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漫画『シャドーハウス』の弾丸がおれの胸に穴を開けた

 大いなる漫画の中の漫画『シャドーハウス』がとなりのヤングジャンプで12月18日(水)まで全話無料公開されている。おまえはもう読んだか? おれは最新話である49話までを一気読みした。凍えるような冬の晩のことだった。おれは作品に夢中になり、いつしかペチカに薪を足すことすら忘れていた。読み終えてふと気が付いたとき、窓の外では夜が明けていて、暖炉には灰しか残っておらず・・・・おれの胸には、穴が開いていた・・・・・。

 SHADOWS HOUSE。後から振り返れば、Twitterのタイムラインでそのタイトルを目にした時から、おれは奇妙に心がざわつくのを感じていた。なので同じポストに添付されている画像を見た。するとそこには主人公と思しき少女と、その隣にもう一人・・・・異様としか言い表しようのない人物が映っていた。それは外形のみを先の少女と同じくした黒塗りの人物で、漫画的な陰影や心理演出でなく、明らかに「黒い人」として描かれているのが見て取れた。

 何かがヤバい。わからないが、何かとんでもないことが起ころうとしている――おれは座っていたアームチェアの上に中腰の姿勢で素早く立ち上がり、警戒の姿勢を取った。攻撃を受けているのかもしれないからだ。おれはうかつに画像を開いたことを後悔していた。だが相手にすぐに仕掛けてくる様子がなかったので、あくまで警戒を解かずに椅子に座り直し、読み放題のページへと続くリンクを開いた。

 このときディスプレイから視線を切らないようにして後ろ歩きで部屋から退散する・・・・そういう道もたしかにあったと言えよう。だが開かざるを得なかった。おれはその時点ですでに、それほどまでに魅入られていたのだ・・・・この謎めいた、SHADOWS HOUSEに。

シャドーハウスの住人達

 読み始めたおれはまず画面を埋め尽くす影に圧倒された。舞台となるシャドーハウスは広大な洋館だ。中は大抵の場所が薄暗いのだが、その影は細かい線の集合によって表現される。おれは目前に待ち受ける闇に思わず息を呑んだ。だが同時にどこか懐かしさを覚えたのも事実だ。おれはかつてここへ来たことがあるのだろうか・・・・?

 屋形に来たおれを出迎えたのはTwitterのポストでも目にした少女だった。名はエミリコ。シャドーハウスに住むシャドー家に仕える身分だ。人形のような端正な顔をしているが、それもそのはず、エミリコはシャドー家に奉仕するためだけに作られた、人間を模した生き人形なのだった。

 エミリコは容姿こそ幼く言動も大抵はあほみたいだが、表情豊かで溌剌としている。精神的にタフで些細なことでくよくよしないし、自室に貼られた自分の説明書によく目を通し、善良な心根でもって主人の役に立ちたいと思っている。そこらの人間よりも人間らしいこいつを見て、おれは心が安らぐのを感じた。

 エミリコを従えるのはシャドー家の一員ケイト・シャドーだ。このケイトこそおれが目にした黒塗りの人物だ。奇妙なことだが、シャドー家は皆顔がないらしい。当たり前に食事やエミリコとの会話を行うケイトを前にしても、やはりおれの警戒が途切れることはなかった。顔の見えない相手からは視線や感情を読み取ることが困難になる。たとえばサバイバルナイフを手に飛び掛かって来られたときなど、体のどこを狙われるか事前に察知するのは難しいだろう。

 シャドー家は不安や怒りの感情が生じると頭の上から蒸気機関車のようにを吐く。シャドー家が撒き散らした煤を掃除するのが生き人形の役目なのだ。ケイトは気難しく頻繁に煤を吐くが、反対に陽の感情は顔がないので表に出ることはない。そうゆううしろ向きなイメージが、おれの警戒をより一層厳しくさせた。

 時におれとケイトの間の緊張が高まり、一触即発となることもあった・・・・だが、そんな折空気を和らげたのは、エミリコのケイトに対する献身的な姿勢だった。エミリコのいる場ではさすがのおれも臨戦形態を解かざるを得ない。それに注意深く観察を続けるうちに、ケイトもまた横柄な言動ばかりが目立つものの、人と同じように物を考え、また従者であるエミリコをよく慈しむ心があることがわかった。これについてはケイト自身の思慮深さも元々あるのだろうが、エミリコの前向きさから影響を受けているに違いない。

 そしてついにおれは考えを改めた。シャドーハウスに足を踏み入れて以来肌身離さず身に着けていた護身用ナイフを、机の上に無造作に・・・・・捨てた!

