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【読書感想文】「企業変革のジレンマ」と「訂正する力」

「企業変革のジレンマ」と、「訂正する力」。
ちょっと毛色の違う2つの本ですが、どちらも、「保守主義」についての本、という共通点を持った本でした。

2冊の共通点:保守主義について

まず、2冊の共通点である、保守主義についてまとめます。

保守の定義

「保守」という言葉を聞くと、一般には、変化を起こしたがらない、かたくなである様子を形容したイメージを抱くかもしれませんが、元々の意味としては「人間の限界や欠点を直視したうえで、なお社会のあり方をできるだけ望ましくしようとする姿勢」とされています。
宇田川さんの本でも保守主義と、ドラッカーについてたっぷりと紹介がされています。宇田川さんの本には保守主義の定義が書かれており「自らの不完全さを認め、たゆまぬ変革を積み重ねようとする思想」とされています。

元々はフランス革命についての批判をまとめたエドマンド・バークが源流となる思想で、数年前に、noteにそれについてまとめていました。
(保守主義を理解しようとして、coten radioを聞き始めたことを思い出しました・・・懐かしい・・・)

また、保守の対義語としては、「革新」、あるいは「急進」。
上記のnoteで取り上げたフランス革命の省察では、「正しい目標をめざすかぎり、社会の変化は抜本的であればあるほど良く、また急速であればあるほど良い」とする態度、として紹介されていました。

保守主義の父、ドラッカーについて

経営論の大家とされているドラッカーですが、デビュー作は、「経済人の終わり」「産業人の未来」という著作でした。当時台頭しつつあった、ファシズム全体主義に対して、どのように立ち向かうかについて書いていたのです。
(時代背景の理解が必要で、けっこうなボリュームもある難解な本ですが、数年前、audio bookで配信されていたので、そちらで聞きました。)

これらの著作の中で、全体主義への対抗手段として、保守主義という立場を重要視し、そのために組織という単位が重要である、と説いていました。

実は、僕が過去に「経済人の終わり」と「産業人の未来」を読んだときには、ここから経営論やイノベーション論にたどり着くの、わかるような、わからないような、飛躍があるような、ないような・・・という感じで、うまく腹落ちしていなかったのですが、宇田川さんが非常に明快に書いてくださっていました。

(前略)ドラッカーが人間の理性の限界を認める実践として、「顧客の創造」という概念を経営の中枢に据えたことはとても納得がいく。それは顧客という他者を通じて、自分たちの見ている現実を刷新しつつ、人々が社会に参画する可能性を拓くものであるからだ。

企業変革のジレンマ

保守主義とは「過去や現在を否定せずに、未来をより良くできると信じること」という仮説

もう少し、「保守」を自分に引き付けた言葉に変えてみると、「過去や現在を否定せずに、未来をより良くできると信じること」と言えるのでは、と考えています。

正確に言うと、過去にそのようなタイトルのnoteを書いたことがあって、それを読んだ知人から「それって保守主義の話だね」と感想をもらいまして、そこから、保守主義や周辺の歴史についての勉強をしてみたのでした。

さて、この「保守主義」という補助線を持ちながら、2冊の本についてみていきます。

企業変革のジレンマについて

あるべき姿があり、現状とのギャップを問題と定義して、そのギャップを埋めるためにアクションする、という、「問題解決」のスタイルではない、企業変革論です。

組織を考える時に、「あるべき姿」として描けるような、たった一つの正解、なんてものは存在しないとすると、あるべき姿と現状のギャップを探る、というアプローチは、成立しません。
ただただ、それぞれの企業が内外の環境変化に適応していくことが必要となってきます。

