令和2年11月21日 トメさんの味 知覧富家食堂の味は今でも受け続けられています。知覧茶屋ではトメさんの曾孫拳大(けんた)さんが腕を振るっています。そこではトメさん当時の割り下を継ぎ足し継ぎ足し使っていますが、それが東京の靖国神社に隣接する八千代食堂でも使われています。 人の喜び我が喜び トメさんは卵どんぶりを食べたいといった隊員に自分の着物を売って食べさせた。戦後アメリカ軍の進駐を悩みながらも受け入れ、米兵の母となった。引き上げ兵の子や親のいない子を育てた。前科者すら
なぜ知覧か 知覧茶 三角兵舎 (令和2年11月20日) なぜ知覧か 知覧は標高が高いが平地で見晴らしが良い。気流が安定せず上空から降りづらい。離陸する場合は良風となって味方する。しかも森が多く兵舎や施設を見つけずらい。また、隊員と外部との連絡は一切出来ないよう監視されていました。すべての私信は検閲され遺書一通のみ許されていました。しかもその内容は、特攻について書けず、女々しいことも戦いについての意見も書けません。もしも逃げようとしても鹿児島からは遠くほぼ不可能な場所でも
令和2年11月19日 第3号 知覧にいた日本のマザー・テレサ あなたは「日本のマザー・テレサ」と呼ばれた女性がいたことをご存じだろうか。戦争が始まる前から知覧の食堂の女将さんとして、戦時中は自分の財産を投げ打ち知覧から飛んでいく特攻隊員達のお母さんに変わって、ともに笑い、ともに泣き彼らの最後の時を温かく見守りました。時にはスパイと間違えられかねない危険を冒しても特攻隊の遺族に手紙を書き、生き残った特攻隊員には未来を示しました。戦後誰もが見向きもしなくなりそれどころか非難の対
令和2年11月18日 第2号 西郷隆盛の座右の銘 この字は、南茅部高校書家の吉川肇氏の揮毫による作品です。氏は令和元年度北海道書道展で準大賞を受賞されています。題字にすると大きくなりすぎるのでここに掲載させていただきます。 鳥濱トメさん トメさんは、明治35年鹿児島県の南の小さな漁港、坊津で生まれました。母親は夫と死別した後奉公先でそこの主人の子を宿し実家に戻されたのです。認知されずに私生児となり親戚や知り合いを頼りに方々に預けられ辛酸を極めました。小学校は1年しか通っ
令和2年11月17日 第1号 日々の記 今日から1日の記録を残していきます。知覧に行ったこともきっかけですが、校長日誌の継続です。日本のいいところ、日本人で良かったと思える話、民族としての思い出などを書いていきます。 知覧 知覧であったことを連載します。日本人として知っておくべき記憶です。今となっては修学旅行や映画、情報によって知ることが出来ます。しかし敗戦当時は知覧の記録や施設設備は、ほぼ破壊され焼却されてしまいました。しかも特攻隊の存在は隠されたことと取り上げられたとし