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自己紹介

タイミングを逃し続けていましたが、今後もnoteに考えたことを書いたりしようと思っているので、自己紹介記事を書いておきます。

QAエンジニアとしては杞憂(@kiyou77)と名乗っています。本名ではなく社外活動用の名前です。

杞憂というのは故事成語です。古代中国の杞の国の人が、天が落ちるのでは〜地が崩れるでは〜などといらん憂慮をし続けてノイローゼっぽくなり周りに心配されたという愚かでかわいい話に由来します。

私自身は大変楽観的でして、この記事もちょっとした自己紹介のつもりが、向こう見ずに書き進めているうちに5000字を超える長い記事になっていました。

記事の分割を検討しましたが、自己紹介が2つの記事にまたがるのも気持ち悪いので、分割せず投稿します。まあ、興味のある方だけに読んでもらえたらと思います。

QAキャリアのスタート

QAとしてのキャリアのスタートは2019年に遡ります。

当時は大学卒業後まもなく、就活など全くしていなかった自分が「卒業してから」というあり得ないタイミングでいそいそと仕事(バイト)を探し始め、給料が高いというだけの理由で応募した第三者検証の会社に採用されたことがきっかけです。

もともとは未経験可で求人の出ていたRPAエンジニアに応募していました。採用試験の結果ダメだったのか枠が埋まったのだったか理由は忘れてしまいましたが、「テストエンジニアとしてなら採用できる」と言われたのでした。給料等の待遇は一切変わらないと聞いたので、無職の自分は二つ返事でテストエンジニアになりました。

業務内容はテスト実行です。テスト設計書に書いてある通りに実行すれば良いので大丈夫という感じで、特に詳しい説明などはありませんでしたが、実際なにも困ることなく業務を行うことができました。

最初のアサインは中堅古参のSIerのもとで、地方の国公立大学などで採用されているオンプレミスの会計ソフトを見ることになりました。

始めてまもなく、テストの仕事を面白いなと感じました。自分はゲームが好きで、設計書に基づいてテストを行うのもかなり間違い探しゲーム感があるなと思っていたし、不自然な挙動として不具合が現れるのも、ゲームのバグっぽくて面白いです。そういう細々とした楽しみがあったので仕事として続けられたなと思います。

それがなかったら続けられなかったなと思います。当時はオンサイト、つまりはクライアントのオフィスに常駐してテストを行なっていたのですが、開発の遅れがあると、契約で月150時間の稼働が決まっている中、業務量が予定工数の半分にも満たないことがままありました

残りの時間何をやっているのかというと、本当に何もやることがないのです。どうしたら良いですかと上長に聞くと「仕様書を読んでいてください」と言われました。しかし仕様書を丸暗記してもおつりが来るほど時間を持て余していました。

業務プロセスはがちがちに固まっていてプロセス改善の余地はありませんし、クライアントに囲まれている手前、ブラウザでネットサーフィンというわけにもいきません。気が狂うほどの膨大な時間の中、座ったままできる筋トレをバレないようにやるというので正気を保っていました。

良い人ばかりでお世話になりましたが、かなり心が削られました。

大きな環境の変化

その後、ちょうどコロナの感染拡大のタイミングで別案件にアサインされることになりました。クライアントはクラウド会計ソフトを開発する某ベンチャー企業で、QAチームへの配属です。

オンプレからクラウドへ、古参SIerからメガベンチャーへ、毎朝9時の出社からフルリモートへ、一気に環境が変化したため、かなりショックがありました。

とりわけ「QA」という言葉に出会ったことに最も影響を受けたかもしれません。当時は本当に知識に乏しく「QA」という言葉にもそこで始めて出会ったのでした。

テストプロセスのうちほとんどテスト実行にしか関わっていなかったので、テストという作業の、そのさらに外側に広がる「品質」という概念に自分が携わっていたのだということに気がつけたのは、自分にとっては革命的な出来事でした。

それをきっかけに他の様々な知識にもたどり着けるようになりました。JSTQBの存在を知り、テストプロセスの全体像、テスト設計技法を知りました。今思えばこんな基礎的なことも全く知らなかったのだなあと驚くほどです。

あとは現代的なツールについてもそこでようやく触れるようになりました。SlackにAsanaにJIRAにTestrailに……それまでExcelで書かれたテスト設計書でテストし、メールで課題報告を行い、紙にプリントアウトされたスケジュールに沿って仕事をしていたので、完全に『2001年宇宙の旅』でモノリスに触れた猿のような心持ちでした。