3つの壁

この構造ゆえに、「企業変革」を指向した場合には、以下の3つの「壁」がでてきて、「構造的無能化」が起きている、ということを指摘をした本でした。

  • 多義性が「わからない」壁をつくる

  • 複雑性が「進まない」壁をつくる

  • 自発性が必要になるため「変わらない」壁ができる

ものすごく、ラフにまとめると、このようになるかと思います。
まず、上記にも書いたように、正解との差分から逆算するのではない場合、何が問題なのか、とか、何を変えなければならないのか、という点は明確ではありません。しかし、内部環境も外部環境も絶えず変化しているから、企業は何かしら、変わっていく必要がある。
企業の規模が大きくなった場合、多様な部署や役割が存在することになり、それぞれの立場からこの状況をみるので、問題の捉え方が一意に決まらない。(多義性)
さらに多様な立場でそれぞれが働いており、トップダウンで戦略を決めるのも難しいし、責任を負っているKPIが様々であるので協力も得難い。(複雑性)
規模が大きい組織ほど、各構成員の自発性に頼らない仕組み化がいい意味で完成していることもあり、変革において自発性に拠った取り組みも難しい。(自発性)

構造的無能化、という言葉は、構成員が何か能力や働きに悪い点があるわけではないのに、上記のような壁ができるために、避け難く、組織が変化する力が失われてしまう状況を指す言葉として使われています。

これは、企業におけるケア論だった

最近会った友人に、「企業変革のジレンマが面白かったんだよねー」と話したところ、「あの本って大企業の抱える問題を取り扱っていると思ってたけど、そうでもないの?大企業で働いていないのに、どの辺が面白かったの?」と聞かれました。

友人の指摘するとおり、この本の主眼は大企業の組織変革に置かれています。しかし、僕がこの本に惹かれたのは、保守の思想に立った、企業のケア論だ、と感じたからでした。
実際、最終章において、「何が有効かー企業変革とケアの思想」という節があり、ケアという概念がこの本の主題と接続していることが示されていました。

あるべき姿を定義し、現状とのギャップを埋める、という問題解決のアプローチは、キュアのアプローチ。
この本が目指しているのは、キュアの対義語である、ケアのアプローチなのです。

ケア論については、ここ2年くらいの僕の探究テーマで、それについては別にまとめるとして、ケアのアプローチは、仕事でも、家庭でも大事だな、と考えていたところに、ドラッカーや保守主義と接続する形で、ケアの視点で書かれた企業変革論だったので、これは!!と感じたのでした。

その中で、このような語られています。

例えば、DXの取り組みについて、DXを推進しようとする推進部門と、実際にDXを行う事業部門があるとすれば、DXの必要性や正しさを示すよりも、推進部門が事業部門の課題や困り事、彼らのこれまでの取り組みについて理解しようと試み、その課題や困り事に対してDXを役立てる道を探るということが、ケア的な視点に立ったアプローチと言えるだろう。

組織変革のジレンマ

最近、社内で自分の仕事について話しをする機会があり、そのフィードバックで「あなたは、改善をしていくときには、いまどうやっていますか?とアプローチしているんですね」という言葉をもらいました。
僕は、まさに、上記のケアの視点に立ったアプローチをできていたんだな、ととても嬉しくなりました。

「訂正する力」について

そして最近、知人が「訂正する力」をおすすめしてくれまして、読んでみたところ、「あれ、これ最近読んだ企業変革のジレンマと同じ話してるな・・・」と思い、まとめて感想文を書いています。

企業変革のジレンマは、そのタイトルのとおり組織論(しかも、パット見大企業の組織論)で、訂正する力は、政治とか、あるいは、個人の振る舞いに寄った本ではあるのですが、保守主義という補助線を引くと、同じことを書いているんだ、と感じられました。

東さんのいう「訂正」とは、過去の出来事を「じつは…だった」という構文で捉え直すこと、とされており、否定でもなく、修正でもない、考え方。

また、同一性と一貫性の違いにも触れられており、過去と「同じである」ということを重要視して、何も変えられないでいるよりも、「一貫した」判断をすることで、過去を訂正していくことの大事さが説かれています。

おお、これって「過去や現在を否定することなく、未来をよりよくできると信じる態度」じゃん。となりました。

さらに、東さんはドラッカーを引用してはいませんが、訂正する力を発揮する方法として「組織」にも着目されており、ここも繋がっている…!となったポイントでした。

企業変革のジレンマが、ケアの話をしているとすると、構成員もケアの観点でものごとを捉える必要があります。その時に、「訂正する力」は、自分の人生に、どのようにケア、訂正を取り入れていけるのかについて、指針になるような本だと感じました。




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