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昔の散歩道

その昔と言っても、川端康成が歩き、米国のやキッシンジャー補佐官(当時)、田中角栄達がこの道を歩いていた頃は賑やかだっただろうが、今は静かに滅多に人に会う事も無くひっそりとしている。浅間山の溶岩が敷き詰められた道は苔むして忘れて去られてしまいそうだ。明治になり日本に来た宣教師達はこの道をハッピーバレーと名付けた。宣教師達は世界各地でハッピーバレーと名付けているらしいから何か意味があるのかもしれない。

近くの万平ホテルはキッシンジャー氏と田中角栄が密談していた事で知られており、この道を歩いて別荘で杯を交わしていたのかも、川端氏の原稿を待つ編集者やファン達がウロウロしていたに違いない。川端氏は女学生のファンが訪れると有名洋菓子店の高価な飴を振る舞っていたと近所の人から聞いたが真偽は不明だ。川嶋氏の別荘の近くに同志社大学のシーモアハウスが有るのでそこの女学生がこの道を歩いていたのかもしれない。

今は10月になって気温も日中でも10度前後、標高1000mの小道は今は夢の後のように静かさが包み込んでいる。

写真は昔有ったキッシンジャー氏の別荘から少し下って川端康成しの別荘側を見たハッピーバレーの道を写したものです。

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