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陶芸に必要なスキル(その2)

さて、前回のつづき。前回のnoteを読んでない方はぜひそちらも読んでみてほしい。→陶芸に必要なスキル(その1)

前回の記事を読んでもらって感じた方も多いと思うが、ろくろでつくるという技術は、感覚的にかなりスポーツの世界に近い。もちろん例外はあるだろうが、スポーツの経験がある人は習得が早い。また、スポーツと同じく年齢が若ければ若いほど習得するのが早いところもスポーツと似ている。

そんなスポーツ的なろくろに対して、釉薬を表現する力はちょっとまた別のジャンルのスキルが必要になる。

2.釉薬を表現できる力

釉薬とは要するに器の表面にコーティングされているガラスの層のことだ。

スポーツ的なろくろに対して、この釉薬の世界は完全なる理系の世界。深く探究するとなると科学的な知識が不可欠になってくる。

個人的に、このスポーツの感覚と理系の知識をどちらも持ち合わせていないといけないところが、陶芸の一番難しいところだと思っている。

ろくろのスキルアップには没頭できるのに、こと釉薬のことになると急に頭を抱える人がいる。逆もまたしかりで、スポーツ的な要素の多いろくろのスキルアップはそこそこに、釉薬の研究に没頭する人もいる。

ぼく自身は完全に前者。つまり、ろくろは好きだが釉薬は苦手なタイプだった。前回の記事にも書いたが、ぼくは訓練校2年、そして弟子入りで3年を過ごした。その後独立したので、この5年間が修行期間だった。

訓練校での2年間、少し釉薬のことは勉強するが正直それだけではチンプンカンプン。弟子入り期間の3年間で、なんとか自分オリジナルの釉薬を手に入れる必要があった。

弟子入り期間の3年間で自分オリジナルの釉薬を手に入れなければいけない状況のぼくにとって幸運だったのは、師匠が灰釉を得意とされていたことだ。

灰釉というのは日本古来の釉薬のつくり方で、長石という石と、木の灰を混ぜ合わせてつくるとてもシンプルな釉薬だ。2種類、あるいは3種類の原料を混ぜ合わせてつくれるので、かなり感覚的に理解しやすい。

しかも、当時のぼくにとっては、「木の灰」はとても魅力的な原料だった。だって木を燃やした灰が釉薬になるなんてすごくない?

知識がない分、自分で燃やした灰を使えば、誰も見たことのないすごい釉薬がつくれるんじゃないかというワクワク感がすごかった。「燃やす」という行為自体がたまらなく楽しいのだ。

ただ、結局はそんなに甘いわけではなく、過程はワクワクするのだが出来上がりはどれもなかなかに渋い仕上がりだった。

ただ、灰を自分でつくる、落ちている石を砕いて釉薬にする、山の中に入って土を掘る、などの作業はどれも時間を忘れるほど楽しかった。こんなことが仕事になれば最高だと思った。

また、幸運にも、仲の良かった陶芸友達2人が瀬戸の陶芸家の先生に弟子入りしており、その友達もぼくと同じく原料に夢中になっていたので、休みの日に会うたびに朝まで土や原料のことを語り明かした。

夜中のファミレスで「土っておもろいな〜。最高やな〜。」と永遠と語り合ってるのは、客観的にみるとかなり気持ち悪かったと思うが、当時の僕たちはそんな人の目よりも陶芸の原料に夢中になっていた。

今になって思うと、堅苦しい科学的な釉薬の世界でなく、まず「楽しい」という感覚から釉薬の世界に入れたのはとても幸運だったと思う。科学というより「遊び」の延長のような感じで釉薬の実験をしていた時間は今となっては本当に貴重だ。

「遊び」に近い感覚になっていたので、釉薬の本もマンガを読むような感覚で夢中で読み漁った。人間、夢中になると無双状態だ。

ただし、釉薬の本を読み進めていくと、原料や灰釉のところはめちゃくちゃおもしろいのだが、「ゼーゲル式」と呼ばれる科学のジャンルに入ってくると一気にテンションが下がってくる。感覚で処理できないからだ。

