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企業とそこの労働組合と政商と企業業績と その3

前回その2 https://note.com/kizt7070941/n/n6333be86d33e
上記画像の動画 https://www.youtube.com/watch?v=auhZx4DHVSA
私が全逓組合員だった時に好きだった全逓労働歌です。


1991年、全逓は1978~1979年の反マル生闘争に端を発する「4.28反処分・免職撤回闘争(4.28闘争)」を放棄する。
小沢一郎を筆頭とする政治改革・政界再編の動きが活発になりそれまで社会党支持であった全逓は将来の郵政民営化、通信情報環境の変化を見据えて自民党・小沢一郎へ接近していく。当時の河須崎全逓委員長は「4.28闘争は労使協調の喉に刺さった小骨」と言い放ち全逓労組としては正式に4.28闘争の幕引きを行う。

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写真出典先:有坂賢吾様のTwitter https://twitter.com/front_chiba/status/1151474607225896960


1993年、自民党・社会党の歴史的大敗北により社会党も含めた八党連立細川政権が成立する。実に38年ぶりの政権交代、社会党が政権に復帰するのは44年ぶり。
全逓は細川内閣を全力で支えていく。民社党も含めた政権であったこともあり民社党支持の第2組合全郵政との統合も含めた思惑もあった。細川政権、羽田政権、村山政権と続く中で全逓は「宮廷政治」の季節に入る。

細川政権時、夜中に突然細川護熙首相が「国民福祉税構想」なるものをぶちあげ消費税を廃止し実質どころか消費税そのものを7%に増税する案をテレビ会見で発表する。これに反発した社会党は政権離脱をちらつかせ国民福祉税は撤回されるものの求心力を失った細川政権は瓦解してゆく。
次の羽田内閣で社会党は連立政権から離脱し閣外協力に転ずる。しかしこの時の社会党対応に全逓は失望する。羽田政権の連立離脱は社会党内部にも対立を生みだし山花貞夫氏を中心とする小沢一郎に近いグループが新党構想に動き出す。伊藤基隆委員長率いる全逓は山花氏の新党構想を社会党支持の民間産別労組と共にこれを支えていく。

1994年6月末驚天動地といってもよい社会党の村山富市を首相に擁立するという自社さ連立政権が発足。この政権への対応を巡って連合内部でも混乱が生ずる。1994年12月には小沢一郎率いる新生党、公明党、民社党、自民党を離脱した議員などにより新進党が結成される。
ここにおいて自社さ連立政権支持派と新進党支持派との対立が連合内部において決定的となる。

主な自社さ連立政権支持派労組:旧総評系を中心として自治労、日教組、私鉄総連、全国金属機械労組
主な新進党支持労組:ゼンセン同盟、全金同盟、自動車総連、造船重機労連、電力総連、鉄鋼労連、電機連合、全逓、全電通

当時の連合内部では支持労組数、そしてその組合員数の上で新進党支持勢力が半数以上を占め、社会党に組織内議員がいる鉄鋼労連・電機連合・全逓・全電通は陰に陽に議員たちに圧力や揺さぶりをかけて新党構想(新進党への合流)にまい進していた。
1994年12月末、国鉄分割民営化で辛酸を舐めてきた国労がJRの分割民営化を認め労使協調路線に転換。国鉄清算事業団との間でスト権スト損害賠償請求、国労本部会館立ち退きについて和解が成立する。これについてはJR内におけるJR総連革マル派への危機感を持った当時の亀井運輸大臣の強力な指導があったが、もうひとつの狙いとして国労を自社さ連立政権支持派に取り込む目的もあった。

1995年1月阪神淡路大震災が発生。この未曾有の事態に各労組は新党構想どころでなく復旧対応に全力にあたる。ただ全逓だけは違った。社会党内部の山花グループの動きが阪神大震災への対応などで頓挫したあとも積極的に社会党内の新党構想に突っ込みすぎ亀井静香を筆頭に自民党の怒りを買い郵政の分割民営化で脅され、さらに全逓内部でも現場組合員からの突き上げで全逓は新党構想から撤退することになる。このことは1995年の参院選で郵政省との間である取引をすることに関係してくる。

1995年7月、全逓委員長を退任した伊藤基隆氏が社会党の比例代表区から出馬し当選する。
比例名簿順位の上位を獲得するために出馬するものは支持者カードを提出するのだが、それまでに社会党内部にあれこれ手を突っ込み新党構想に関わっていた伊藤氏への不信感は強く全逓内からの支持者カードの人数が思った以上に集まらなかった。ここに至って郵政省は禁じ手を繰りだし郵貯・簡易保険の顧客名簿を密かに全逓側に提出して支持者カードを作成したと言われている。
郵政省としても与党であろうと野党であろうと郵政に協力してくれる議員は必要なのだ。

バブル経済が崩壊し日本経済が衰退し始める中、郵貯・簡保の営業は厳しさを増していき運用も厳しい目が向けられていく。このころから保険課・貯金課営業担当の低実績者への恫喝・人事異動などが本格化してゆく。それまで公然とあった不正募集が表面化して処分を受ける職員が出てきたのもこのころから。
その中にあって郵政省・全逓は政治道楽に血道をあげていく。政治がなんとか守ってくれるのだろうと。この悪弊は民営化後も続き今に至る日本郵政のコンプライアンスや企業統治の問題に繋がっていく。

(完)




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