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信州以外にはあまり知られていない建御名方神の痕跡①

【序】
大国主神と事代主神が是とした根の国・出雲の国譲りについて、ひとり建御名方(たけみなかた)神は異を唱え、大和政権の神々と一戦交えることを選択した。
出雲の大国主神と高志(越)の奴奈川(ぬなかわ)姫の間に産まれたとされる建御名方神は、母方の故地・高志国の上越・中越のあたりに拠点を構え、敵を迎え撃とうとしたであろうか。
記紀神話を見れば、建御名方神は、いきなり一足飛びに諏訪の地に入ったかのように思えてしまうが、その諏訪入りの途上には、実にさまざまな出来事があったことが窺い知れる。
ときには追手と戦い、ときには在地勢力との駆け引きを演じながら、信州各所にその足跡を残しつつ、建御名方神は少しずつ南下していった。


信州を歩けば、まったく思いがけないところで建御名方神の痕跡に巡り合い、旅の目的を変えられてしまうこともある。
ゆく先々において、建御名方神の痕跡がぼんやりと浮かび上がるたびに、まるで建御名方神の手のひらの上を踊らされている気分にさえなってしまう。
信州以外の土地で暮す者には知る由もないであろう、建御名方神の隠された足跡。
少なくとも、わたし自身が知らなかったという意味で、上記のような表題であるが、気が付けばいつの間にやら、その足跡を追いかける羽目に陥ってしまっていた、わたし自身の旅のノートとしてこれを書こう。
一部、ドラマ性重視の推測が入り乱れる部分が出てくると思うけれども、現状の手持ちのピースを用いてなんとかパズルを組み立ててみた格好である。
気が向いてお読みになられる方々には、大目に見ていただければ幸いである。
 

越後の国から、信濃へと抜けるには、三つのルートが考えられるだろうか。
ひとつには、糸魚川市のあたりから姫川を遡上してくる道。この川は、古来、ヒスイの産地で有名であり、奴奈川と呼ばれていたとされる川である。
そして、上越市あたりから妙高高原を越えてくる道。現代では、北国街道や国道18号、上信越自動車道が北上するルートである。
そしてもうひとつ、中越は長岡市のあたりから千曲川を遡上してくる道。長岡市栃尾のあたりには、諏訪神社が多いとも言われている。

これら三つのうち、最初に挙げた姫川を遡上してくるルートは、海人氏族・安曇氏が、ここを通って上流にある安曇野へと到達したと言われてきた、由緒正しきルートである。
海岸に打ち寄せられていたヒスイの原石が、もっと上流からもたらされていると思い至った縄文の人々は、試みに姫川を遡上してみたことであろう。
姫川流域には勾玉などを造るヒスイの工房跡も発見されていて、ヒスイ製品は、縄文時代の日本海に大規模な物流ルートを築き上げていた。
そんな縄文時代から珍重されていたヒスイの産地・姫川に、北九州発祥の弥生時代の海人氏族たちがやってきて、川沿いに交易ルートの拠点を持っただろうか。
高志国に拠点を持っている勢力であるならば、この交易ルートを抑えていたとしても不思議ではない。
姫川こそもっとも理に適ったルート、千曲川は可もなく否もない無難なルート、妙高高原は無理筋のルートといったところだろうか。


次回からは、信州を構成する盆地(平)ごとに一区切りとして、建御名方神の足跡を辿ってみることにする。
きっと先走りすぎていて、多くの勘違いが散見されるに違いない。
けれども、ある人物のアイデンティディーやオリジナリティーといったものは、ひとつの間違いや勘違い、思い込みといったものの中に、もっとも色濃く現れる。
失敗は気にせずに、先へ進もう。
勘違いこそ、わたしのオリジナリティーそのものである。

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