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「無知であること」で、加担する。

熱海の土砂災害から5日。
お亡くなりになった方のご冥福とともに、依然行方不明の皆様のご無事をお祈りいたします。
ほんのわずかな金額ですが、熱海市災害義援金に協力させていただきました。
※すでにいくつか窓口があると思いますが、私はコチラにしました

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被害地域の皆様を思うと、本当に胸が痛い。
そして、自分の無知を省みるとともに、もっと学んでいかなければと強く思っているところです。

キッカケは、災害後早くに出たこの記事。(朝日新聞デジタル:7/4)

東京電機大学名誉教授・安田進氏(地盤工学)の
「もともと水みちがあったところに土が盛られ、大量の水が突き抜けたことで土砂が崩壊し、土石流の引き金になった可能性がある」
という言葉が関心をひいた。

盛土に覆われた水の通り道に大量の水が流れ込み、土石流の引き金になったのでは、ということだと解釈したが、「水みち」という言葉が聞きなれなかったので調べてみた。すると、「水みち」を研究した市民団体のレポートが出てきた。

第5回日本水大賞【厚生労働大臣賞】水みちの調査研究活動

「水みち」とは、厳密にいうと「水脈」とは違うそうだ。

私たちがたどり着いた『水みち』とは、地下水の ゆっくりとした
流れの中で、特に流れやすい経路 のことだと定義しました。
『水みち』に似た言葉に『水脈』がありますが、『水脈』は、広域に広がる 地下水の流れや、深さごとに異なる地下水の層を 指します。
これに対して『水みち』は、浅層の地下水のしかも局所的な現象としての流れを捉えています。そして、水みちは『もともとある』というだけでなく『形成されるもの』だということが分かりました。

このレポートに出てくる「井戸掘り職人さん」たちのお知恵は相当なものだったのではなかろうか……としみじみ読んだ。
前述の安田教授が「水みち」という言葉をどのような意味で使われたかは定かではないが、大きく言えば「水の通り道」。そしてその道は、なんらかケアする必要があるのだということはシロウトの私でも理解できた。

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ちなみに、山伏の師匠・星野先達は、災害地域にある伊豆山神社とその近辺に関することについてFacebookでこんな風に書いておられた。

伊豆山は古来から水の豊富な山だったから、
しっかり伊豆山神社に龍神様を祀られてきたこと。
そしてこの周辺の山々は箱根の九頭竜から連なる龍脈になってること。
昔の人たちはだからこの山々に龍神を祀って大事にしてきたのです。

龍神は水の神様。水は命のもと。
「水」は、天から落ちてお山で濾過され、それを私達は恵みとしていただいている。昔の人は、お山を神様としたり、母の胎内と見立てたりしたけれど、水やその生成プロセスなどについて科学で解明される前から、そのようなことを体験的に知っていたのだろう。

なるほど、伊豆山神社には赤白二龍がおられる。

ホームページの

伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。
その尾を箱根の芦ノ湖に付け、その頭は伊豆山の地底にあり、
温泉の湧く所はこの龍の両眼二耳鼻穴口中なり。

という言葉は、先達の言葉の「龍脈」(=エネルギーの通る道)と重なる。

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実はこの災害のニュースを聞いて、真っ先に思い出したのは、数年前に友人に聞いた、こちらの活動だ。

造園技師の矢野さんが、長年にわたる観察と実践のくり返しを経て見出した環境再生の手法を普及する団体。※以下、ホームページより引用

私たち人間は、利便性の高い暮らしを求めて、森を支える自然地形を壊し、生きものの拠り所であった大地を傷めてきました。
人工的に地形を変えることは、水脈と土中の空気の流れを変え、植物層を変え、やがては周囲の気候さえ変えてしまいます。
特に水脈は大地の要であり、分断されてしまうと様々な環境破壊を起こします。そこで私たちは、依頼のあった地域に赴いて分断された水脈・地脈をつなぎ直し、その土地の自然と人間の共存を目指す環境再生施工を行っています。