とまあそんな感じでギャップがありすぎたので、勝手が分かるまでそれなりに時間を要してしまいました。現場では迷惑をかけてしまったなという反省があります。関係者におかれましては、その節はどうもすみませんでした。

といいつつただのバイトやしそんなもんやろという気持ちもあります。ただのバイトを社員とセットにすることで高単価で客先に送り込む、というやり方も大概恐ろしいと思います)

ほんの1年働いただけですが、良い環境で働かせてもらい、たくさん勉強させてもらいました。とても幸運なことで、叶うことならもっと長く働いていたかったのですが、後に転機を迎え、現場を離れることになりました。

QAと演劇

QAとして働くうちに、QAでの仕事と、自分の本職である演劇との間に繋がりを覚えるようになりました。

演劇は大学在学中にサークルで始めたもので、卒業後も自分のユニットで公演を企画し活動を続けています。

それなりに頑張って活動していた最中、コロナによる大打撃をモロにくらい、公演頻度を落とさざるを得なくなりましたが、なんとかほそぼそと活動を行っています。演劇のほうが本業であり、その他の仕事は演劇の活動資金を稼ぐためのもの、という認識は今も変わりません。

演劇での自分の役割は企画、製作、出演交渉、スケジュール管理、脚本の執筆、それから演出と、つまりは上流工程のほぼ全てです。肩書きとしては劇団主宰、劇作家、演出家となります。劇団といってもほとんど1人の団体ですが。

(ついでに最近は減りましたが観劇レビュー執筆の仕事を貰ったりしていまた。ワークショップを依頼されてやることもあり、中高生相手に教えたこともあります。様々なレベルで身体表現のWSを行えるので、興味があればお声がけください)

ところで、自分が最も演劇に力を注ぐことのできていた2015~2020年というのは、業界的に演劇制作における権力構造が問題視されはじめた時期でした。

日本の演劇制作の現場においては、主にはお金がないために、上記の自分のように団体の主宰=演出家=劇作家という超ワンマン体制になることがザラにあります。作品制作から資金面までを含めた全ての責任を1人が担った上で、その人間が稽古場で演出を行うわけです。

そのように、1人の人間があまりにも強い責任と権限を持ってしまうが故に、稽古場という狭い空間で、ハラスメントまがいの稽古がまかり通ってしまっているケースが無数にありました。

かねてから横行していた問題が時代の流れとしてSNS上で可視化され、これをどう改善してゆくかということが、業界全体での1つのテーマになっていました。

自分自身、出演した舞台で弱い立場が故の辛い思いをした経験がありますし、その一方で「強いリーダーシップを発揮するのが演出家である」というイメージを自分でも持ち、そのように振る舞おうとしていた部分があったため、こうした流れの中で多くの反省がありました。

そして自分なりに出した結論として、稽古の中で「演出家としてこうしてほしい」という欲を出さず、「相手がどう作りたいか」に徹底的に寄り添うサーヴァントリーダーとしてのスタイルで演劇を作るようになりました。

その際に行っていたのが、俳優の演技を見て「曖昧に演じているな」と感じたところを指摘して、対話しながら演技のコンセプトを明確にさせていくという作業です。そしてそこで明確になったコンセプトを、翌日以降の稽古で俳優が再現できているか確かめ、更にフィードバックを行っていました。

これってまんま、開発におけるレビューとテストの作業なんですよね。仕様書の矛盾や曖昧な記述に突っ込みを入れたり、テストで仕様に沿わない挙動があったときに報告するのと同じだったので、「自分が演出家としてやっていたことってQAと同じだな」と思うようになりました。

QAからの転職

新たな環境でテスト実行者として1年半ほど働いたタイミングで、所属する第三者検証の会社から「バイトから契約社員(ひいては正社員)にならないか」と声がけいただきました。仕事に更なる面白みを覚えていたところだったので、前向きに考えていました。

また同タイミングで、かねてから演劇関係の友人と一緒に手伝っていたスタートアップのベンチャー企業から、こちらでは「正社員にならないか」と声がかかりました。音声ARという珍しいジャンルでのプロダクトで、コンテンツ制作のディレクター兼PjMのポジションでした。

