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対話のための映画「もりのこえん」をつくりました

新しい映画をつくりました。それは新作というだけではなく、「対話用映画」という、ジャンルとして新しい映画だと思います

視聴後に、全員で対話の場をもつことを前提に作られた映画です。子どもが置かれた環境や、里山でのまちづくり、人と自然の共生について、多様な利害関係者が深い対話をするためのワークショップ進行表、問いかけのスライドも提供します。

また、「上映会」を自らオーガナイズするというのは、自分の思いのもとに仲間を集め、社会運動を計画し、起こすための基礎力を高めるための実践演習として有効です。本作はそのきっかけづくりをサポートするものです。今のところ、この映画を最も多く使うのは私自身で、大学や教育福祉系のNPOの研修でやっています。

さらに詳しくは、公式WEBサイトをご覧ください。予告編もあります。

このnoteでは、なぜ今作をつくったのかなど、背景にある私の10年くらいの道のりを振り返りたいと思います。よかったらお付き合いください。

私が「映像×対話」の試みをスタートさせたのは20代前半の頃。2014年の高崎まちCMは、そうした活動の一つでした。群馬音楽センターに関わる「まちの記憶」をオマージュした映像作品を撮り、上映後に市民同士の対話の場づくりを行いました。

老朽化したその施設を取り壊すのか、さらに使えるように補強するのか、代替施設を作るのか・・・。

このプロジェクトは、そうした意思決定の場が開かれる前に、集団として大事にしたい価値観ほんとうに目指したい未来とはなんなのかをみんなの話し合いのテーブルの上にあげるための場でした。それが仕事になるとは、当時は想像もしていませんでした。

1 私のしごと

今、私は「ホスト/ファシリテーター」と呼ばれる仕事をしています。相手は、NPO、大学、企業自治体、地方議員、市民団体などいろいろです。
共通しているのは、人々が次のようなことができるように伴走・支援することです。

  1. 多様な利害関係者が、難しくても、とっても大切な話し合いをする

  2. みなで目指したい未来を共に描く

  3. それに向かってこれまでの境目を越えてコラボレーションをする

たとえば、愛知県の東浦浦町では、来るべき南海トラフ地震に備えて、「みんなで考える防災まちづくり」というワークショップをしました。住民、インフラ業者、市長、役所のみなさん、そして東京大学と連携して、データを活用して本当に使える防災計画と体制をつくろうという試みです。

ほかにも、自治体、NPO、PTAなど市民団体と働く事例は多くありますので、私のnoteやその他をググってもらえればと思います。

こうした仕事は、言い方を変えれば、「未来のストーリーをみんなで共につくる」こととも言えます。

ストーリーとは、人々の表情や、行動、そこで起きていることをありありと未来をイメージでき、展開して景色がひろがっていく物語です。ストーリーの類型は様々にあります。たとえば、「ビジョン」と言われるストーリーは、未来の憧憬であり、そこに向かってあなたを行動に駆り立てます。一方で、「あたたかい地域」はスローガンとしてはステキですが、展開が見えてこないので、それだけではストーリー/ビジョンとは言えませんね。

そして、人々がやりとりを通じて、お互いの声を聞き合い、互いのニーズを満たしあえると信じるに値するストーリーを共に紡ごうとする企みのことを「対話/ダイアログ」といいます。それぞれに自分の「言い分」があり、潜在的な対立があるテーマで活用される手法です。これは、日本の公教育でよく教えられるプレゼンテーションやディベートと言われる話し合いの仕方とは異なるやり方です。物語は「人々の語り」の中に現れてきます。だから私は対話を必要なものとして実践してきました。

つまらない会議ではなく、「みながイキイキ参加して変化を生み出す、ワクワクするような本当に意味のある話し合い」の実践や研究、その実践者コミュニティの発展にも力を注いでいます。