基本的に嫌いなことを無理にしても意味がないと思っているので、ゼーゲル式はやらないことに決めた。必要に迫られたらやろうと思っていたが、そこから今までゼーゲルは一度も勉強していない。

ただ、それは単純にゼーゲルの知識は必要ない。という話ではない。

現在トキノハではゼーゲル式をつかった釉薬がたくさんある。なぜかというと、答えはめちゃくちゃ簡単。奥さんが2年間釉薬を研究する学校に通っていてゼーゲル式について知識をもっているからだ。

うちはお互いのスキルを補い合うかたちでやりだしたので、釉薬のゼーゲルに関しては思いっきり奥さんに任せているというか頼っている。

最近いろいろな場面で話しているのだが、なんでもかんでも一人でやろうとするよりチームでやるほうが面白いことができるというぼくのスタンスはこの頃から変わっていない。

京都には、釉薬を研究する施設がある。「京都市産業技術研究所」(通称、試験場)というところだ。試験場では1年あるいは2年間、釉薬のことを中心に勉強する。ろくろなどの実技も多少あるのだが、圧倒的に時間が少ない。釉薬のことをひたすら学ぶ施設だと思ったほうがいい。

試験場に関しては、肌が合う人間と合わない人間がはっきり2つに分かれる。そのため、進路に迷って相談しても、聞く人によって、行くべき派と行かない方がいい派が分かれ、学生はみんなとても悩むことになる。

ぼくは個人的には、行った方がいい派だ。(行ってないのに)

試験場に行くと、もちろん知識として科学的な釉薬の世界のことが学べるし、何よりも大量にもらえる「テストピース」と呼ばれる釉薬の色見本帳のようなものは一生の財産になる。

ぼくも修行中に一人でこつこつと乳鉢で原料をすって灰釉のテストピースをつくっていたが、一人でやると死ぬほど時間がかかる。

試験場では、自動乳鉢という自動で原料をすってくれる機械もあるし、みんなで分担して作業ができるので、効率的に1年間で大量のテストピースが出来上がる。

釉薬は、分からないままだと一生分からないままになる。一生悩むことを思えば、割り切って一年間死に物狂いで勉強するほうが合理的だと思う。

ま、ぼくは行ってませんが。

ただ、当たり前だが試験場に行きたくない、行かないという選択もぜんぜんありだ。

試験場に行ったとしても、行ってなくても、結局はその後自分でどれだけ仕事の合間をぬって釉薬の実験ができるかにかかっている。

そんなときに、何よりも大切なのは、コンスタントに窯を焼く環境があること。

ここで、『その1』で話した数をつくる仕事のメリットとも重なってくる。数をつくらなければいけないという状況は、コンスタントに窯を焼き続けなければいけないという状態だ。

コンスタントに窯が焼けると、その隙間にテストピースを入れることができる。

窯というのは中身をそこそこいっぱいにして焼かないとコストがもったいない。特に駆け出しの頃はテストピースのために窯を焼くなんてなかなかしんどい。

そんなときに、日々窯を焼いているという環境は相当強い。

2週間に一度しか窯を焼かない場合は、釉薬の実験も最速でも2週間ごとにしか進めていけない。でもそれが3日に一度窯を焼いている状況だと、ぜんぜん進むスピードが違うのは考えるまでもない。

ちなみに、テストピース用に小さな窯もあるが、小さい窯で焼けたテストピースと大きな窯で焼けたテストピースは思ったよりも変わってしまう。なのでざっくりとしたテストには使えるが、最終的には普段使っている窯でテストするしかない。

結局2回にわたって長々と書いた一つの結論としては、駆け出しの頃には、なるべくコンスタントに窯を焼ける環境に身を置けるようにしたほうがいいということだ。

数をつくる仕事をすれば、ろくろもうまくなるし、釉薬もどんどん実験できる。安かろうがきつかろうが、自分にとってまだまだ未熟な器だろうが、まず数を焼ける環境をつくる。そしてその仕事の合間に自分の理想を実現するための実験を繰り返す。

それが陶芸で早く一人前になるための一番の近道だと思っている。

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