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なぜ自分がデミロマンティックに当てはまると思ったか?|デミロマンティックの私に見える世界

前回は、周りの人の恋愛ペースについて行けない私が、「デミロマンティック」という言葉を知ってピンときた、という話を書いた。

※デミロマンティック/デミセクシャル…感情的なつながりを持つ人にのみ恋愛感情・性的欲求を抱くこと

今回は、なぜ私がデミロマンティック/デミセクシャルに当てはまると思ったかについて書きたい。

一目惚れをしない・外見で恋愛感情を抱かない

私は一目惚れをしたことがない。人を好きになるのに最低でも半年はかかる。
いわゆるイケメンを指差して「あの人かっこよくない?」と言われても、あぁ、言われてみれば整った顔立ちをしているなー、とは思うけど、同意を求めてきた人と同じテンションで返すことはできない。そもそも相手の顔を見て、この人はかっこいいとかかわいいとか、いちいち判断を下していない。というかその判断基準自体をぼんやりとしか持っていないのだと思う。

とはいえ、私にも一応“好きな顔”というのはある。(薄めの顔で前髪があってかわいげのある感じ。)だから、そういう人を見つけてわぁーっとテンションが上がる気持ちも分かる。しかし、実際にそういう人に恋をしたことはないのだ。これまで好きになった人は顔の系統どころか身長や体格すらも共通点がない。先述の通りどちらかというと童顔が好みなんだろうけど、恋をした人の中には年齢の割に渋い顔の人もいた(失礼)。

分かりやすく言えば、私にとって“好きな顔”の人に出会うことは、可愛いぬいぐるみや自分の好みにドンピシャな洋服を見つけたときの高揚感と一緒である。テンションは上がるけれど、それ以上でもそれ以下でもない。

美男美女を見て「目の保養になる」と言う人がいる。その言葉ならしっくりくるかもしれない。でも私は、基本的に目の保養をそんなに必要としていない。

よく知らない人からのアプローチが理解不能

1つ目の理由を逆の立場から書けばこうなる。関係の浅い人からアプローチをされても、どういう風の吹き回しでそういうことになったのか全く理解できない。
例えば、定石として「3回目のデートで告白」というのがある。私なら一体いつどのタイミングでどこを好きになったんですか?と問いただしたくなる。仮に私が石原さとみだったら一目惚れする理由も分かるが、お世辞にも私は一目惚れをされるような顔ではない。もしたまたま私がその人の“好きな顔”に当てはまっていたとしても、それで好きになれちゃうなんて単純だな、と不思議に思ってしまう。

こういうことを書くと、「それは自己肯定感が低いからでは?」という話になることがある。たしかに私は自己肯定感低めだ。大好きな人が好意を持ってくれたなら「どうして私なんて…」と疑いたくもなるかもしれない。でも何とも思ってない人に好きと言われたときに、自己肯定感もへったくれもない。

「それって普通じゃない?」と言われても私は困っている

デミロマンティックを自認する上で一番重要なのは、これは完全に個人の意見だが、自分が「困っているかどうか」ということだと思う。

もし初めて好きになった人と付き合って結婚していたら、特に違和感もなく、誰かを好きになって結婚することは当たり前だと思い続けていたかもしれない。

しかし、私は困っている。恋バナが始まったら何も話せることがなくて気まずい思いをしたり、「彼氏いないの?」と聞かれる度に、恋愛もロクにできないというレッテルを貼られているような気持ちになったり、好きな人を作らないといけないというプレッシャーに押し潰されそうになったり。
だからといって「恋愛興味ないんだよね」というスタンスもとれない。人を好きになったことはあるし、今後本当に好きになれる人に出会えたら、また恋愛したいと思う。

「それって普通じゃない?よく知ってる人と付き合いたいって気持ちはわかるよ」と言われても、私は生き辛さをずっと感じているから普通とは思えない。

デミロマンティックという言葉は、恋愛はしたいけど好きな人を見つけることにハードルの高さを感じるもやっとした私の状況に、概念を与えて安心させてくれたのだ。


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恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。