キリスト者の見る「男性に対する性暴力」

 今日、ジャニーズ事務所の第二回目の記者会見を見ました。ここでようやく、表面化してきたのは、「男性に対する性加害」です。

「性暴力」は性別を問わない


 性暴力というと男性が女性に対してというものを思い浮かべます。そして、事実、統計でも圧倒的に性暴力を受けたのは女性と出てきます。しかし、それは実際を反映しておらず、性加害者に向き合って治療している専門家によれば、性加害者が向かう対象の3-4割は男性(男児)に向かっています。かなりの割合です。

 男性は、被害を受けたことをどう受け止めればよいのかが分からず、あまりにも衝撃的なので、それが自分自身の中で混乱し、意識の中で潜在化します。それを明確に認識するまでに、人によっては何十年もかかっています。元ジャニーズJr.の被害者の方々がずっと後になって告発しているのは、男性の性被害者の特徴を物語っています。

多くの場合、少年に向かう性暴力


 男性に対する性暴力は、前回の記事でもご紹介したように、少年に対するものが圧倒的に多いです。なぜなら、女性であれば男性は身体的に優位なので、押さえつけることができますが、男性であれば筋力や腕力が同等であれば、強要できないからです。だから、弱い存在として少年に向かうのです。

 そして、日本の男色の歴史、また聖書時代である古代ギリシアやローマの歴史でもそうですが、武家のような軍人、僧侶のような宗教者、そして芸人において、パトロン関係を持っている中で、少年を自分の性行為対象として抱え込むのです。ジャニー喜多川の行っていたことは、まさにこれです。

 元ジャニーズJr.で初めて実名告発をしたカウアンさんが、最も辛かったのは、親に対して言うことだったということでした。起こったことを話すのは、親を悲しませることになるので、それが辛いと言っていました。(女性の被害者にもありますが)自分が被害を受けているのに、なぜか心身は「自分が何か悪いことをした」と反応してしまうのです。

同性愛者も罪人、男色文化は罪悪

 同性による性暴力は、わずかに表面化しただけで、世間には大きな無理解があります。性的少数派の人権を強調する人は、同性愛者が加害者になりうる事実を、極端に目を背けています。日本の歴史や伝統を根拠に、同性愛に寛容であったと強調する人は、日本の男色文化を一種のサブカルチャーのように捉え、それが、ジャニーズ事務所で行われていた、パトロン関係の中での少年に対する性搾取であった事実から、目を背けています。

ソドムの罪と男色は今の問題

 そしてキリスト教会の間では、LGBTQに対する見方で意見が大きく変わって、それにまつわる聖書箇所の解釈や適用についても議論があります。しかし、そこで完全に見落とされているのは、「男色や男娼」が、今現在も、その本質的なところは続いているということです。現代も、数多くの男性が、少年に手を出しているのです。

 聖書が、語っていることを、もっと素直に、直接的に読んでみましょう。ソドムで起こったことは、男性たちによる男性に対する集団強姦の試みです。レビ記では、男が男と寝ることが、当たり前にされていたところで、主はモーセを通して、それが忌まわしいこととされたのです。そして、新約聖書では、男色や男娼に対して、こうしたことを行っている者は神の国に入れないと断言しているのです。

 キリスト教会は、意見の分かれることでものすごい時間とエネルギーを割いていますが、聖書では、あまりにも明らかで、誰の目にも悪であることについて、かえって節穴になっていることはありませんか??ジャニー喜多川の問題は、そのまま聖書で問題にしていることなのです。教会の中にも、性被害者が多数、いるのかもしれません。

 被害者には心の癒しを、加害者には悔い改めに伴う、罪の赦しを祈ろうではありませんか!




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