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瑞々しさを誓おう

2011年に東日本大地震があった際に、しばらくして「不謹慎厨」と呼ばれる人たちがSNSに溢れている時期があった、と記憶している。あまりにたくさんの人が亡くなって、あまりに信じ難い光景がテレビに溢れて、国中が喪に入ったような時期だった。少しの食事の贅沢やちょっとしたレジャーも何だか楽しむことが憚られ、人がそれを楽しむことも許せない、そんな人たちもいた。今文字にすると本当かなと思うかもしれないけれど、あったのだそんな時期が。ちょっといい食事をSNSにあげたりレジャーに行った人がいれば、こんな時に不謹慎では?などとコメントする人がそれなりにいた。

そんな時に知人がSNSで書いた言葉を覚えている。「死者の命を尊ぶために、生きている人間が生活の瑞々しさを棄ててはならない。」細かい言葉は違っただろうけれど、そんな感じの内容だった。そうか思いっきり自分の喜びのために存在している食事や時間は、瑞々しさと表現されるべきだ。なくても良いものではなくて、あって然るべきものとして、それは何となく罪悪感を伴う「贅沢」という言葉とは違った形で表現されていい。
何かをやってみたいと思う気持ちの芽が他人に摘み取られるようなことは絶対にあってはならないし、させてはならないと考えるタイプの知人だった。彼から「瑞々しさ」という言葉が出た時に、心の言葉の箱にしまっておこうと思っていた。

さて、私は昨年末までアメリカ南部で家族の赴任駐在に付き添って2年ほど帯同をしていた。帯同開始と共にパンデミックが始まったこともあって、最初はなんだか抜け殻のようだった。そのちょっと前まで、夫が先にアメリカに渡って、一方で子供2人を抱えて東京で働いていた私は、考える時間もほぼなく睡眠時間もあまり取れない中にむしゃらに日々を過ごしていた。職場には次を期待したい後輩がたくさんいて、走り抜ける必要のあるプロジェクトがあり、一方で家には唯一無二の子供が待っている。

倒れるな。今倒れたら終わるぞ。倒れるな。

毎朝そう言い聞かせていた。何が自分をそう走らせていたかというと、自分が社会になくてはならないパーツであるだろうという烏滸がましい自負だったと思う。アメリカについて本当に1ヶ月と経たないうちにコロナウイルスがやってきてロックダウンに突入し、きっと自分は社会に何らか必要な存在であるだろうという自惚は、一瞬にして消え去った。消え去ったというか、打ち砕かれたという言葉の方が正しいだろう。当然、毎日私の名前宛に降ってくる仕事や連絡はないし、そこにはひたすら家庭のタスクと、外に出られず時間を持て余した子供の力を発散させるダラダラとした工夫のみが存在していた。(住んでいたアメリカのエリアは数ヶ月間学校も開いていなかった)
アメリカのしかも南部で、当時はウイルスの原因はアジア人だと信じる人さえたくさんいる中で、スーパーに行けば急に断りなく差別的なスラングと共に消毒液をかけられる。「僕には家族がいるんでね、アジア人の君とエレベーターを同席して病気をうつされたくないんだよね」などと平気で言う人もいた。(こういうのは家に帰ってから「もっとこうやって言い返してやればよかった」などとほとほと悔しく恨みが募るのだが、その場でスカッとジャパンな機転を発揮できないのが常なのである)社会に役立っていないどころか、もはや自分の存在はゴミのようだった。

まだワクチンも開発されておらず、治安が荒れて少し行ったところのモールでは人がしょっちゅう銃で命を奪われているような中で、外に出ると全員が敵のようだった。テレビをつければ、アジア人が今日も道端で急襲されて全治何ヶ月の怪我を負いましたといったゾッとするニュースが流れてくる。こんな中で自分が自分にそこに存在していいという感覚を持てるとは到底思えなかった。

これはまずい。下手をするとメンタルをやられるぞ。
何かせねばならないと思い、オンラインで海外大学の授業を取ったり、ひたすらリングフィットに打ち込むなどをするのだけれど、「ここに何の意味が」と言う魔の言葉が忍び寄る。

「これって意味があるのだろうか?」
ここに含まれるのは、「それは何らかの生産性に寄与する行為だろうか?」という成果を見つめた問いだろう。10年働いて子育てして必死の中で、ずっとずっとそればかり考えてきたので、ふとした瞬間にすぐそこの角から湧き上がってくる言葉だ。オンラインで海外大学の授業をとっても、それは卒業資格にはつながらない。リングフィットに打ち込んだとて、少しの気晴らしになるだろうけれど、それで世に誇る何かを極めたりはできないだろう。書いてみるとバカみたいだが、今いちゴールの見えない、生産性といったわかりやすさがないとすぐに意味を見出せなくなってしまう、資本主義をペラペラのペラにしたようなメンタルで這うように生活をした。

そんな時に私は近所のアジア人の女性とたまたま仲良くなるのだが、彼女は何というか、人間という生き物への突破力のすごい人だった。声は大きいし、とにかく明るい。新型コロナウイルスでアジア人に話しかけられちゃ嫌だろうな、みたいなみみっちいことを心配している私を尻目に、そこらのアメリカ人にすぐに話しかけて「ねえこの食べ物どうやって食べるの?えー!そうやって!だからあなたは素敵な人なのね!この食べ物の効果が出てるわよ」などと、ダイソンドライヤーのごとき風力でそこにある陰気を吹き飛ばしてしまう。一方でたまに盛大に失敗をする。うん、それは相手を怒らせるだろうね、みたいな地雷を見事に踏み抜くこともあった。もちろんその時はしょんぼりしているのだけど、とにかく切り替えが早くて、いつもその勢いに驚いていた。何だろうこれは!

身体を動かすことが好きで朝は毎日歩いている。無視をされることはしょっちゅうあるが(本人談)、散歩中すれ違う人全員に大声で「おはよう!」と挨拶をする。挨拶が返ってこないことは一旦はどうでも良いというのだ。メンタル強すぎでは。しかしもはやそこに、これをやったらどんないいことがある、みたいな算段はない。

やりたいからやる。それをやったらどんな成果が得られるとかどうでも良い。それで失敗しても、それは大したことではない。やりたいからやるのだ。

人生30年以上を超えて、ちょっとした衝撃を覚えていた。そうか、誰かから求められたり、自分にとって目に見える利益がなくたってやりたいことをやるってことでも、社会で生きるということが終わったりしないのか。

10年前に心の中にしまった「生きる瑞々しさ」という言葉を思い出していた。10年前は贅沢の言い換えぐらいの理解でそれを捉えていたのだけれど、自分の中での定義を変えようと思った。誰に求められていなくても、それで何かの成果が得られるみたいなことまで考えなくても、自分がいいなと思ったことや、やってみたいということを、心のままにやってみて構わない。もちろんこんな世の中なので、他人の安全など配慮をすることはたくさんあるだろうけれど。その力を持てることを、私は瑞々しさと呼ぶことにしよう。

東京に帰ってきて、怒涛のように子供たちの環境を整え、(幸いに)私は働く場所にも帰ってきた。そしてこの「働く」という行為と瑞々しさを保つという行為は、いつも同じベクトルには存在していないものだから、両方を保つことは大変に難しい。そんな時に、アメリカのその太陽のような友達から小包が届いた。子供たち向けの絵本や小物や、パワフルな手紙が入っている。文字越しに力を感じさせるというのは、どのような魔法だろうか。

瑞々しさを自分に誓わなければ、ということをいつも思い出させてくれる。まだまだ長い道のりなのだが。

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