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ビットコインと夢の家

 昨年の暮れから今年の春ぐらいにかけてビットコインで大変お金持ちになった方と週3回のレッスンをしていました。ビットコインは儲かると言うような話は耳にはしていましたが、私自身は全くそういうことに疎いこともあっていささか猜疑心がありました。しかし、実際にビットコインで仕事を全くしなくてもいいほど儲かった人と、レッスンとはいえ、直接話をするのははじめてだったので「おお、ほんとにいるんだ!」とまるで幻の生き物を発見したような気持ちでした。

 はじめてビデオコールをかけた時、私の目に飛び込んできたのは、真っ赤な、鮮血のような赤い壁とBさんの黒い髪でした。その対比に気を取られ、通常なら「はじめまして」というところを、開口一番思わず「うわ、すごい部屋ですね」と言ってしまいました。Bさんはただ軽く笑って、「not my choice, my parents did」とだけ言いました。そしてカメラのアングルのせいだったのか、その赤い壁のせいだったのか、たいへん狭苦しそうに見えました。

 Bさんが日本語を勉強し始めたきっかけは、アニメが好きだからというありふれた理由で、すでにいくつかフレーズを知っていました。たいていは乱暴なことばでしたが...。ただ頭の回転がいい人だったので、基本文法を教えればすぐに理解して応用ができるという感じでレッスンはスムーズに進みました。が、その頭の回転が良すぎる故に、ごく普通のレッスンはつまらないのか、しばしば話は脱線し、彼の恋愛相談を聞くようになっていきました。

どこでどう会話がそうなったのか記憶が定かではないのですが、たぶんいつも眠そうなBさんになぜそんなに眠いのか聞いたからだったような気がします。理由は好きな彼女との電話でのやり取りでわくわくしすぎて眠れないというのです。

それから毎週のように彼女とのデートの進展を事細かに英語交じりで話してくれました。彼女のために暖かい毛布とココアを用意してピクニックにいったこと。二人で毛布にくるまってキスをしたこと、そののちのちょっと恥ずかしくなるような内容まで・・。

「彼女といる時だけワクワクするんだ。今までの人生はコンピューターとビッドコインのことだけだった。」

Bさんは、大学院でAIを勉強したのちビットコインをゲーム感覚で始め面白いようにお金が儲かるようになったそうです。「お金がたくさんあるから、仕事する必要がない。俺の夢は大きい家を買う事。もう十分そのお金があるんだ。」と、自慢をするという風でもなく、まるで仕事しないことを弁明するかのように話しました。「でも、ビットコインも仕事じゃないですか?」と私が聞くと「そんなのは時々見ればいいから。時間はかからない。」と毎日のつまらない習慣を話すみたいな言い方をしました。

 レッスンを始めてから1か月ぐらいが過ぎ、Bさんと彼女の関係が親密になっていきました。が、それと同時に2人のすれ違いも少しずつ現れてきたようでした。

「彼女にスマートミラーをクリスマスを買ってあげたいんだ。彼女の部屋には時計がないから。鏡を見ながら時計と天気予報が見られるんだ。Cool だろ?...だけど、 わからない。彼女は欲しくないんだって」

「彼女に絵を買ってあげたいんだけど・・彼女は俺が選んだ絵は嫌いなんだよ。ほら、どう思う?すごくきれいだろ?この青い月と空が・・。彼女の好きな絵?just.. なにもない ペイントだけの。ぼんやりしてて。oh you like this too? 」

「残念だけど、彼女は日本語に興味ないし、日本のアニメもぜんぜんみないし。俺の好きな物が嫌いなんだ」

付き合ってみたらお互いの興味が違っていた。よくある話かもしれません。それでもBさんの彼女への思いは変わらないどころか前よりも強くなっていくようで、付き合って2か月ぐらいたったころ、彼女のアパートの近くに大きな一軒家を借りて引っ越しました。ベッドルームが4つにバスルームが2つの、子供が2,3人いる30代くらいの夫婦にぴったりの感じの家です。

「俺の夢の家だよ」

そういうBさんの声は洞窟にいるみたいに響きました。「はは、エコーがすごいだろ。なにもないんだよ、まだ」 

がらんとした白い空間にいるBさんは、まるで異次元にまよいこんでしまったかのようでした。

「彼女はいつ一緒に住むんですか?」

「わからない。彼女は全然家に来ないんだ。でもいいんだ。なんにしても俺はこのうちに住みたかったし。いいんだ。家族と友達が引っ越しパーティーしてくれる」

その2,3週間後、レッスンに現れたBさんは、涙で声が詰まって何も話せない状態でした。

「たったいま、彼女がもう会うのはやめるって・・わからない。どうしてかわからない... 」

レッスンどころか何と声をかけてあげたらいいのか、英語で気の利いたセリフの一つでも言えればよかったのですが、何も思い浮かばず、ただただ、日本語で、うん、うん、と相槌をつくことしかできませんでした。

それからのちも毎週2回くらいレッスンで会っていましたが、時には彼女を忘れるために日本語の勉強に集中することがでいましたが、たいていは彼女とのことでまだわだかまりがあり、話はどうしてもそちらの方向にいってしまいました。

私はレッスンの際は、あまり相手の話を遮りたくないので、生徒の途切れ途切れで間違いの多い話を書記のように正しい日本語に直しながらワードファイルに書き取っていくようにしています。いまそれを見返してみると、彼の気持ちの変化がよくわかります。

「彼女が何を考えてるかよくわからない
よく見えないところを歩いてるみたい」

「両親と話して、この悲しい感じにつかれた
なんでも時間がたてばだいじょうぶ だって
でもそれはもんだいの半分」 

 「いまは怒ってる 3か月間で かわった」

「ココナツみたいに いいアイデアはからの中にあるけど
行き方がわからない」

「お金もAIもあったかくない」

「じぶんにとって、なにがたいせつか」

「向上したい気持ちになる自分が好き」 

だんだんとその問題は彼女との関係ではなく自分自身の在り方に移行していったようでした。

わたしは精神科医でも人に道を示すような哲学者でもなく、ただの日本語を教える日本語教師なので、私にできることはただただ彼の言葉の断片を拾って繋げてできるだけ滑らかな日本語に言い換えるだけでした。

そのうちBさんは、新たな出会いを求めて出会い系アプリを使ったり友達から仕事を頼まれたと言ってそのプロジェクトに取り組むようになりました。お金はたいしてもらわないようでしたが、いい気分転換になったようです。そうしてレッスンも次第に減り、リクエストもなくなっていきました。

助けてあげれなかったのかなと思ったりもしたのですが、もうわたしに語る必要がなくなったのかもしれません。

あれからちょうど1年くらいたつのですが、まだあのがらんとした部屋に一人で住んでいるのでしょうか。あの大きな夢のうちのベッドルームが、にぎやかな子供の笑い声で埋まるといいのですが。




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