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総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(10)壁が無くなっても戻らなかったもの

壁の跡が印された道を走る

 「ベルリンの壁」を辿るルートは、ベルリン市内に入ってから北上を続けてきました。市内東部のプレンターヴァルト(Plänterwald)から街の中心部へと向かうことになり、西へと進みます。街の中では交通量が多くなり、交通量の少ない場所であっても路上駐車が多く、サイクリングとしては魅力的な場所とは言えません。その一方で、前回紹介したように多くの場所では道路に壁の跡が印されています。そのため今まで以上に壁の存在を感じられ、「ベルリンの壁」を辿っていることが実感できました。こうした壁を辿る実感こそがこのルートでの楽しみとなったのです。

道の上には壁の跡の印が延々と伸びています。
壁の跡を示す印は「ベルリンの壁」が1961年から1989年にこの場所にあったことを気付かせてくれます。

住宅街を抜ける「ベルリンの壁」

 市内のルートでは住宅街を走ることがほとんどです。そこには住宅が立ち並び、ありふれた風景が広がっています。ですが、そんな風景に見えるのは、直線に伸びる壁の跡の印。この印に気付くことがなければ、普通の街並みにしか見えないでしょう。だからこそ「ベルリンの壁」が人々の暮らしをどれだけ切り裂いていたかを思い浮かべれるかもしれません。今では通りを跨いで気軽に行ける友人の家やお店に、東西ドイツ時代は行くことができなかったのです。

住宅街を抜ける壁跡の印。
通りにも公園にも壁跡の表示は印されています。

壁跡に生まれた桜並木

 住宅街を進んでいくと運河の河岸にたどり着きます。ここで再び出会ったのは日本の桜でした。以前にも紹介しましたが、日本のテレビ局のキャンペーンで募金が募られて、多くの桜が「ベルリンの壁」跡地に植えられています。こちらの河岸に生まれたのは約200メートルの桜並木。残念ながら訪れたのは季節外れであったため、美しいピンク色の花を楽しむことはできませんでした。ですが、日本の桜によって、歴史の影を感じる場所が美しい並木道へと生まれ変わったのを確認することができました。

運河沿いに続く桜並木。
桜並木には日本からの募金で植えられたことが記されていました。

閉ざされた人々の往来

 桜並木を進んでいくと、見えるのは運河を跨ぐ高架の橋。その上を自転車に乗った人が走り抜けていきます。今では歩行者やサイクリストのための橋に見えますが、ここを通っていたのは列車でした。こちらの橋は、橋のすぐ西側にある終着駅と東側にある本線を結ぶ場所となっていたのです。しかしドイツの東西分裂後に「西側」の駅から、本線を通じて「東側」に人々を運ぶことはなくなりました。「ベルリンの壁」建設以降は役割を縮小して貨物のみを運んでいます。しかし、1985年には貨物の輸送も行われなくなり、廃線となったのです。

かつての鉄道の橋を通り抜ける人々。
橋の上では多くの人がサイクリングや散歩を楽しんでいます。

壁が無くなっても、全てが元に戻ることはない

 「ベルリンの壁」を辿って気付いたのですが、壁は様々なものを隔てていました。その一つが人々の往来です。それがもたらしたものは、行き止まりの道や、通行不能な橋など。鉄道も例外ではなく、「西側」と「東側」を繋ぐことはなく休線となっています。今ではドイツの再統一で道は繋がり、橋は通行可能に戻り、人々は自由に行き来できます。しかし、一部の鉄道は元に戻ることはなく、そのまま廃止されているのです。こうした廃線を見ると、壁が崩壊しても全てが元に戻っていないことを実感させられるのでした。

都市部であるため、橋にまでグラフティが描かれています。
橋の上からは東西の境界だった運河を眺めることができます。


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