

ロボコンは「狂気をやってやろうとして、ちゃんと狂気が出力された作品」だと思うのですが、上の紹介記事を読む限り本作は「本人としてはマジでシリアスをやったが、何故か狂気的なものが出力されてしまった」モノらしいです。マジで?

上の記事の中にもありますが、一応ストーリーを説明すると、女の子が自分で作り出したスプリンパンというキャラクター自身となって不思議な世界(本当に”不思議な世界”としか説明されない)を冒険し、旅の途中で出会った愉快な仲間達と過ごしたひと時の思い出がミュージカル形式で語られる、という内容です。

ただ、冒険の目的も、行き先も、なんなら冒険そのものの内容も作中では説明されません。ミュージカル形式のハズなのに、基本的に曲はサビ(?)だけがメドレー形式でどんどん流れてくるし、その歌詞の内容も「どうせなんでも面白い~♪」といった非常に空虚で投げやりなものが目立ちます。

5分アニメなので、説明不足なのは致し方ないとはいえ、そこを開き直って忙しい人向けシリーズめいた構成のままブチ込んでくるのはかなり強気であり、ある種の信念を感じられずにはいられません。(ちなみに、プロの役者やダンサーのモーションを採用していることもあり、アイリッシュダンスやクラシックバレエなど作中のダンスのモーションもマジでクオリティが高いです。ここも作者の信念の現れでしょう)

いま調べてみたんですが、予告編映像でも

「夢の冒険に出発進行よ!」「夢の冒険に~?」「そうよ!」「「夢の冒険に~♪出発進行~♪」」

と、”夢の冒険”という要素が執拗に強調されていますね。夢だったのかもしれません。加えて言えば、5秒ぐらいで突然ブツ切りになって終わるエンディングのスタッフロールも、悪い夢からハッと覚めた時のような感覚を残してくれたように思います。どうして、こんなことに……

【登場人物】

《スプリンパン》
本作の主人公。ダンスが好きな元気で可愛いメガネっ娘。お母さんに旅の報告を念話を使って行うなど、家族思いの一面もある。冒険の旅をしているらしいが、特に目的地は決めていないようなので、どちらかといえば放浪しているのではないだろうか。とはいえ、子供の頃に想像する冒険のお話ってそういうものだよね、とも思う。

《お母さん》
スプリンパンのお母さん。この世界の中で一人だけ何故か作画の次元が違う(文字通り)

《スノミーメイ》
スプリンパンが旅の途中で出会った仲間の一人。美しいバレエのダンスをスプリンパンと一緒に踊る。良心枠。

《山どん》
こいつが一番ヤバい。「かつては気品あふれる王子」であったが、「ずっとここ(不思議な世界)にいたらこんな姿になっちゃった」らしい。ファンタジー世界でファンタジー存在と成り果てた自分自身がコンプレックスってことか?ついでに言えば、偏見かもしれないが、気品あふれる人は、名前に”どん”とは付けないと思う。
・(スプリンパンが旅で出会った仲間の一人という設定なのに)主人公ヅラをしてトップバッターで自己紹介をする
・キレキレのダンスとイケボと太眉と山めいた巨大体躯を駆使して不必要に強い存在感を終始振りまき続ける
・最後のシーンで旅を続けるために去っていくスプリンパンに対して特に別れを惜しんでいる様子がない
など、短い本編中においても圧倒的な立ち振舞を見せてくれる。

《リンゴリーダー》
リーダーを自称しているが、特に誰もリードすることはない。それどころか、山どん、スプリンパンと一緒に旅の3人パーティめいて自己紹介をした後、一切話に絡んでこないままフェードアウトする。

作者いわく「健やかな前向きさを持った」「見た人の感情を煽る要素は控えめにした」作品に対して、ここまで困惑したり、内容を思い返して不安な気持ちになったりするのは不誠実な楽しみ方なのかもしれないですが、それでも僕は自分の感情の整理のために、この文章を書かざるを得なかった、とだけ言わせていただきたいです。


まだまだ連休が続くという方も多いかと思われます。ぜひ皆さんも上映期間中にこの作品を劇場で鑑賞し、令和新時代にふさわしい全く新しい映像体験をしてみてください。

最後に一点。

いの一番にお母さん(作画が一人だけ違う)のシーンをスプリンパンの公式グッズ化するのは、流石に”やりに行ってる”でしょ。

(終わり)



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