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ここにいないダチ公のために

『ザ・フラッシュ』は数奇な運命を辿った作品だ。自分がフラッシュ単独作品化の知らせを始めて目にしたのは2018年、ジャスティス・リーグの劇場公開とほぼ時を同じくしていたが、早耳な諸兄はもっと早くに初報を聞いていたかもしれない。

 そこからの紆余曲折はよく知られるところである。主演のエズラ・ミラーが書いた脚本がポシャったり、ワーナー・ブラザーズ経営陣のウォルター・ハマダがユニバースの拡張に芋を引いたり、マルチバースネタでマーベルに先を越されたり、DCEUの打ち切りが決まったり、どうぶつタワーバトルが流行ったりして、しまいにはエズラ・ミラーが逮捕されていた。

 要するにザ・フラッシュの公開は伸びに伸びたということである。予想されるのは作品に対する悪影響であり、延期の間今作のフィルムは随所にハサミを入れて切り貼りされたに違いなかった。

 そんなわけで見る前は不安だった。公開後真っ先に見に行くつもりだったにも関わらず、公開一日目はうまく日程が合わずスルー。残念な気持ちが半分、もしこれで駄作だったら見ずに済んだという安堵の気持ちが半分。結局映画は翌日見ることになるのだが、この時点で相当な不信感を抱いていたと言える。

 そして翌日。劇場を出た俺はこう言って天を仰いだのである。

「これ、完璧なんじゃないか…?」

ザ・フラッシュの感想文です。見てから読んでね

 何をおいてもエズラ・ミラーである。次にエズラ・ミラーである(二人いたため)。アクションやSFスリラー、果ては単なるファンサービスを行き来する本作には展開の起伏に説得力を与える演技が欠かせない。エズラ・ミラーは時にバカなことをやり、時に己を顧みて苦しみ――まさしく運命に翻弄される若者の姿を全身全霊で表現していた。

 マルチバースを扱う本作では、ともすればベテラン勢・再登場勢はそっけない出番となりがちであった。だが本作ではいかなる場面においても観客はエズラ・ミラーのエネルギッシュな演技を見ていれば良いのであり、その点では全く正しい采配に思えた。脚本そのものもエズラ・ミラーの演技力に全面的に身を任せたものだったと言える……特に終盤の展開たるや!

 そこまでシナリオはヒーロー映画に漂う楽観的な万能感を逆手に取り、ヒーロー映画とその外側に広がる暗黒領域の際(きわ)をこの上ない表現力で鑑賞者に突きつけるものだった。全体は若者の自意識の興隆と挫折との相似形を成しており、そつなくまとまっていた…が、ヒーローの限界が描くがゆえに結末が近づくにつれ主役の活躍度合いが弱まり、アクション的にもうひと盛り上がりほしいところで事態が終結してしまったような印象が否めないこともまた事実だった。

 スクリーンの中で当面のボスであるダーク・フラッシュが打ち倒されるのを見て、俺は思った…「ザ・フラッシュ!確かに君はここで終わっても素晴らしい作品だ!けどまだもうひと盛り上がり…あるんじゃないのか!尺的にも…お約束的にも!」「ついでにDCEUもこれで終わるんだぞ!」

 これほど完成度の高い映画が、画竜点睛を欠く終わりを迎えかねないとは!俺は脳裏をよぎったその可能性の恐ろしさに、拳を握りしめて耐えなければならなかった…!が、どうあれ結末を見届けなければならない。俺はスクリーンを見る目に万の力を込め…そして始まった次のシーンを見て、度肝を抜かれた!

 過去世界のスーパーマーケットで、バリー・アレンが母と会い、二言三言会話を交わす…該当のシーンにおいて起こったことはそれだけだ。だが映像が与えた印象は――鮮烈だった…。棚の商品を除いて白を基調とした清潔なセットがあった。落ち着きのあるカメラワークがあった。およそヒーロー映画に似つかわしくない静謐な時間があった。引き算の先の淡いタッチがあった。そして非の打ち所のない役者の演技があった…。

 俺は震えた…ヒーロー映画の結末に、こんな役者の演技の凄みだけが存在する、あまりにも映画的な場面が待っていようとは…そして泣いた。これまで映画を見て泣いたのは一度だけだ。あれはルカ・グァダニーノ監督のサスペリアを見たときのこと…結末でこの世を悪に導く魔女たちが打ち倒され、血の海と化したホールで女生徒たちが何かに取り憑かれたように踊る場面で、俺はそれまでの残虐さと打って変わった彼女たちの成す幾何学模様の温かさに触れて泣いたのだ!それと同じことが…起きた…。

 劇場は静まり返っていた。俺は嗚咽を押し殺し…口元に手をやり…ふと隣を見た。そこに見慣れた顔があった。俺の隣にウォルター・ハマダ(DCフィルムズ社長 2018-)が座っていた。

 ハマダは言った。「この映画はDCEUそのものだ」

「私達はバリー・アレンのようにあちこちガタが来て、悲鳴を上げるDCEUを救おうとあらゆる手を尽くした。皆に喜ばれるような作品を作り…製作に様々な人物を起用し…時にはMCUを真似たりもした。けれど…一つも上手く行かなかった。私はDCEUを終わらせることに決めた。お別れを言うときが来たんだよ」

 …謎が解けた気持ちだった。なぜワーナー・ブラザーズは数々の不祥事や延期を受けても公開に踏み切ったのか…なぜ作品はDCEUの最終作たり得るのか…彼らはDCEUの失敗をこの作品に重ねていたのだ。

 話し終えるとハマダはスクリーンに向き直り…その頬を一筋、清らかな涙が伝った。俺はそれを見て無性に寂しくなった。今すぐハマダの手を取り、これまでDCEUを作ってくれてありがとう、と伝えたくなった。だがその手は虚しく空を切るのだった…ハマダは消えてしまった。

 気がつくと映画は終わり、劇場内に照明が灯っていた。俺は涙をぬぐい、胸の痛みに耐えながら映画館を出た…空を仰ぎ、思わず感嘆の言葉を述べたのは冒頭に書いた通りである。そしてその時…光が空をよぎった。

 遠い夜空をよぎる、流れ星である。俺は直感した。あれこそがDCEUの最後の輝きだと…。俺は思わず駆け出していた。過ぎ去る星に追いつくには俺のからだの動きは余りにも鈍く…やがて私は足を止めた。だが、私の心は未だに走っているのだ。あの日去って行った星…DCEUを追って。

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