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その時たしかに芸が言っていた。神田松之丞

日本でもっともチケットの取れない講談師 神田松之丞さん。実際、チケットを取れたためしがない。友人に連れていってもらったり、寄席や講談会の当日券で、何度か拝見はできた。落語がキッカケで、講談や浪曲を愉しめるようになったのは、うれしいかぎりだ。

講談と落語の違いとかは、詳しくわからないけど、「語り」と「会話」の違いが、ワタシにもわかる違いだろうか。講談の「語り」は、かなりカッコいい。魅せられるポイントの違いが、「語り」と「会話」部分って感じる。
この違いもグラデーションなので、演目によれば、それほど差異はないことも多分にある。
あと、登場人物や日時や場所を明確にするかどうかは、わかりやすい差異かな。

そして、神田松之丞さんである。間違いなく、わかりやすくておもしろい。メディアでもよく出ているので、松之丞さんが寄席に出演するときは、客層がワカモノにガラッと変わるほどの人気だ。

ワタシがスキなのは、オレは講談師だ!という愛と姿勢みたいなモノを感じるからだ。
聴いてて、魅せられる講談であり、見事な口上で客を置き去りにする魅力もあるし、わかりやすく理解もさせてくれる。そして、何より熱い!熱い!
友人が言っていたが、今の若い神田松之丞をずっと追いかけて、このエネルギーみなぎる熱さが、どう枯れていくのかをみていたい、と。
同感。
経年で変わりゆく様を応援したい。

松之丞さんのコトバにも刺激を受けます。
素人のころ、講談を聴いて感銘を受けたお話。物語の中で、主人公が初めて人を殺すシーン。緊迫と混乱の心境の中、雨が降り出していることに、ふっと気づく。
ホントに人を殺したことはないが、そのリアルな描写に感銘を受けたそうだ。

実際に講談師が、語っているかいないかの問題ではなく、その時その場所でその瞬間は、確かに感じた。
「その時たしかに芸はそう言っていた。」


落語でも講談でも、聴き手の想像力が必要となる。だからこそ、聴き手の心象風景に呼応する形で、その表情を変える。
語り手が、口に出したかどうかに関係なく、ワタシも落語や講談の芸が、語りかけてくる体験をするコトがある。
そんな体験ができるからスキなのだ。

それが、ワタシの誤読だろうと。どうだろうと。

(違いばかり気にするのでなく)
共通しているのは、
読後感が、シアワセな気持ちにさせるのだ。
戻れる場所、頼る場所にいるような居心地の良さがある。
憧れるキモチより、共感のキモチでほっこりする。


2020年2月に真打昇進とともに、6代目神田伯山を襲名することとなっている。もうすでに、講談史に残っちゃう人である。
真景累ケ淵「宗悦殺し」は、絶品だ!
また聴ける日を愉しみにしてます。


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