アルコール依存症~重度の人やその家族である人に一度考えてほしい事

重度アルコール依存症の kiyopi です。

今回は重度アルコール依存症の人や、その患者に苦しむ家族の人に一度考えてみてほしい事を残します。

患者自身もその家族も、断酒にこだわり過ぎると本当の問題が何であり、どこに問題があるのかという本質を見失い(現在のアルコール依存症治療自体がそういうものなので、ある意味しょうがない)、一生お互いへの不安や恐れ、不信や怒りに振り回される人生になってしまいます。

断酒したとしても、そういったものに振り回された状態ではたして依存症にとっても家族にとっても回復なのだろうか?と僕は思います。

『そんなのただお酒飲まないというだけだろ』
と僕は思います。

お酒を飲まないでいるだけで何も解決していない。
それが周りの依存症者やその家族を見ていての僕の感想です。

今回は、そんな風な人生にしてしまわないためにも、一度考えてみてほしい僕からの質問です。

自分の答えを見つけて下さい。

質問に対する自分の答えをしっかり考えてみた時、求めるものは断酒ではない、目指すのは断酒ではないと気付けると思います。


・お酒を辞めたいと本気で思っていますか?
単なる飲酒量のコントロール障害でしかない人は、病気や死、その痛み苦しみへの恐怖から本気で辞めたいと考えます。
ですが重度の人は、そんな痛みや苦しみよりも生きている事で実感する心の痛みや苦しみに対する不安や恐怖が強いために、本当は辞めたくないというのが本音だと思います。
重度の人にとっては、お酒を辞めた所でお酒への依存心の原因となっている現実的な問題(経済的問題、家族関係、人間関係、様々な場での環境や状況など)、性格的な問題、それらから生まれる心の問題が解決されない事が分かっているために、鬱も酒鬱も関係なくお酒を辞める事に強い不安や恐怖があるためです。

・本気で辞めたい(家族の人は辞めさせたい)のなら、何故ですか?
コントール障害の人は上記のとおりです。
重度で辞めたいと思う人は酒害行動で迷惑かける事への恐れですか?
おそらくほとんどの人は違います。
「酒辞めろ、辞めろ」と言われる事への嫌気や恐怖、それを言ってくる人の存在自体への不安や恐怖が強くなってきているからではないでしょうか?
ただでさえ生きているのが辛い、苦しい、そこに新たな苦しみが増えた事で余計苦しくなっている人もいると思います。

家族としては酒害による時間や手間、お酒に掛かるお金の問題が大きな理由だと思います。
それ以外にあるのであればこれを機に明確にしておくと良いと思います。
ただ、依存症者の本来の性格や言動、態度、人間性や精神性などはお酒を辞めたから改善するという問題ではないので、そういったもの以外であるのであれば。

・お酒を辞める事のあなたにとって(家族の人は依存症者がお酒を辞めた場合)のメリットは何ですか?
断酒している人たちは色々と言っていると思います。
ご飯が美味しくなった、食べられるようになった、健康的になった、出来る事が増えた、思考力が上がった、会話が出来るようになった・・・。
それらはあくまでもそのひとにとっては、でしかありません。
そうなれたら自分も嬉しいのであればメリットでしょう。
しかし、そうなったことで自分がお酒に依存する原因となっていた問題は解決するでしょうか?
そこを考えた上で自分にとっての本当のメリットを考えてほしいと思います。

家族から見て、依存症者がお酒を辞めた事で起きるメリットとして酒害が無くなる事は時間も手間もかかるお金も減るので大きなメリットです。
ですが、元の生活に戻れるわけではありません。
元に戻るためには、依存症者本人はもとより、家族自身も向き合わないといけない問題もあります。
依存症者に対して生まれた不信感、見下し、嫌悪感、怒り、ピラミッド化した家族関係など、家族自身も向き合わないといけない心の問題は残るからです。

ここまでの質問だけでも、よく考えてみれば自分は何で完全断酒を目指すのか分からなくなると思います。

僕は「アルコール依存になるには、その患者それぞれ原因も経過も違う」とよく言っています。
そこと向き合わず、考えず、依存症者はただ断酒を目指し、家族はとにかく断酒をさせようと考える。

