見出し画像

山菜採りと「ピラ」という方言。

「ゼンマイ、そこのヒラさ、生えてるべ」と、現地の人に言われたとき、「ヒラ」という単語がどういう場所を示していると思いますか?
A.たいらな場所
B.崖斜面
さぁ、どっち?


「ヒラ」という単語は、さらに訛って「ピラ」という単語になったりするけれども、北秋田の方言では、崖斜面のことを指している。
父がよく、「そこのピラのゼンマイ」なんて表現を使っていたものである。
わたしの父は、いわゆるマタギの里を擁する秋田の阿仁町の生まれだったから、言われていた当時は、「なんとも奇妙な秋田弁だな…」などと、漠然と思っていたものだった。


「ヒラ(またはピラ)」という言葉をとっさに使われると、「平」という漢字を連想してしまうから、父の視線の方向とは、おそらく逆方向に向かってしまっていたことだろう。
ゼンマイの気配もあまりない、平たいところにゼンマイを探しに行っては、「そんでねぐ!」と叫び止められて、「?」となることがたびたびあった。
あとから、父に、言葉の意味をよくよく確認してみると、「ヒラ(ピラ)」というのは、崖斜面のことであるのだという。


対して、信州で「タイラ」と言えば、善光寺平、塩田平、佐久平、安曇平、松本平、諏訪平、伊那平。
すべて平らかなる土地を示していて、違和感などはまったくない。
これが、正しい大和民族の言葉だからであろうか。
「なんとかダイラ」という地名に接しているうちに、あのときの「ヒラ(ピラ)」とは一体何だったのかという疑問が、ある日、唐突に沸き起こってきた。


「ヒラ(ピラ)」という単語が、大和民族の言葉でないとするならば、かつて東北に存在した蝦夷(エミシ)の言葉であったのだろうか。
蝦夷に独自の言葉があったなどと言えば、東北以外の土地に暮らす人たちには一笑に付されるかもしれないけれども、兄弟言語とされるドイツ語と英語も、わざわざ別の言葉とされているわけであるから、独立した方言のようにゆるめに考えていただければと思う。
それとも、さらに北に居住するアイヌ民族の言葉だったという可能性があるだろうか。
征服された蛮族としての蝦夷の言葉であったとするより、アイヌ民族の言葉のおさがりを、東北の民が使用しているという意見の方が、波風が立たないであろうか。


北海道のアイヌ語地名を調べてみると、辿り着くのが、赤平(アカビラ)や平取(ビラトリ)という地名である。
赤平市や平取町の「平」という漢字に当てられた読みの「ビラ」という音は、もとは、アイヌ語の「ピラ」に由来しているそうである。
そして、アイヌ語の「ピラ(ビラ)」という単語は、崖斜面を意味する言葉なのだという。
秋田生まれの父の使う「ヒラ(ピラ)」という方言が、ここにきてアイヌ民族の言葉と結びつくとは、なかなかに意外な展開とも言える。


ここにきて、はじめて「ヒラ(ピラ)」という、父の使っていた北秋田の方言を、ようやく理解できた気がしている。
崖斜面を差す「ヒラ(ピラ)」という単語は、大和民族の言葉のタイラではなく、アイヌ民族の言葉「ピラ(ビラ)」の、東北地方に残存したものだったのだ。
調べてみると、阿仁マタギたちが、山中で使用するマタギ言葉の中にも、この「ヒラ(ピラ)」という単語が、崖斜面の意味をあらわすものとして存在していた。
アイヌの言葉が、マタギの言葉を経由して、近現代の秋田弁の中に残っていたものと推測できる。
北東北に、多く地名として残る「ナイ」や、「ペ、ベ、ベツ」などの響きと同じように、地形を示すアイヌ語が、父の使う北秋田の方言の中に紛れ込んで残っていたのだと言えるだろう。


ちなみにではあるけれども、秋田から岩手にまたがる八幡平という地名に見える「平」という漢字は、「タイ」と読む。
「タイ」とは、本来、「岱」「田井」のことであり、沼地のようなところを指している。
実際、八幡平の山頂付近は、八幡沼などの池塘の姿が目立つ湿原地帯である。
言葉の簡略化や、意味のはき違えなどもあって、「タイ」という音に「平」という漢字を当ててしまったものであろう。
同じく秋田にある伊勢堂岱遺跡の「岱」の字など、本来の「岱」「田井」の意味を正式に伝えているところもあって、このあたりの事情もまた複雑だ。
八幡平では、「タイ」という音に「平」の漢字を当ててしまったので、どうにもわかりづらいことが起こってしまっているように思う。


かつて東北地方には、蝦夷と呼ばれた集団があった。
ヤマト民族には加えてもらえず、アイヌ民族のグループとしても入れてもらえず、独立した存在としても認めてもらえない、宙ぶらりんのまま歴史に放置されている集団である。
北海道の地名のアイヌ語説は支持されていて、北東北の地名のアイヌ語説が顧みられないというのは、若干、蝦夷や北東北の軽視なのではないかという思いもする。
東北は日本のスコットランドであると、明治の文化人は言ったけれども、そんな不当な扱いさえも、日本のスコットランドたる由縁であるかのように感じられる。


地元の感覚としては、蝦夷とマタギ、そしてアイヌとは、言語的に地続きにあったのではないかと思えてしまうところがある。
それが、「ヒラ、ピラ、ビラ」という言葉の身近さ、日常への浸透度なのであった。
だからと言って、蝦夷とアイヌが同根であったという証明などにはならないけれども、心情的には同根だったのではあるまいかと、空想してしまう出来事ではある。
願わくば、東北の民の血の中に眠る、蝦夷という今は消滅してしまった集団の、歴史の中に埋もれてしまった存在感が、ある程度の敬意とともに認めてもらえる日が来ますように。


「ヒラ(ピラ)」という北秋田の方言を想いながら、そのようなとりとめもないことを考えてしまったのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?