■対話の呼び水として、映像を使う

人々が自分たちの未来を想像する時に、動画は役に立ちます。それは「教材動画」よりは、「ドキュメンタリー」に近いものです。

  • フードロス対策会議で、漁師さんたちが海に出て命をかけている様子を語る映像を見てから話す。

  • 市民の日常的な政治参加を考えるために、地方議員の日常を取材した映像を見てから話す。

家族が食べる卵は、誰にどんなふうに作られているか

今、社会で起きてることが生々しくわかる映像を見ることで、多くの方が、自分という存在の影響力に気づきます。社会で起きていることと自分が関係があるのだ、と。

たとえば、食料生産、生活用品。効率化された社会の流通網の中で、私と生産地のつながりは見えづらくなっています。しかし、私たちが食べる一枚の魚の切り身、卵、着ている服がつくられる過程を目の当たりにすることで、私たちの日々の選択が、良くも悪くも、どのような社会に加担しているのかに気づきます。常識だと思っていたやり方は、実は誰かを傷つけるものだったかもしれない。逆に、応援するものだったかもしれない。

よく「社会課題を自分ごとにしよう」といいますが、その説教臭さがかえって、人々が社会課題に向き合う意欲を削いできたと私は思っています。「この話は、そもそも、自分のことだった」。そう気づく機会をつくるために、映像は役に立ちます。

また、映像を見ることで、人々は既存の枠組みや常識にとらわれずに話しやすくなります。たとえば、農業政策について考える時に、JAネットワークの外ではたらく有機農業の人たちの様子を動画で見てから話したことがありました。いま、自分が信じている「ふつう」は絶対的なものではなく、その外側にいろんな人がいろいろな「ふつう」の中で働いている。しかも、それはどこか遠くの国のことではなく、あなたの暮らしのすぐに近く起きている。

インプットだけではなく、映像でアウトプットの場合もあります。ある非営利団体は、ワークショップを通じて描いた10年後の自分たちの姿になりきって寸劇にして、ミニドラマとして映像化しました。この未来のドキュメンタリー映像は今後、彼らの仲間を育てていくための対話の場をひらくときの話のとっかかりになります。

2 課題意識

■こんなじゃない世界に住んでみたかった

ではなぜ、私はこうした物語×対話の実践を続けているのか。その背景には、友人たちの鬱や死があります。

私の社会活動家としてのキャリアの最初は、自治体職員をする傍ら、自主活動として、社会的マイノリティや困窮者たちの「個人の話を聞く」という仕事でした。また、そのような施設を運営したり、療育にあたるスタッフなど「聞く人の話を聞く」というサポートもしていました。

ある若い私の友人は、自身の性自認をきっかけとした家庭での暴力を逃れてあるシェルターにたどり着きました。もともとは家庭や学校で「いい子」を演じることから始まり、その後も、性別での役割分け、家庭、学校、就職について「ふつうはこうあるべき」という期待を押し付けられていました。それで、どこかでプツリと切れて家出。

そんな彼女は、自身の保護と引き換えに、こんな労働をしていました。どこかからガラスや陶器をトラックで回収して、自分が住んでいる場所の庭先に蒔く、そして、それをハンマーで粉々になるまでたたく。そんな「就労支援」を受けている彼女たちの住まいには、「寄付」といって、スーパーで売れ残った超激辛ポテトチップが山のように運び込まれ、その子たちはそれを貪るように食べていました。

このように、私が接した若者たちの多くは、複数の困りごとが重なりあい、連鎖する難しい状況に陥っていました。

彼らは、自分を苦しめる集団/個人のストーリーの中に置かれつづけていました。まずは、学校や家庭など集団が既に持っている規範に順応できない・したくもない。でも、そこから飛び出してみると「誰かに頼るのは恥である」「今起きていることは自分のせいだ」という思い込みから自由になれない。その結果、死にたいけど怖い、生きたいけど辛い。何に悩んでいるのかもわからない、考える気力もない。

