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【読者感想文】「水中の哲学者たち」と、「体はゆく」

哲学対話を実践している永井さんの「水中の哲学者たち」。ずっと気になっていたが、この度audible版がでていたので、そちらで聴いた。

小4息子の習い事の送り迎えの車中で流していたら、どうやら彼の興味を引いたようで。結局audible版に加えて、単行本を買ってあげたら、ちょっと読み進めている。
哲学の本なのに、小4で読めるのか…ととても驚いた。(冒頭の「弊社」が読めなくて苦労していたけど)

たしかに、小学生との哲学対話の話が出てくるから、親しみやすさを感じたのかもしれないし、永井さんがとてもコミカルに日常を書いているので、それが面白いのかもしれない。

しかし、それだけじゃないかも?
僕が読んでいて、他の哲学を扱う本との違いを感じた一番のポイントは、この本には、ものすごく、身体感覚にまつわる表現が出てくるところ。
手のひらに汗をかくとか、胃がギュッとなるとか、心臓の音が聞こえるとか。

もしかすると、永井さんは、「考える」の手前に、「感じる」ということがあるというのを、大事にしているのかもしれないと思った。
そうだとすると、小4男子にとってこの本に興味を持ったのは、自分の「感じる」と共鳴する部分があったからかも、と思った。哲学の思想はわからなくても、ある場面で心臓がドキドキする、という感覚はきっと彼にもわかる。永井さんが感じていたことは、おそらく彼にも、「それわかる」と本を通じて感じられたのかもしれない。

この、「考えるの手前の感じる」について、ヒントになるかもなー、と思って次に読んだのが伊藤亜紗さんの「体はゆく」。
こちらは、哲学要素はなくて、運動や人間の認知にまつわる5人の研究者に伊藤さんがインタビューした内容をまとめたもの。

大リーガー養成ギプスみたいなジグを指に装着して、難解なピアノを強制的に演奏させられると、「あ、そういうことか」と、「わかって」、ジグなしでもピアノを弾けるようになる、とか、桑田投手の投球フォームを詳細に分析してみると、同じところにボールを投げていても、毎回、投球フォームが異なっている、というような研究結果がでてきて、めちゃくちゃ面白い。

「できるとわかる」の差分に着目していて、できていても、そのことを言語に還元して表現できるとは限らないし、逆に、体にうまく「わからせる」ことができると「できる」ようになったりもする。

僕は知識労働者なので、仕事をする上では、マウスより重いものはもたない(なんならマウスも別に持ち上げるわけではない)ので、身体を使っていない、とも言えるんだけど、伊藤亜紗さんの着目している、身体性は、ここ数年の自分のテーマだなあ、と思っている。

なぜなのかは、まだ、わからない。

永井さんがある対談で、哲学対話を対面でやるかオンラインでやるかの違いについて、「対面の場合は、いま、私があなたにコップの水をかけることもできるし、いきなり殴りかかることもできるけど、でも、そんなことはやらない、ということがすごく重要な意味を持っている」とお話をされていた。(そのままの発言じゃなくて、僕の要約)
この考え方はめちゃ面白いと思ったし、すごくヒントになりそう!と思った。まだ、何が自分の仕事や生活に生きるのかわからないけど。

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