コオロギせんべいの時代
コオロギせんべい食べない?とヒトに勧められた。何も主張しない、その辺のスナック菓子と変わらないシンプルな体裁である。行ったら“つい”何かしらを買ってしまうことで定評の、◯印良品で売られていたのだという。
なるほどもうそんな時代か。白くて少し灰色のまあるいせんべいを見て、手に取りたかったけれどでもやめた。
「甲殻類アレルギーだから、それに近い成分を含むムシも危ないと思う」
事実である。コオロギならセーフかもしれないが、それでも警戒対象だ。ちなみにエビとゴキは同じ成分を含むという噂は、どちらも同じくアレルギーである私が証明する。((姿かたちに、騙されるな!))
ついにあの無◯良品で昆虫食を店頭に並べたということは、もうその時代がやってきている、いやもう日常にあるんだ。人類100億人時代、昆虫食は必須とされよう。誰もが貧困にならないよう、必要最低限を誰もに届けるといった、全範囲にわたるミニマリズムを実践する企業ならたしかに真っ先に取り入れるだろう。そのうちInstagramや追随するツールでも、 #昆虫食 が爆ウケするかもしれない。
とある先輩が就活するとき、学生時代に熱中したことは?と聞かれて、サークルの幹事長でも学部の専攻でも留学でもボランティアでもインターンでもなく、「昆虫食です」と答えた。その人は自身であちこちに出向いてムシを捕まえて調理していたし、何よりムシを愛していた(らしい)。志望の大企業に内定が決まった。それが4年ほど前の話。
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一方で、アレルギーが発覚してからの私は甲殻類に似ているという理由で昆虫食も避けている。きっとこのままでは時代に置いていかれる。バイバイ、ムシ。バイバイ、21世紀の食糧。
昆虫食の思い出といえば、汗滴る季節に高田馬場で食べた幼虫(名前は知らない)の感触を思い出す。
ぶちっぶちっと生命を引きちぎられ、私の歯に粘液を散らし、舌に絡みつき、死してなお圧倒的な感触の不快さを私に与えた。真夏に聞くどの怪談よりもずっと背筋が凍る。あれはゾッとするとしかいいようがない。ゾクゾクーっと血流が反応するのだ。夜中に思い出してハッと目が覚めそうである。硬いタガメの甲羅がバチバチに砕ける音の方がまだマシだった。
食糧に感謝できないときも、あるものなのだ。というより問おうか。「食糧とは?」
※いなごの佃煮は美味しかった。食べやすく、おすすめ。
休んでかれ。