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複雑な時代を生き抜くために必要な学び方|知識とメタ知識

「先生、あいでんてぃてぃってなんですか。」

昨年末、私は群馬県前橋市において、日本ファシリテーション協会ぐんまサロン主催のワークショップを行なっていました。当日は、老若男女の方がいらっしゃって、その中には小学生もいました。

持続可能な発展のための戦略的言語の一つであるマックスニーフ についての内容で、その中には、自由や創造、生存など人間の基本的ニーズについて学ぶパートがあります。

そのあとの休憩時間のことでした。

小さな女の子がやってきて、私の前でモジモジし始めました。仮名で、しずちゃんとしましょう。

それで、後ろにいるお母さんにつつかれながら、しずちゃんが言ったことがこうでした。

「せんせい、あいでんてぃてぃ、って何ですか」

この時の一瞬だけ心臓が止まったような感じがしました。私がかつて教師だった時に、子供達を工業製品のように規格品化させようとした暴力をはたらいたことへの罪の意識が思い起こされたのです。

その時のエゴが自分にはまだ少しあったようで、胸のあたりでこういう声がモゾモゾと蠢くのを感じました。「ああ、アイデンティティについて、この子について教えたい」「ああ、自分が有効であることをこの場で示したい」。

それに気づくことができた私の口から出てきたのは、こうでした。「んーなんだろうね。一緒に探してみよっか」。

その結果、しずちゃんと会場を歩き、参加者の「アイデンティティ」についての表現されたカードを見て、インタビューすることにしました。「・・・さんにとっては、こうなんだね。・・君にとってはこうなんだね。・・・ちゃんにとってはこう。」

一回りして元の場所へ。
「じゃあ、しずちゃんにとってはどうかな。」「しずちゃんのアイデンティティは、どこにありそうかな。」

その時に、しずちゃんが、自分の顔や胸のあたりを指差しながら「ん〜」と言いました。その時、チャイムが鳴りました。ワークショップの後半の始まりです。お母さんと私としずちゃんは目を合わせ、微笑んで、席に戻っていきました。しずちゃんが目をクリクリさせ、自分の胸に手を当てながら。お母さんは私にペコリとお礼を捨て、満面の笑みで。

知識とメタ知識

この時、私のエゴがしずちゃんに教えたかったことは、おそらく私の知識です。「私自身にとってのアイデンティとは何か」だったのだと思います。それを子どもに刷り込んで嬉しいのは、もちろん私のエゴだけです。

その代わり、今の私が私がしずちゃんと共に学ぶことへお誘いしたのは、メタ知識でした。つまり、「アイデンティティの探し方」です。大人にインタビューしてみたらどうか、人が表現したものをのぞいてみれるか、自分自身に問うてみたらどうか。

メタ知識とは、「知識を生み出すための知識」です。

たとえば「本の内容」は知識ですが、「自分に合った本の読み方」は、メタ知識です。

スポーツでいえば、「サッカーのルール」は知識ですが、「ルールのつくり方」は、メタ知識です。呼吸の仕方や、人へのパスを出したいときの目線の送り方、話の聞き方などもそう。

新しいゲームソフトは、古いゲーム機では動かない

知識がアプリケーションソフトで、メタ知識がOSのとも言えます。わたしは、様々な自主活動をやりましたが、結局変化を生み出さなかった事例をふりかえって反省していることがあります。それはまるで「プレステ4のソフトを、プレステ2の本体で動かそうとしていた」ようなものでした。

たとえば、私は公務員時代、たくさんのお勉強会や交流会を行いましたが、どれも「この活動をやっていけば、マジで現実を変えられる」という実感に欠けていました。

OST、ワールドカフェ、デザイン思考…あらたしいワクワクする「プレステ4のソフト」は仕入れましたが、ずっとプレステ2のキャパの中でやっていたのですから、当然ですね。

たとえば、行政の分野での「古いOS」のなかで生まれる関係や知識は、年功序列による指示命令があることを前提につくられますので、その枠組みを突破できません。しまいには、既存の枠組みの外にあるはずの自主的なネットワーク活動の中で、官僚型のヒエラルキーが再現されたこともありました。「若い人はこうすべきだよね」「イベント開催は、持ち回りですかね」などです。クソですね。

そうすると、「あれ、こういうことを変えたくて、この活動はじめたんじゃなかったっけ」と思うのです。せっかく、取組が、答えがない余白の領域に入ったのに、過去の答えをそこに突っ込んでしまう。そうすると、既視感と諦めが蔓延しはじめます。「ああ、またこれかあ…」。

そして、結局、何かを変えたいなら「偉くなるまで待て」とか「いつか希望の部署に行く」と指導を受けます。つまり、私は、「組織での会議の仕方」「個人のキャリアの変え方」「人とのはたらき方」「意思決定の仕方」を変えられませんでした。それについてのメタ知識がなかったからです。

メタ知識こそが活きる時代

メタ知識の質は、目まぐるしく変化する不確実な時代において、生き延びる力・本質的な変化を生み出す力になります。

メタ知識は、文脈が変わっても様々な分野に応用可能なものです。

野球のルールは、サッカー場では使えません。でも、自分の体の動かし方、チームメンバーとの関わり方は、活かせます。明日プレーするゲームが急に変わり、それが全く未知のものだとしても、メタ知識は活かせます。

複雑な時代とは、プレーするゲームが急に変わるということです。iPhoneやAIの登場、そして、新型コロナウィルスの登場を経験した人はお分かりのはずです。脱炭素化に向けた取り組みでは、まさに今それにさらされている人が多いはずです。

「自分の好きなこと、天職はこれだ!」と思ったことは、かつての時代なら40年の現役人生の中で同じものを持ち続けられたのでしょう。  

しかし、今は、めまぐるしく変化する時代の荒波にさらわれて、すぐに陳腐化や、使えなくなってしまうおそれがあります。あなたの仕事のミッションが「現状維持」であるとしても、変化が必要です。

学び方を学び、変え方を変えよう。

子どもに「自転車の乗り方」という本をプレゼントする人はいないでしょう。メタ知識は、本ではなく、自分でやってみてこそ身につきます。自転車であれば、乗ってみて、転んで怪我をしながら、自分なりのやり方を身につけていくように。

しかも習得には時間がかかります。「すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる」といいます。スマホにアプリをダウンロードしたら、次の瞬間から出来なかったことが急にできるようになるわけですが、それではなにも身についていません。

すばらしいメタ知識は、練習を通じて、自然界のようにゆっくりした速度でつくられていきます。つまり、知らないうちに静かに現れて、ゆっくりと根付いていき、気づいたら花開いているということです。めげずに、練習とふりかえりを続けましょう。そうやって身に付いたものは長く使えるし、誰にも奪われません。

学び方を変えて、変え方を変える」。この時代を生き抜くために、様々なレベルで、このチャレンジをせざるを得なくなってきているのではないでしょうか。

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