でも、とにかく断酒すれば変わることもあれば変わらないこともある。
良くなる部分もあれば悪化する部分もある
のです。

その患者にとってのアルコール依存症という問題の本質、その家族にとって家族の中から依存症者が出た事によって生まれた問題とその本質、どの依存症者も、どの家族も、家族でも更に個人個人で、問題も向き合う事・解決や解消していく事は違います。

目指すのは患者の断酒ではありません。
断酒は酒害を無くす方法でしかありません。
断酒は手段の一つなだけであり、選択の一つでしかありません。

依存症者の代わりに、家族が飲酒の席に代理で出席するとか、監視で家族が付いていく・子供を連れて行かせる(僕も父の依存症で子供時代に経験あります)、家族が熱心に自助グループや病院の定例会に出席するといったこともありますが、それだって酒害です。
余計な手間や時間が増えたのですから。
断酒何年、何十年と経っていても、たった一口飲んだだけでも不安と恐怖が湧き起こる(トラウマ)家族、怒り狂う(飲むこと自体が許せない精神状態になっている、患者が飲んだことで被る酒害への不安や恐怖が元になっているのですが断酒洗脳されていると医師でも当然だとして気付けません)家族。
家族のそんな精神状態も酒害です。
どんなに依存症者が断酒していても、そんなで依存症者も家族も回復だとは僕はとても思えません。
苦しみ・辛さの形が変わっただけです。
僕の望む形は、本人がコントロールした時に一緒に喜んで褒めてあげられる形です。

逃れられない飲酒の席があって、一口飲んだ、周りを納得させるために舐めた、飲むふりをした・・・
それだけで「スリップだ!!」と騒ぐ依存症者や医師・医療関係者もいる。
僕には宗教を盲信するように断酒を信仰しているようにしか見えません。

本当の回復とは何なのか?
自分たちにとって本当に安心が得られるようになる回復とはどんなものか?
そのために問題となっているのは何なのか?
よく考えてみてほしいと思います。



参考程度に、僕の目指す回復です。

(依存症者として)
ずっと抱えていた心の問題を解決・解消した。
日常のストレスケアの出来る自分になった。

飲む時があっても別に良い。
飲みたい日があって当然。

ただ、ネガティブな思いや感情の時は飲まない(飲み会であっても、肝臓不調で胸やけ酷くて・・・とか、腎臓が弱ってるのか背中のあばら裏が痛いとか・・・。実際、あばらの裏が痛い、肩甲骨の下が痛いというのはかつてよく言っていたので知っている人はすぐに察してくれます)
酔わないと納得のいかない自分がいる自覚を持たないといけない。
酔いへの抵抗が出来ているため酔いにくく、抵抗が決壊する量を飲む事で一気に酔いが回る体質になっている自分である自覚を持つ。
その時には一気に気持ち悪くなって吐く。

酔いの程度の感覚が普通の人の感覚とは比べ物にならないくらい酔いが回っていないと酔っていると感じられない自分である事は自覚しないといけない。
酔いを感じる程は飲まないのが自分には正解。

自分でセーブしないとコントロールが効かない自分である自覚は持っていないといけない。

飲む量は決めている。
(飲み会の時は最初のビール1杯で終わらせる、ジョッキで頼まず瓶で頼んで付いてきた小さいグラスでの1杯で終わらせる、それ以外の時は350㎖缶2本まで、ストロングは飲まない、焼酎は200ccボトルしか買わない、ウイスキーは好きだけどもう飲まない)

僕の中に断酒という考えはありません。

僕にとって、断酒というのはアルコール依存症治療業界にはびこる白黒思考の極みでしかありません。
僅かな飲酒もアウトで絶対断酒、それ自体が白黒思考であるからです。

僕が依存症患者として目指している回復は、あくまでも普通の人と変わらない飲みの付き合いもできる自分になる事です。

飲酒者を見下さない、羨ましがりもしない、お酒も販売店も提供店も法律も政治も政治家も飲酒メーカーもCMも悪者にしないし憎みもしないし恐れもしない。(解消できない自分の心や思いの問題が自分ではどうしようもなくて責任転嫁してるだけだから)
病気のせいにも脳の異常のせいにもしない。(これはあくまで結果そうなっただけのことだから)
どうしてそういった事をしてしまうの?を考えてみると自分の問題が見えますから。


