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イスラエルではなく、日本の孤立

日本において、イスラエルを取り巻く情勢を語っていますと、まるで海の中に浮かぶ孤島のように、自分が何か変なことを言っているような気持ちにさせられます。けれども、自分の語っていることは、英文などの外の議論や、海外の人たちと話せば、まっとうな意見の一つにしか過ぎず、その意見を自分は単に発信しているにしか過ぎないのです。

それが露呈したのは、日本を除くG7を始め、西側の国々が、長崎の原爆祈念式典に、大使の不参加を決めたことです。(報道では、G7だけになっていますが、多くが、リトアニア大使など、他の欧州の国々も、公使参事官など、大使は参列していません。)私は以下のXポストを遺したら、今現在100以上の人が、いいねを押しています。

イスラム思想研究者である、飯山陽さんも、同じ点で問題意識をお持ちであり、日本のメディアでは、口を揃えるかのように、長崎市長の主張を繰り返しているのですが、すでに、BBCやAPなどは、全く違った視点で記事を出していることを述べています。

日本の特殊な言論空間

私は、今回の出来事には、日本の言論空間では、全くと言ってよいほど議論されていないけれども、西側の世界では通底している、二つの要点があると思っています。

一つは、イスラエルの存在意義です。日本では、ホロコーストは悲惨な出来事であったという認識はあっても、ホロコーストのゆえにイスラエルが建てられ、存在しているという点が、全く欠如していることです。

下の写真をいつも私は使いますが、日本での言説は、下の自衛するイスラエル人ではなく、上の無防備で殺されていくユダヤ人になりなさい、と言っているようなものばかりです。

上がホロコースト時のユダヤ人女性、下が孫の世代のイスラエル軍の女性兵士

人類の歴史に、大きな挑戦と課題を突き付けているのが、ホロコーストであること、多くの日本人は思っていると思いますが、同じ比重で、イスラエルの建国とその存在は、否定されてはいけないという至上命題があることを知りません。イスラエルが建国された経緯と、ユダヤ人が長い歴史の中で、迫害されてきた事実が、大海の下に沈む海底ケーブルのように確実につながっています。

ユダヤ人が、先祖の土地から追い出された後に、どんなことをしても、その存在自体を否定されていく歴史を持っていて、ユダヤ人が主権を持ち、安心して暮らすことのできる国が必要だ、ということで、イスラエル建国がなされています。そして今に至るまで、事実、避難の目的で、ユダヤ人の帰還が続いているのです。そして、その安全を確保しているのは、主に、自国軍を持っているからなのです。

この太い、太い連続性を知らないので、「イスラエルの自衛権を支持する。ただ、国際法を順守してほしい。」という、G7を始めとする西側諸国の立場が理解できないのです。日本では、後者、国際法とかを持ち出しているのですが、自衛権を等閑視した言説があまりにも多いので、「イスラエルはなくなってしまって構わない」というメッセージを、自分でも意識しないうちに、発信してしまっているのです。前者でもイスラエル批判はするのですが、後者は、同じイスラエル批判でも、全く、似て非なるものであり、相手の存在否定なのです。

そして、それがハマスや、背後にいるイランの主張です。イスラエル残滅です。自衛権を認めずして「パレスチナの人たちがかわいそう」と主張したら、親ハマス、反ユダヤ主義という批判を免れないのです。

イスラエルは欧米の植民地の飛び地ではない

そして日本では、イスラエルの建国は、欧米の都合による、植民地支配的な、パレスチナの先住民を追放して、住んでいる白人ユダヤ人の集合体だという、パレスチナやイスラム教の、歴史的根拠のない主張が、情報としてそのまま垂れ流されています。

そして日本はかつて、一度、実行に移したことがありました。日本赤軍によるロッド事件です。イスラエルの空の玄関、ロッド国際空港(今のベングリオン空港)で、銃を乱射して、イスラエル人だけでなく、大勢の、プエルトリコなど、海外からの巡礼者を殺しました。

https://www.bbc.co.uk/programmes/p00s82xt

そのことについて、イスラエル人は「彼らと日本人は違う」と分けてくれてはいますが、「植民地支配、占領者なのだから、追放するのが正義だ」とする主張は、結局、こうした暴力に至っているのです。危険な思想なのです。

核使用、核保有の国が、平和祈念(記念)式典に参列したいという想い

二つ目は、原爆や核兵器が、使用した連合国の大義を、日本の人たちに知らない、あるいは認めていない人が多いです。第二次世界大戦が勃発して、その大義はナチス・ドイツとの戦いです。そのナチスが行った、人道の罪がホロコーストでした。日本はドイツと同盟関係に入りました。そして、その日本が無条件降伏に至らしめるのに、原爆投下は仕方がかなったという論理です。今でも、これは正義だったという思いが、西側諸国には通底しています。

しかし、それでも人類にとって、最も恐ろしい脅威なのだと、(矛盾していますが)素直に抱くにいたりました。それは、日本人や科学者が、根気よく訴えてきたためです。それで、原爆の恐ろしさを訴え、核廃絶を目指す式典に、核使用をし、また今も核保有をしているにも関わらず、参列したいという強い願いを抱いています。

ホロコーストも二度と繰り返してはならないし、核兵器も何とかして再使用は防がなければいけないというのが、彼らの認識になっており、この二つが人類共通の課題だとして両隣にあるのです。それで、イスラエル大使の不招待は、二つで一つになっている平和祈念式典の片方を切り取ってしまうことになり、まるで心臓の右心房、左心房があるのに、右心房は切り取ってしまうようなメッセージを送っているのです。

以上の二つの点をもって、以下の、サイモン・ウィーゼンタール・センターの副所長、エイブラハム・クーパー師についての記事を読まれるとよいと思います。合点が行くはずです。

平和記念(祈念)式典の参列にふさわしい国

広島の平和記念式典に参列した。イスラエルのコーヘン大使が、NHKの映像で映し出されました。こともあろうに、NHKは、県知事がスピーチで、ロシアの蛮行を意識して批判していた時に、イスラエル大使をズームインし、あたかもイスラエルを非難しているように見せる、極めて悪質な印象操作を行いました。

しかし、同時に、周りの人々が暑さの中、だるい表情を聞いている中で、真剣なまなざしで、知事のスピーチを聞いておられる姿は、ユダヤ人だからこそ、なのです。ユダヤ人の多くは、原爆の惨状を聞く時に、自分たちのホロコーストの歴史を思い出すそうです。だから、その参列の意味を最も理解している国の一つが、ユダヤ人の国、イスラエルなのです。

しかも、イスラエルは自国を守るために、公には認めていませんが核を保有していると言われます。その矛盾を抱えつつ、しかし、それでも核兵器の恐ろしさを直視していくという、真剣勝負の時間なのです。

こういった二つのことを、こともあろうに、除外してしまった長崎市長の過ちは、強く非難されるべきでしょう。究極なまでに陳腐な、「ガザ戦やめろ!」のシュピレコールに同調し、安全上の理由という、言い訳にもなっていない言い訳で、この大事な時を阻まれた、大使の忸怩たる思い、その心の痛みが、以下のXポストで伝わってきます。

下は、参考にした、連続Xポストです。


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