この団体のことを教えてくれた友人に、熱海のことについて連絡をしたら、こちらのサイトも教えてくれた。

NPO法人地球守代表・高田さんの記事。高田さんも造園技師だ。
翌日に単独で現地調査に入られたということで、非常に長いレポートだけれど読み応えのある記事。
今回の土砂災害について、「危険な土石流を発生させないためには、谷底への泥の堆積を防ぐこと、谷を泥つまりさせないことが肝要であり、そのためには流域上部の山林を健康に保ち、安定させることが大切になります」「今回、原因はメガソーラー発電所か、残土埋め立てか、という論調が聞かれますが、問題の本質はそんなことではありません。脆弱な土地の状態を作り上げてしまい、災害の規模を雪だるまのように膨らませてしまった原因は、土中環境への視点を欠いた土木造作にあります。山や谷の健全性を保つにはどうあるべきか、その視点を取り戻すことが必要なことでしょう」と説かれています。

今回、いろいろと調べたり、詳しい方の記事を読ませていただいたりして痛感しているのは、高田さんのこの文章。

自然界で起こる事象は、たくさんの要因が複雑に関係して生じるもので、それは境界に関係なく、水と空気の循環を通した関連の中で生じるものです。それを「これが悪い」という形で、何か一つの原因に集約してしまえば、そこから先に思考をめぐらすことが難しくなります。それどころか、災害を招いては力学的にそれを抑え込むという繰り返しが果てしなく続き、本質的な問題の解決につながっていませんでした。今回の災害、この教訓を正しく受け止めて、持続する安全な国土、住まいの環境を取り戻すことに繋がればと切に願います。
         * * * 中略 * * * *

(伊豆山神社本宮について)
土石流の起点と終点、一連の谷筋、そして鳥居から本殿へ続く参道と奥の院本宮。まさにこの谷を見下ろす位置に本宮があり、ここが集落にとって大切な環境の要であることを、暗に伝えているようです。
こうしたことからも、土地や環境を読み取って、それを大切に守り育んできた先人の姿勢と視点を感じ、現代社会もまた、それを取り戻す必要があるように感じます。
本来、土地の安定と豊かさを保つ適切な積み重ねが美しい風土を作り、土地にあった暮らし方や文化を育み、その土地の価値を育んできたのですから。


これまでの経済至上主義社会では、自然を「コントロールできるもの」として扱ってきました。その結果が3.11の原発問題であり、異常気象であり、人災に近い自然災害として、私の目の前にやってきている。

そして、つくづく思うのは、「私は無関係ではない」ということ。
そのエリアに住んでいなくても、この地球に住んでいる以上、当事者である。そして、一番苦しく思っているのは、「私は、無知(知らない)という形で、この問題に加担している」ということです。

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昨年、修行などでお世話になっている、山形県出羽三山の周辺に、風力発電の風車が建つ計画が持ち上がりました。

◆追加情報はコメント欄に入れていきます◆ 【羽黒山伏・眞苑(←私の山伏名です)からのお願いです】 ※大変長文になってしまいましたが、少しでもピンときたら読んでいただけると有難いです 3日前(16日)に、ご指導いただいている星野...

Posted by 渡辺 清乃 on Wednesday, August 19, 2020

有志とともに、反対署名を集める活動をする中で(当時ご協力くださった皆様、ありがとうございました)、私の投稿を観た専門家が助言をくださったことがとても印象に残っている。
風力発電所の建設、市民との協議がどのようなプロセスで行われるのか、関係省庁は?意見書の観点は?などなど……知らなかったことがたくさんだった。そして、それに関わるステークホルダーを考えると、簡単に一カ所だけに責任を負わせる「善悪」の判断などはできないこともあらためて痛感した。そして思った。

「ああ、私はこれまで、こういった問題について『無知』という形で加担していたのだ」

と。

この世にあることのすべてを知り尽くそうなどという無謀なことは考えていない。
けれども、「私は知らない」という前提に立ち、目の前で起きていることを単純化せず、詳しい方のお知恵を借りながら他人任せにせず、かといってすべてを引き受けるのではなく自分の領域でできることを成す、ということを、地道過ぎるけれどやっていきたい。
熱海の土砂災害を思うたび、繰り返し湧いてくる気持ちだ。

救助に関わる方々に感謝するとともに、重ねて、行方不明の方のご無事を心より祈ります。


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