(家族として)
以前から書いてますが、僕の父もアルコール依存症です。
高齢で自由に動き回れる体ではなくなっているため、今では小遣いも無いので飲んではいません。
かつては地域の祭りと言えば酒飲み放題のために朝から社務所にへばりつき、僕が飲むようになった頃からは僕の部屋を漁って勝手に飲んだり、お金を持って行ったり「くれ、くれ」のしつこい人で常時飲酒や連続飲酒ではないですが、断酒とは無縁の人でした。

人格、精神性には多大に問題のある人なので、そこに対する不満や怒りは今でも日常的に感じはします。

ただお酒に関しては、僕は子供の頃から父がお酒を飲む事に関しては、不満も怒りも嫌悪感もありませんでした。
当時僕の抱いていた不満は、飲酒を理由に絡めて父とのやり取りの合間に助けを求めてきたり、味方に付けようと僕を説得しようと自分の正当性を主張し、賛同しない時には否定と怒りと暴力をぶちまけてくる母への不満であって、父に望んでいたのは、何で飲むのか?会社を休むのか?すぐに喧嘩してしまうのか?その理由を教えてほしいという事と、それを解決していってほしいという事でした。

お酒を飲むから問題なんじゃなくて、問題があるからお酒を飲む。
父の時から僕の依存症に対する考えは変わっていません。
自分が依存症になった今でもそのままです。

僕には、お酒を飲む事が問題であるという現存依存症治療の考え方(単なる対処法)が元々ありませんでした。
『こんな風になっているのには、父が絶対に話さない事に原因があるから』と当時から考えていたからです。
当時から、たとえ父がお酒を飲まなくなったとしても、父が抱えている夫婦関係、義父母である僕の同居祖父母との関係、姉や妹との親子関係、会社での人間関係、父の兄弟・親戚から父が厄介がられている関係には何も関係がないと思っていたからです。

じゃあ、お酒を辞めたら何が解決する?
父の飲酒ゆえの問題だけは無くなる(飲酒事故したり、運転操作しきれず田んぼに突っ込んだり、飲酒店や酒屋で暴れて警察に呼ばれたり、見張ったり、探したり)でも会社の人と喧嘩ばかりして仕事に行かないのは変わらない、夫婦関係も良くなるわけじゃない、母が父の事を理由に僕に高みばかり望むのも僕を頼るのも使ってくるのも無くなる訳じゃない、姉や妹が父が望むように仲良くなるわけじゃない、父の兄弟・親戚が父を見直すわけでもない、断酒で父の人格や精神性が変わるなんてことはもっとない・・・結局何も変わらないし良くなるわけじゃないじゃないか・・・。

元々が僕は普通の依存症家族の人とは考え方や、父の経験を通しての依存症者との向き合い方が違っていたのだと思います。
だからこそ、自分が依存症になっても向き合っている事が元から違っていたのです。


僕はかねてより断酒こそ白黒思考だ・・・と考えていたのですが、以前、入院した病院この例会でこのことを言った時に医療関係者からの蔑みと呆れと怒りの視線を感じ、態度にも表された事がありました。
そこでこのことは黙ってしまった。

しかし、絶対断酒一辺倒の考え方で染まった世の中には依存症の問題が解決できなかったり、一生闘ってしまっている人、無理な断酒や断酒の強制で余計酷くなったり壊れていく人が増えています。
そういった話は美談と捉えられてしまうのがアルコール依存症の治療界隈の現状ですが、人の苦しみと辛さの涙を美談にするのが僕には異常に感じて仕方ありません。

依存症者自身だって家族だって、誰も本当は苦しんだり頑張ったりはしたくないと思います。

そこで、今回は自分たちにとっての本当の問題は何なのか?
そこに気付いてほしくて、一度『断酒』を捨てて考えてほしくて記事にしました。

最後に敢えてもう一度

『絶対断酒、一生断酒こそ、アルコール依存症治療の世界に蔓延る最大の白黒思考、本当の問題・本質は別であってそこにはない』


今回は以上です。

参考にして頂けたら幸いです。

あなたの断酒が楽になりますように。
ご家族様の消えない苦しみが少しでも軽くなりますように。



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