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広い露天風呂でたまたま貸切状態と、狭い貸切露天風呂。あなたがアガるのはどっち?

先日、箱根の温泉に泊まりにいった時のこと。

朝の時間にお風呂に入りにいったら、たまたま誰もいないという状況が起こり、貸切状態でした。

お風呂の広さとしては、10人くらいは余裕で入れそうな場所だったので、とても得した気持ちになりました。

もうちょっとあつすぎるかもなと思うまでは湯船で温まり、我慢ができなくなってくると浴槽から外に出て、外気浴を楽しみます。箱根の景色が一望できてとても良い気分です。

ただ、いつ誰がくるかはわからない状況のため、このままこの時間が続いてくれたら良いなということを思いました。

その時、ふと、以前、貸切の個室の温泉に入った時のことを思いました。

鬼怒川での体験


そこの浴槽は、今回の箱根のと比べると半分くらいのサイズしかありませんでした。

ただ、完全予約制で、そのお風呂に入ろうとすると事前に「◯時〜◯時までの枠で」と時間が固定されます。

その時は、自分の予約した時間がくるのが楽しみで、部屋でその時間が来るのとずっと心待ちにしていました。

実際に入ってみると、写真で見ていた時に持っていたイメージの半分くらいの広さしかなくて、ちょっとがっかりした感じもあったのですが、自分にとっては、この時間は自分しかないのかと特別感を味わうことができました。

箱根での温泉で巡り合ったたまたま貸切状態もよかったと言えばよかったですが、その時の貸切状態では、以前鬼怒川で感じた特別感はなかったなということを感じました。

温泉の価値とは

この2つの体験を比較してみると、なるほど、温泉に入るという体験の中にもさまざまな価値があるのだなということに気づきます。

  1. 浴槽の広さ

  2. 泉質(色、香り含む)

  3. 効能

  4. 洗い場の広さ

  5. 浴室内の雰囲気

  6. 浴室の外の景色

  7. その場所が持っている物語、歴史(宿の歴史、街の歴史)

  8. 自分だけに使用権があるという特別感(待っている時間+使用している時間)

他にもあるだろうとが、ざっとこれくらいの要素はあるのだろうと思います。

今回の体験で、私が一番感じたのは、この中でも8番のものだなということに気がつきました。

単純にお風呂のスペックだけで言えば、たまたま貸切状態になった箱根の方が2倍位は良いものだったように思います。

ただ、上がったのがどっちかと聞かれると、これは難しい問題で、スペック的には低いかもしれませんが、鬼怒川の方を選ぶかもしれません。

他の人がどう感じるものなのかはわかりませんが、少なくとも自分にとって自分だけに所有権があると感じられた時間というのは、スペックを超えるくらいの価値があったのだろうと思います。

おそらく、この「自分だけに使用権があるという特別感」がスペックを超えるというのは、人間の面白い性質で、お風呂以外の場所でも生まれてくるのではないかと思います。

よく希少性の価値が注目されますが、単純に希少性ともまた別のもののような気がします。だって、希少性という点で考えると、鬼怒川のお風呂は、予約さえすれば誰でも手に入れられるわけですから。

少ないことが価値なのではなく、自分が所有しているというのが価値になるのだろうと思いました。そして、おそらく、私が軽井沢にわざわざ家を買ったという行為もこれと同じ要素を持っているのではないかという気がします。

自分だけの所有感をどう価値につなげるか


この人間のちょっと不思議な感覚の癖はいろいろなところに活用できそうです。

例えばゴルフ場やファンクラブの会員権や、会員ナンバーなんかは、まさにその筆頭でしょう。

ちょっと前から注目されているNFTも、この周辺にあるもののように思います。

別にどれでも会員権を欲しがるかというと、そういうわけでもないのも間違いありませんが(だって、私が全然興味がないアイドルの会員権をくれるといっても、いや、いらないです、としかならないので)、ただちょっと応援しているプロスポーツ選手の会員権だったら、嬉しいかもしれません。

もの的には、十分に満たされた時代だからこそ、人が価値を感じるところというのは少しずつずれてきてるのだと思いますが、こういうちょっとした心の動きに敏感であることや、感じた心の動きを、自分なりに次の活動に繋げてみるというのは大切なあり方なのではないかと感じました。

せっかくなので、ここで得られた気づきを、私の家か何かでやってみたいなと思います。

今日も素晴らしい学びの機会をどうもありがとうございました。


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