異様な屋敷

 ケイトに対して警戒を解いたおれだが、そこまでのあいだにこの屋敷でさまざまな奇怪なものを目にしてきた。生き人形、シャドー家、とてもそんなことでは説明のつかないことばかりだ。例えば屋敷の至るところで働いている顔のない人形・・・・こいつらはシャドー家のそばで煤の掃除をする生き人形と比べて明らかに一段低い扱いを受けている。同じ外見のシャドーについている生き人形が顔と呼ばれるのに比べて、こいつらは生き人形にもかかわらずシャドーと同じく顔をはく奪された身分なのだ。

 そしてケイトとエミリコの話の端々に上がるお披露目という言葉。お披露目を迎えたとき、生き人形はシャドーのとして認められるのだという。人間そっくりの生き人形がシャドーの欠けた部分を補う・・・・その時エミリコの元あった人格や、ケイトとの絆はどうなってしまうのか・・・・?

 エミリコはシャドーハウスの様々な点に疑問を感じているが、自分からその秘密を探ろうとはしない。ケイトに仕えることで満足しているからだ。だがこれはややもすると不吉な兆候かもしれない。不穏なものを感じ取ったおれはふところから手帳を出し、暗号文で「お披露目」「おじい様」という言葉を書き留めておいた。姿を見せないシャドー家の支配者・・・・その目がどこに光っていないとも言えないからだ。

35話でおれは震えた

 ケイトとエミリコのみで物語が完結するのはだいたい12話くらいまでだ。これは単行本で言うと1巻目の終わりに当たる。それからはまずエミリコ以外の生き人形が現れる。生き人形たちは自分でもいう通り気のいいやつらばかりだ。そして22話に至ってついに謎めいたお披露目が始まり、ケイト以外のシャドー家の人々と、その従者である生き人形が姿を現す。

 お披露目に集められた5組のシャドー家の新人たちが何をさせられるのかは、おれの口からは言えない。そこではこれまで蓄積されていた不穏さが、いよいよ牙を剥き始める。その過程で上に書いたような俺の疑問はかなり解消された。展開のサスペンスフルさで言えばそういう謎解き部分が本領なのだろうが、おれが度胆を抜かれたのは紛れもなくお披露目のクライマックスであろう35話だ。

 この回では別個の人格を持った生き人形がどのようにシャドーの顔となるのか? という謎に対して答えの一端が明かされるのだが、心のうちを伝え合うのに表情ばかりに頼る必要はなく(もっと言えば表情とは必ずしも心に寄り添っているわけではない)大事なのはまず何よりも相手のことを思って深く知ろうとすることだというテーマがエミリコとケイトの相補う関係と絡めて作中遅すぎもせず早すぎもしない完璧なタイミングで伝えられており、ここに至ってシャドーハウスが真の漫画であることが隠し立てしようもなく明らかになってしまった。しかるべきタイミングで効かせた溜めを解放した展開というのはここまでの爆発力を持つのかとあまりの離れ業に舌を巻いたおれがふと胸元を見ると、そこには・・・・穴が・・・・・

物語は続く

 今回の期間限定無料公開は連載50回目を記念してのものらしい。連載1年目とのことで、おれは最新話まで読み終えた時点で血を流して倒れているのだが、もちろん話はまだまだ続くはずだ。単行本は3巻まで出ているので、先を追いかけるならこの際一度に揃えてしまってもいいだろう。エミリコとケイトの並び立つ姿に言い知れぬ不安と胸のざわつきを覚えたとき・・・・そのときこそがシャドーハウスを読み始めるタイミングだ。おれはそう思う。

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