同時期に声がかかったことで進路を迷いましたが、悩んだ結果、スタートアップベンチャー企業の方に転職することに決めました。

最初期のスタートアップでチャレンジするのは若いうちしかできないだろうなと思ったことと、演劇制作で培った自分の能力をまっすぐ活かせるほうがやりがいがあると感じたことが、転職の決め手です。

そのまま結末まで書いてしまいますが、この会社には1年半ほど在籍し、その後退職することになりました。退職理由はいくつもありますが、大きいところでは、次第に自分がコンテンツのディレクターとして機能できなくなってしまったことにあります。

当時のプロダクトはマーケットフィットを探すスピード感の求められるフェーズにあり、かつARという未発展の領域だったため、プロダクト開発とコンテンツ開発が両輪で行わなければならない難しい状況にありました。

最初こそ呑気にコンテンツの研究開発ができていましたが、プロダクト開発の問題が前景化してくると、コンテンツ開発どころではなくなってしました。

自分はコンテンツ開発をリードすることはできても、プロダクト開発をリードすることはできませんでした。その役割を部分的には期待されていたのだと思うのですが、自分はプロダクト開発については知識も経験も足らず、なによりコンテンツ開発がやりたくて入社したため、プロダクトそのものにはそこまで熱量も責任も持てず、どうしても期待に応えきることができませんでした。

プロダクト開発についての知識や経験を経た今なら、もっと違った振る舞いができたろうなと思います。ですが当時は本当に無力で、期待するものと期待されるものとのギャップが開いていくことに対して何ら有効なアクションを取れず、ついには退職するに至りました。

社員5名ほどの小さな集まりの中でいろんなチャレンジをさせてもらいました。同世代のメンバーと友人のような距離の近さで働くことができたことは、自分にとっては遅い青春のような楽しい時間でした。

他方、スタートアップ初期の大事な時期にろくに貢献できなかったという苦しく悔しい記憶でもあります。

再びQAに戻り、現在

現在はQAのキャリアに戻ることにして、事業会社でQAエンジニアをやっています。

QAとしては2年に満たないキャリアしかなく、しかも1年半のブランクがあったにもかかわらず、演劇やARコンテンツ開発の経験を「ユーザー体験を考えることができる」と評価し採用いただけたので、今の会社にはとても感謝しています。

いちおうQAアシスタントというポジションでの採用だったので、基本業務はテスト実行、という感じなのですが、特に支障なく業務を行えたことと、裁量を持たせてくれているため、テスト実行以外にも設計、レビュー、プロセス改善など気がついたことを片っ端からやらせてもらっています。

しかし大したキャリアもなく、誰かに教わった経験もないため、自信を持つことができずにいます。今のやり方は良くない気がするが、提案するアイデアに自信があるわけでもなく……という強い不安を抱えながらプロセス改善に臨んでいます。

とかいう話をポジションペーパーに書いて WACATE 2023 冬に参加したら、ありがたいことにその内容でMost Accelerating Paper賞という賞をいただきました。

根本的に不安が消えたわけではないですが、ちょっとした自信に繋がりました。

自分で言うのもなんですがお勉強は得意で、本をたくさん読んだりウェビナーに参加したりで知識を得ていて、資格としても昨年12月に入社してからの1年間でJSTQB FLとPSM Iを取ることができました。

しかし技能に関しては一朝一夕ではいかず、実経験を経なければ身に付きません。もっと実務の中で知識を実践したく、現職のQAチームではこれまで行っていなかったことを今後は担っていけるよう、少しずつQAの業務範囲を開拓していっています。

今後について

先ほど書いたとおり、実践の中でしっかりと技術力を高めるというのを当面の目標としてやっていくつもりです。具体的には自動テストの開発運用を行えるよう、まずもってコードのリテラシーを高めようと思っています。

あと並行してPdM的な知見ももう少し身につけて、テストを中心としたT型人材としてのQAエンジニアになれたらな〜というのを思っていますし、加えてスクラムでのQAやスクラムマスターなんかもやれたらな〜とも思ってます。

やりたいことがいっぱいあります。QAは深みとやりがいのある職種で、かなり楽しいですね。経歴的に寄り道が多かったのでQAとしてまだまだ浅いですが、コミュニティへの貢献も含め頑張りたいと思っていますので、どうか応援いただけますと幸いです。

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