こんなじゃない世界に住んでみたかった」ある人はそんなことを言い残して、もう会えなくなってしまいました。

一方で、私もだいぶ参ってしまいました。ひとりひとりの話を、わたし一人が聞きつづけることに、私の心身の限界が来ました。聞いても聞いても、事態の悪化を止められないケースが増えました。なにかを救おうにも私の小さな器では掬いきれず、つないだはずの手は次々にほどけていきました。正直、どこかでやっていることの不毛さを感じました。開けっ放しの蛇口から水がダダ漏れしているところを、ずっと雑巾掛けをしているような感じです。

その「蛇口」を止められないか。つまり、こうしたことが環境のほうを変えられないか。どうしたらこんなに虚しいことが減り、みんな健やかにいきいきと一緒に暮らせるのか。

■ワークショップの形骸化

そんな思いで日々仕事を頑張っていますが、場数を踏んでいくと、ある法則が見えてきます。それは組織の合併、防災計画の策定など、未来について、多様な立場や考え方の人々が話し合う必要に迫られている、その自覚があるとき、私たちの実践は歓迎されるということです。

しかし、もともとの使命である、若者・子ども、女性や、マイノリティなど、弱者の立場に置かれた人たちが「自分の声を諦めやすい環境」を変えることには難しさを感じていました。

なぜなら、「話し合いは苦手で嫌だ」と感じる人が多くいるからです。学校や会社、地域の会合などでの体験を通じて「話し合いとは、支配や操作、説得をされる場である」と考える人は少なくありません。最近では、ワークショップ形式の話し合いについても、「主催者やファシリテーターの用意した答えへの誘導や押し付けが強すぎてつまらない、おそろしい」という声が多く聞かれます。

たとえば、自治体の仕事で、私が地域の会合にファシリテーターとして赴くと、想いがある自治会の方からは「権力者のために、話し合ったという事実だけを作りにきたのではないか」と警戒されることも少なくありません。逆に、皆が地位の高い人の顔色を伺うばかりのこともあります。

本来は、みんなの声を大切にするため、人々が内発的に動き出すことを助けるためにつくられたはずの「ワークショップの手法」が、むしろ、それが解こうとしていた問題の一部になってしまっていると感じます。

実際、楽しくないのに笑わないといけない、発言したくないのに指名されたら何か言わなくてはいけない、誰かが発表をしたら必ず拍手。そうやって人を都合のいい機械みたいに扱う異常さが罷り通っているのが、最近の「ワークショップ空間」であったりします。こうした働きかけを受けた人たちは、何でも「ファシリテーター待ち」になりがちです。

話し合いへの信用の低さ、ワークショップの形骸化、またそれゆえに、地域社会に対話の入り口、「自分のほんとうの声」をあげるスペースがなくなっていくという負のサイクルが起きているのではないか。加えて、家庭環境やスマホ、SNS、メディアの影響もあります。そうしたことが複合して起きているコミュニケーションの劣化を私は重く受け止めていて、心からなんとかしたいと思っています。

3 「物語×対話」という提案

こうしたことから私が始めたことの一つが「物語×対話」のイベントでした。これは、映像をよく使うようになる前の話です。たとえば、このような活動をしてきました。

・妊娠中+産後ケア整体院にて、女性/ママの声を聞き合う会
・若者向けシェルターで”何者でもない私”の人生を聞きあうにんげん図書館
・人に会いに行くバーチャル・ツアーちか旅

みんなで一つの絵本を囲って読み聞かせをするように、毎回、コミュニティのひとりが語り役となります。等身大のライフストーリーを聞きながら、みんなで普段は話しづらいことも含めて、話し・聞き合ってみる。

こうした、あくまで遊び、楽しいイベントという招待で、対話の質を体験をしてもらった結果、そのやり方へ興味を持つ人が増えました。私たちは練習すれば、一人一人が自分のほんとうの声を聞き合える場を、育てていくことができます

