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ローカルに必要なのは成長ではなく発展。超訳 マックスニーフ「ていねいな発展」

共に暮らす人とマックスニーフを学ぶ。先日、地元の群馬県高崎市にて、マックスニーフの考え方を学ぶワークショップを開催しました。はじめて、ご近所のコミュニティで彼の考え方に触れました。旅をしながら行うワークショップとは違う質の学びがありました。

彼の考え方は、投資家ではなく、市民のための経済学だなと思いました。そして、それは、これからの時代に、人類が未だ経験したことのない減少社会ジェットコースターの最先端をいく、日本のローカルにおいてこそ、使われなくてはならないものだという思いを強くしました。

本noteの内容は、ていねいな発展(Human Scale Development) 著:マックス・ニーフ / 監訳:牧原ゆりえに基づいています。もし実際の翻訳書をお読みになりたい場合は、こちらご覧ください


貧困と自殺の先進国、日本

日本という国はGDPで言えば、世界3位の経済大国です。しかし、その一方で、若者の死因の第一位が自殺です。

さて、私たちは豊かでしょうか。私はそう思えていません。

これまで私は、地域の中で、特に若者や先進的な視点を持つ人たちを中心に、持続可能性を生み出そうとする人々と活動してきました。

その時に、私たちが頼ってきた言葉があります。それは「豊かさ」「幸せ」「生きやすさ」「やりがい」などです。「カルチャー」というのもありました。 しかし、それを論ずるときに起きがちなのが、雲を摑むような、やや情緒的な話し合いになってしまうということでした。

どのように豊かな地域をつくるか、どのように幸せな会社をつくるか。なぜモノやサービス、ノウハウが増えても、必ずしも私たちはハッピーにならないか。

そのような話し合いは、多くの場合あまりにナイーブです。GDPを代表的な指標として、数字を使って、量的に説明・比較できるロジックに圧倒されてしまうことがあり、新しいビジネスや政策、組織改革、社会指標への実りある議論へとたどり着かないことがしばしばあります。

だから、これからも、「豊かさ」に関わる活動は、今ある言葉で説明できる範囲でなされるべきでしょうか。

もっと自由に、はっきりと力強く、私たちの「幸せ」「豊かさ」あるいは「生きづらさ」について語れる、新しい言葉が欲しいと思いました。

そんな私たちを助けてくれるのが、マックス=ニーフです。

マックス=ニーフって誰?

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(画像引用元 http://max-neef.sustainabilitydialogue.vision/hsd.html)

マンフレッド・マックス=ニーフはチリの経済学者です。

1980年代から2000年代にかけて、チリは奇跡を経験しました。新自由主義的な政策によってGDPが急激に改善したのです。「チリの奇跡」と呼ばれています。

しかし、その一方で、チリらしい文化が失われ、貧富の差がひらいていくことをマックス=ニーフは目の当たりにし、悩むことになります。

これまで懸命に勉強してきた従来の経済学をこのまま信じ続けてもいいのだろうか?
指標はいいのだから、いいのだろうか?

そして、彼はGNP(国内総生産)のような数値・一面的な拡大ではなく、より人間にとって意味のある多面的な発展に向かうことを提案します。

ヒューマンスケール・スケール・デベロップメント

その結果、生まれたのが、「Human Scale Development(日本語訳:ていねいな発展)」です。

それは、その本の一部を日本語へ翻訳した方であり、私の友人である牧原ゆりえさんの言葉を借りれば、それは「⼈間の基本的ニーズを満たすこと」と「⼈間の⾃立を促すこと」 を基礎とする発展のための理論です。

彼の考え方は、ブータンのGNH(国民総幸福量)や、先進的な企業が持続可能な次世代の商品サービスを開発するために使われています。 国際会議などでもよく言及される世界共通の枠組みのひとつですが、あまり日本では知られていません。

超訳  ていねいな発展

彼の考え方には、様々なリフレーミングがあります。つまり、社会、商品・サービス、私たち自身に対する「ものの見方」を変えることで、その意味を変えていくことを助けてくれます。ぜひその変化を味わってみてください。

あくまで私の実践の中での理解であるということをご了承ください。

成長と発展

さて、まず彼は、成長と発展を分けています

成長とは、金、モノ、人、情報の量が増えることです。

では、発展とは何でしょうか。マックスニーフはこう定義します。

発展とは、私たちのクオリティ・オブ・ライフ(命・人生・暮らしの質)がよくなること

こう分けて考えると、おもしろいことが見えてきます。

発展は、必ずしも成長を伴わないのです。たとえば、私のおじいさんは、もう成長をしていません。しかし、俳句を詠んだり、散歩をしたりすることで発展を続けています。私たち生き物は、ある点で必ず成長が止まり、縮小を始めますが、発展は終わりません。

クオリティ・オブ・ライフとニーズ

では、どうすれば私たちのクオリティ・オブ・ライフ(命・人生・暮らしの質)は、よくなるでしょうか。そのためには、人の基本的なニーズが満たされる必要があるとマックス=ニーフは言います。

つまり、いくらモノとサービスを所有・使用しても、金持ちになっても(つまり成長しても)、私たちが満足しなければ「貧困」であると彼は言います。

人間の基本的ニーズとは何でしょうか。いわゆるマーケティングに基づけば、ニーズとは欠乏です。マーケターは、「私には可愛さが足りない」という女の子に出来る限り多くの化粧品を早く売ります。そして、「もうそれは流行じゃないから捨てて、別のものを買ってね」と、消費と成長の虜にします。

