敬天愛人

令和2年11月18日 第2号

西郷隆盛の座右の銘

 この字は、南茅部高校書家の吉川肇氏の揮毫による作品です。氏は令和元年度北海道書道展で準大賞を受賞されています。題字にすると大きくなりすぎるのでここに掲載させていただきます。
鳥濱トメさん
トメさんは、明治35年鹿児島県の南の小さな漁港、坊津で生まれました。母親は夫と死別した後奉公先でそこの主人の子を宿し実家に戻されたのです。認知されずに私生児となり親戚や知り合いを頼りに方々に預けられ辛酸を極めました。小学校は1年しか通っていません。子守奉公に行くのに何時間も歩いて通ったそうです。まるで奴隷のような奉公先での扱いは筆舌に尽くせません。しかし昔はお殿様の家柄という鳥濱義勇氏と出会い、多くの反対に遭いながらもその器量が気に入られて結婚することになりました。休むことを知らず働き者の上そして美人として評判で食堂も始めたのです。その幸せな生活に戦争が影を落とします。知覧はもともと陸軍の飛行訓練所として飛行場と宿舎や施設設備がありました。戦争が日本国不利になりフィリピンのレイテ海戦で追い詰められた海軍は特別攻撃隊、特攻を始めたのです。その戦果が報告されるにつれ陸軍もその方法を取り入れる決断に迫られました。天皇も「そこまでやらなければならないのか」と言われたそうです。沖縄戦に備え本土で最も近い九州の中で鹿屋、万世、指宿にも攻撃基地が作られましたが、知覧はその最大の基地となりました。
 トメという最後を表す名前が嫌いで自分ではトミ名乗り、富屋食堂もその縁起の良さで名付けています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?