■続けるのがむずかしい

しかし、こうした活動を継続することも困難でした。その理由は2つあります。1つ目は時間で、ストーリーテラー役のコーチに多くの時間がかかりました。これまで声がきかれていなかった人が、周囲の人や社会に対する糾弾ではなく、自分の痛みや経験談を語れるようになるには、かなりの時間を伴走する必要がありました。

2つ目はお金で、助成金や寄付を受けない限り、運営費用をまかなうことができませんでした。私は「普通のひと」のライフストーリーを聞くことを素晴らしいものだと思っています。しかし、多くの人は「すごい人」の話を一方的に聞くことに慣れていて、私たちはイベントの集客力や価格を上げることができませんでした。

■「対話用映像」の開発

ある社会福祉協議会ネットワークでのオンライン上映対話会

そこで、私たちはストーリーを「生の語り」から「収録映像」に変えてみることへ辿り着きました。映像作品にすることで、よりエンタメ感を出し、関心や支援が集まりやすくすることを目指しました。

スキルを上げるために、自主的なものも、委託をいただいたものも含めて、2年で50-60本くらい取材・制作、その披露をしました。現場に行き、声を聞き、カメラを向け問いかける。練習はなく、いつでも本番。その中で、どうすれば対話がはじまりやすい映像になるのかも試行錯誤を重ねました。

まずは、モチーフは生活者の身近なものであること。農水産業、里山、高齢者の居場所、こどもの教育、自然、「灯台下暗し」といいますが、こうしたモチーフは、わたしたちの日々の物理的に近いものの、効率化された社会では、あまり意識せずに暮らせてしまいます。しかし、それらは私たちの生活の中に密接に関わっています。

だからこそ、「ふつう」とは違うところから、問いかけがあること。モチーフは身近であるが、今の支配的なストーリー(今の世の中で、広く「あたりまえ」だと思われている現実)とは、異なる現実で生きている人たちの体験談を狙って取材を行なうようにしました。そして、理論家や批評家が「これからの〜〜はこうあるべき」と説教する姿ではなく、実践者が自分の仮説を信じて葛藤する等身大の姿を通じた問題提起があることを大切にしました。

さもなければ、視聴者が「こんなすごい人たちに比べれば、私たちなんてダメだ。できてないし、持ってない」と思い込んでしまうからです。映像を見て、自分たちに足りないものを憂うのではなく、「私たちがすでに持っているものをつないだら、なんとかなるかも!」という方向の話し合いを誘うことが、対話を始める映像に求められる要素だと考えます。

これらは、とにかくいろんな人に教えを乞い、やってみた中での仮説です。今のところ、私のスタイルは、映像ビジネス、広告業界とは相性が良くなさそうでした。映像だけでメッセージを伝えることを鍛えた人にとっては、「視聴者へのパンチの足りなさ」「見る人に対話する余白を残す」ことは、彼らの常識に照らすと、作品としての欠陥に見えるようでした。

一方で、スロージャーナリズムやポジティブジャーナリズムは、まさにこうした実践の中で出会った大切にしたい価値観を実践する人たちでした。「キラキラ速報ではく、じわじわ調査報道」そして、「今ある問題を糾弾するのではなく、夢や可能性を問うこと」は、映像制作の道標となりました。

■「もりのこえん」との出会い

そんなことを考えながら映像制作を行ってきましたが、対話用映画として公開するには大きな問題がありました。それは、しばしば私たちの取材映像は、内容があまりにプライベートすぎて一般公開できない、公開することで語り手を危険にさらす恐れがあるということです。相手が既存のマジョリティー、つまり、既得権益や体制から逸脱している人ほど、話は面白いのですが、公開しづらい。

しかし、そこを乗り越えるきっかけを頂いたのが、山口県のNPO法人もりのこえんのみなさんでした。友人の小柳明子さんにおつなぎいただき、ご縁が始まりました。彼女たちの活動は、私のテーマと重なりました。