しかし、マックス=ニーフによれば、ニーズは、欠乏であると同時に、可能性だといいます。「私には可愛さが足りない」ということは、「可愛くなりたい」願いであり、力を持っているからです。(※)

私は、今これまでの人生で最も、英語力の不足を感じています。それは海外のファシリテーターと協働したいという思いがあるからです。その可能性とエネルギーで英語を勉強しています。でも、タガログ語の力の不足には悩んでいないのです。ニーズがないからです。

(※彼の枠組みで言えば、たとえば、愛情やアイデンティティのニーズがあるということ。彼はニーズを9つに分類しています。その中には、破壊や支配はありません。それが、ていねいな発展の「思考のガードレール」になっていると私は考えています。)。

サティスファイヤー

マックス=ニーフは、ニーズは全人類共通だといいます。しかし、ニーズの満たし方は、各個人や文化、宗教などによって異なります。ニーズを可能性とすると、実現のさせ方と言った方が良いのかもしれません。マックス=ニーフは、それをサティスファイヤーと呼んでいます。

それが、私たちにこれまでと異なる視点を与えます。彼は、商品やサービスの所有や使用は、直接ニーズを満たすわけではないといいます。ニーズを満たすのは、商品やサービスの中に込められているサティスファイヤーだというのです。

例えば、化粧品を買い集めることで考えてみます。その行為の裏には、アイデンティティのニーズがあること、その実現のために「自分を美しくする」というサティスファイヤーがあることに気づいたとします。すると、大切なのは「自分を美しくする」ことであって、化粧品を次々と買う以外にも、無限の選択肢があることに気づくかもしれません。

「よりよいサティスファイヤーを発見すること・つくること」が、マックス=ニーフの理論における実務的な根幹と言えると私は思っています。どのくらい自分たちなりの豊かな生き方をデザインできるかは、どのくらいよいサティスファイヤーを私たちが創ることができるかということです。

「ニーズ→サティサファイアー→モノ・サービス」この順番がキモ

ニーズを起点に思考するということ。その順番を守ることによって、私たちは、クオリティオブライフの発展をより持続可能で、より他者と共存可能にすることができます。

例えば、テレビと言うモノに依存したとします。それは、もしかしたら「暇を潰す」と言うサティスファイヤーが実現されており、怠惰というニーズを満たしているかもしれません。しかし、生存、アイデンティティー、愛情など様々なニーズを侵害している恐れがあります。一時期、中国や韓国で問題となったような「テレビゲーム依存」は、明らかに生存を危険にさらしています。

あるいは、「特定の異性を偏愛する」と言うサティスファイヤーに依存しても危険です。このサティスファイヤーを実現するために、高額な「アイドルの有料会員制のサブスクリプションサービス」は機能します。また、それは愛情やアイデンティティーのニーズを満たしているようにも思えます。しかし、何か特定のものに依存すると言う事は、それを手放すことが困難になると言うことです。

あるいは、手放さざるをえなくなったときに人はそれに固執してしまうことがあります。2018年にアイドルの握手会でアイドルをナイフで刺すという事件が起きました。この時、あきらかに相手方のアイドルの生存のニーズは危険にさらされています。

サティスファイヤーの作り方を鍛えよう

よりよいサティスファイヤーを発見・創造するためにはトレーニングが必要です。自分の体験を振り返り、探求する、内省の力が求められます。

サティスファイヤーにはいくつか性質があります。たとえば、「美味しいものを食べる」はいくつかのニーズを同時に大いに満たす強力なものです。
ほかにも「人からもらう」よりも「自分でする」という内発的なサティスファイヤーの方が、持続可能性が高いのは、お分かりになるかもしれません(そのサティスファイヤーは、自給できて、人から奪われづらいからです。)。

この練習は非常に大切です。私たちは、ニーズを力にして、サティサファイアーを発見・創造し、より自立して人生の豊かさ(QOL)を高めていくことができます

使えるリソースが減っていくローカルにおいて、幸せを譲らない生き方をできるかは、サティスファイヤーづくりの工夫次第といえるかもしれません。

モノゴトのデザイン

私たちはサティスファイヤーを発見したら、そのどれがより望ましいか選択し、それを実現していくために、新しい商品・サービス、プロジェクト、政策、組織改革、社会指標などをつくることができます。

たとえば、企業などでは「どのサティスファイヤーを実現するために、どのような商品/働き方を変えるのか。」が、検討事項に当たるかもしれません。

サティスファイヤーが組織や地域の単位となる場合、その発見、選択には、参加型の話し合いを必要とします。

このプロセスには、戦略的な思考、特にシステム思考が有効だと私は考えています。サティスファイヤーには、個人・社会・環境の3つのスケールがあり、それらがトレードオフ(あるものを満たすと、他方が阻害されること)を起こすことがあるからです。

そして、サティスファヤーを商品・サービスで実現するためには、プロトタイピングなどのデザイン思考も必要でしょう。

「ていねいな発展」が新しい言葉だとすればそれをどのように使うかについては、練習が必要です。

そして、ラッキーなニュースは、私の経験によると多くの場合、その練習自体が、楽しいこと・豊かなことだということです。体験を通じてしかわからない事です。よかったらぜひ一緒に学びましょう。


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反町 恭一郎
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