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企業とそこの労働組合と政商と企業業績と その2

前回その1↓ 
https://note.com/kizt7070941/n/na45d2d0441a7

全逓委員長を退任した宝樹元彦氏。退任後の再就職先は東邦生命顧問職(全逓委員長退任後は退任後公共企業体労働委員会の委員も務めていた)。
これには理由がある。全逓労組が組合員の福利厚生事業の一環として起ち上げた全逓共済。組合員から莫大な資金を預かっての運用先は東邦生命に任せられていた。東邦生命は自衛隊員への営業でも有名だが高度成長期で待遇が改善されつつあった公務員からの受注も増やしたい思惑があったのであろう。
第一次石油ショック時、安定している公務員への応募者が激増。それまで定員割れ、採用倍率も1倍割れを起こしていた郵便外務員(郵便配達・貯金保険営業職)に応募が殺到したのもこの頃。そこに東邦生命が目を付けたのかは分からないがサラ金と一緒で公務員ならとりあえず保険料のとりっぱぐれは無い。もしかしたら当時まだ行われていなかった郵貯・簡保の自主運用にも期待をしていたのかもしれない。

東邦生命顧問として宝樹氏がまず手をつけたのが社会党と公明党の連合構想。これは後に社公連合政権構想として1980年に合意に達する。
共産党を排除した「労働戦線統一論」によって当時の右派労使協調労組、全日本労働総同盟(略称:同盟)との関係を作った宝樹氏は社公民路線にも暗躍することになる。
1979年、反マル生闘争に敗北した全逓は郵政省と交渉で「10.28確認」を行いそれまでの実力行使から交渉重視への路線に、そして1982年には「制度政策要求闘争」路線でもって労使協調路線に転換してゆく。これには当時国鉄が置かれていた問題が影響している。早い話が郵政省を「国鉄にするな!」全逓を「国労(国鉄労組)にするな!」ということだ。この間、間違いなく宝樹氏が暗躍していたであろう。なにしろ国鉄分割民営化の際、あの動労の松崎明氏にアドバイザーとして助言を送っていたのだから。

宝樹文彦氏を軸に野党・労働組合との関係を作り一方で東邦生命社長に就任した六代目太田清蔵(六代目)氏は自民党の田中派ー竹下派、運輸族などとの関係を深めてゆく。有名なのは警察官僚出身にして運輸族のドンにもなる亀井静香との関係。現役の警察官僚時代、亀井氏は警備・公安の秘密工作の責任者でもあった。この時、自らのエージェントとして社会党関係者を抱え込んでいたといわれる(このことは後に自社連立政権樹立への布石となる)。
治安対策を行う警察には様々な情報が入ってくる。ヤクザだけでなくそれに連なる総会屋にも睨みをきかせていることだから企業情報も入ってくるであろう。企業情報でもって東邦生命の資金運用もやりやすくなることはいうまでもない。
なお、亀井静香氏と許永中氏を引き合わせたのも六代目と言われている。許永中といえば京都のフィクサーであった山段芳春氏との関係も。この山段氏は皇族に時の総理大臣からヤクザまで、自民党から一部共産党までありとあらゆるつながりを持っていた。ちなみに山段氏も元警察官で経済事件だけでなく公安としてシベリア帰還者や左翼の監視任務にも従事していた。

そのような状況下であったが1990年のバブル経済の崩壊、そこから始まる失われた「30年」は東邦生命・郵政省・全逓の運命を大きく変えてゆく。

(次回その3へ続く)

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