滞在制作をさせていただく中、やっとの思いで完成した、映画もりのこえん。撮影した内容には、カットしたほうが社会的に安全な発言やシーンが含まれています。しかし、目的に照らして何度も打ち合わせをする中で、上映会のやり方などに条件をつけることで、結果的に物議を醸しうるシーンが残った形で公開することができました。

一番最初の上映会は、2023年3月26日。もりのこえんの卒園式の際、出演した子どもたちと保護者、関係する皆さまと共に見ることができました。

その後も、上映会が各地で開催されることになりました。福岡、群馬、神奈川、東京、北海道。全国の友人たちと試行錯誤を繰り返しながら展開を進めています。

それでも、現時点ですでにこの取り組みは、たしかに対話への入り口を開くものになるのではないかという気持ちを高めています。

■富岡市での対話型上映会

先日は、地元群馬県の富岡市で、対話型上映会を行いました。

参加者から、このような声があがる一幕がありました。

graphic by Shiori Miyazaki

学校の保健室で聞き役をやっている方が、生徒から「私に勉強を押し付けないで」「私の居場所はないです。どうやったら死ねますか」という相談を受けているというのです。

そのようなことが起きているのだということが、みんなに知られたことで、「すぐに学校を変えるのは難しいかもしれないが、私たちで地域の中には居場所を作っていける」という問題意識を共有した市民のつながりが立ち上がりつつあります。

また、東京からの参加者が、その日に初めてあったにもかかわらず、都内で自主上映会を開催することにもなり、つながりが生まれたことが目に見えてわかりました。

私はそれを目の当たりにして、つながる準備のできていなかった感情とつながってしまい、つい視界が滲みました。もう会えなくなってしまった仲間やこれから会う仲間の顔が思い出され、「ここまで来たか」という感謝の気持ちと「まだ全然間に合ってない」という焦燥感、そんな複雑な気持ちが私の中で渦巻きました。

4 未来のこと

望む誰もが暮らしのそばで、質の高い話し合いにアクセスできる状況を作りたいと思っています。質の高い話し合いというのは、ひとつは、変容的な話し合いであるということです。「器の大きな人間」なんていう慣用句があります。私たちは安心して、信頼できる、何かを手放して変わることができる時、「器の中にいる感覚」を得ます。

それはいわゆる「居場所」とも言えるかもしれませんが、私が社会に足りないと思うのは、保護する/される場所ではなく、「危険なことをやってみれる場」です。それは「サナギ」のようなものかもしれません。サナギの中で、芋虫は溶けてほぼ流動体になり、美しい蝶々へと変身します。そんな恐ろしいことができるのは、安心して今の形を手放せる、一旦溶けていける「強い器」があるからです。

それが人間社会でいえば、自分の暮らしの半径300メートル以内にいつでも「おーい」と声をかけられるコミュニティがあることかもしれません。これまでの常識にとらわれず、望む暮らしや仕事、社会の規範(物語)について安心して話せる人がいて、その実現に向けて支え合える人がいることかもしれません。そんな光景を当たり前にしたいと考えています。

そのため、私たちの対話に関わる活動は「私が中心となって大きくしていく」よりは、「小さな場が増えていく」という展開ができないかと考えています。そんなムーブメントへと育っていくように、これからも地道に実践を続けていきます。

■あなたの地域でも上映会やってみませんか?

もし今回のnoteにピンときた方は、ぜひ「もりのこえん」上映会はいかがですか。もしそのために、私たちがの実践が役立ちそうでしたら、是非お力になりたいです。noteやSNSでコメントやメッセージをください。

あるいは、映画に関わらず、対話の学び、みんなの声で社会を変えていきたいという方はぜひご一緒できればと思います。

最後までお読みいただいてありがとうございました。
また次の旅でお会いしましょう!

タイトル写真 by Naoki ichinei


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